ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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38-6

 最初に来たときには気付かなかった。
 ねっとりと絡み付くような、嫌な魔力の流れが、城中を満たしている。
 淀みながら流れ、鎌首をもたげるように触手を伸ばしてくる。

「鬱陶しいな」

 目を凝らすと見えてくるその触手は、黄色いような、紫色のような。見る度に色を変えるが共通して言えるのは汚ならしい、毒々しい色をしているということだ。
 レイモンドには覚えがあった。サマンオサを逃げ出した日、死体が転がるギルドの廊下に充満していた気配と似ている。ダーマの路地に蟠っていた気配にも。
 触れると気分が悪くなる。嫌な事ばかりが思い浮かび、頭を占めて離れない。一人なら、また発狂していたかもしれない。正気を保っていられるのは…

「トヘロスを唱えようか」

 大丈夫かと気遣うアレクシアに、レイモンドは猫の子を追い払うような仕種をした。

「いいから、前見てろ」

 邪険にされてアレクシアは口の中で文句らしきものを呟いていたが、言われた通りに前に向き直る。その後ろ頭に、レイモンドは小さく小さく苦笑した。
 レイモンドの意識を押し退けて、出てこようとする『彼』の人格。『彼』を勇者たらしめていたのは、実は『彼女』が傍らにいたからではないのかと、アレクシアを見ていると思う。
 アレクシアがそばに居る。それだけで邪気が祓われる。
 『彼』に意識を乗っ取られて、発狂し、死にかけていた自分を助けてくれたのもアレクシアだ。

「借りばかり増えていく」
「え?」

 思わず口をついていた。だからと言って、振り返ったアレクシアに、正直に礼なんか言えないし、言ったところで気味悪がられるに違いない。

「いや。昔は薄気味悪い城だ、くらいにしか思わなかったんだがな…」

 今も十分薄気味悪いが、アレクシアは肩を竦めるだけで返答はしなかった。地上に向かう階段の上の方から、気配が二つ近付いてくることに気付いた為でもある。
 二人は目配せして、それぞれの武器に手を伸ばす。カンテラの灯りが下りてくる。階段の途中でかちあうのは部が悪いと、アレクシア達は階段を左右に挟んで壁に背を預け、降りてくる気配を待ち伏せた。
 何を示し会わせた訳でもないのに、レイモンドがラリホーの詠唱を始めると、アレクシアはいつでも飛び掛かれるように下半身に力を貯めた。
 足音がふたつ、降りてくる。あと少し、もう一歩でラリホーの効果範囲に入る。
 ――と、そこで、足音が止まった。

「!」

 人影の代わりに階段から現れたのはギラの火線。床に当たればそこからアレクシアとレイモンドのいる所まで炎の舌が延びただろう。床一面が火の海になるよりはと、アレクシアは階段正面へ飛び出し火線を切り飛ばした。
 姿をさらせば直接攻撃の的になる。アレクシアの行動に無茶をすると内心舌打ちして、レイモンドは用意していたラリホーを階段に向けてあてずっぽうに解放した。無力化出来れば運がいい。そうでなくても牽制になればそれでよい。魔法使いがいるなら次に打つ手は決まっている。今のラリホーで相手にもこちらが魔法を使うとばれただろうから、ここからは詠唱速度が勝負だ。

「全ての魔力は無に帰する。汝が言葉、枷となりて、汝が身を縛り付けよ」

 アレクシアはレイモンドの詠唱を背中に聞きながら、ギラの炎を突っ切って階段を駆け上がろうとしていた。
 壁に備え付けられた松明に火は灯されていない。光源となるのは階段上から現れた二人組が持つランタンだけだ。それでも階段を二〜三段飛ばしに駆け上がり、魔法使いの詠唱が終わる前に一人切るくらい訳はない。
 一呼吸のうちにアレクシアは階段を半ばまで駆け上がり、僅かに引いたら剣を二人組に向けて突き出した。

 ギンっという金属音と、絹を割くような女の悲鳴。ランタンの光の元、お互いの姿が見えたのが、ほぼ同時だった。

「…アル」
「ディ…」

 上段から突き出された金属製の棒杖を駆け上がってきた勢いを利用してアレクシアの剣が跳ね上げた。ディクトールが棒杖の引き戻す前に、アレクシアの長剣の切っ先はディクトールの喉元にかかっている。ほんの僅か気付くのが遅ければ、アレクシアはディクトールの死体と対面を果たすことになっただろう。

「は……」

 息を吐き出すと、気力も一緒に口から飛び出てしまったようだ。膝が笑って立っていられない。
 階段上にへたりこんだアレクシアは、次の瞬間ディクトールに抱かれていた。

「…っ!」

 女の子らしい悲鳴が喉のすぐ下まで競り上がって来ていた。そうせずに済んだのは、アレクシアを抱くディクトールの腕が細かく震えていたことと、更にその上からリリアが飛び付いて来たからだ。

「アル! よかったー! 無事だったのねー!」
「リ、リリア。危な…」

 階段なんて足場の悪い場所で、感動の抱擁なんてするもんじゃない。
 言うが早いか、アレクシアの体はぐらりと後ろに傾いだ。

「う、わ…っ」

 段数にして15段。距離にしておよそ2メートル。石段を転がり落ちるのはかなり危険だ。
 首を丸めて衝撃に備えようとしたアレクシアの背中は、石段ではなくがっしりとした両手が支えた。恐る恐る振り返ると、不機嫌そのものといった金髪翠瞳の美青年の顔が飛び込んでくる。

「なにをやってる」
「ごめん…」

 溜め息を吐きながらレイモンドは、まだ半ば宙を踏んでいるアレクシアを立たせようと両手に力を込め―…

「アル、大丈夫?」

 アレクシアの手を取って、ディクトールは一気に彼女を引っ張り上げた。引っ張り上げた勢いそのままにぶつかってきたアレクシアを片手に抱き、ディクトールは階段下のレイモンドにからかうような視線を向ける。

「元気そうだね」

 薄い笑みを唇に浮かべて、レイモンドも挑発的に言い返す。

「そっちもな」

 一触即発の雰囲気にリリアは内心ワクワクしていたが、そんな場合ではないと二人の間に体を割り入れた。

「取り敢えずみんな無事ね?」

 タイミングの違いこそあれ、三人は一様に頷いた。

「じゃあ、状況確認といきましょう。時間がないから手短に!」

 ぴしゃりと言い切る魔術師に、レイモンドとディクトールは顔を見合わせ、さも不本意だという風に大袈裟に溜め息を吐いた。

 階段では声が反響するし足場が悪い。ディクトール達が地上一階部分で見付けた、無人の台所にいったん潜み、そこで軽く食事を取ることにした。
 何かないかと試しに台所を物色したが、出てきたのはおよそ人の食べ物ではなく、見なきゃよかったとリリアを激しく後悔させた。
 結局四人は、リリアが用意していた干した果実や干し肉を、まさか隠密行動中に火を使うわけにもいかないので、冷たく固いまま、もそもそと口へ運び、それぞれの持つ情報を整理する。
 国王が魔物で、人々の恐怖や悲しみといった負の感情を欲している事。
 抵抗組織の中に内通者が居た事。その内通者がミアであり、恐らくは魔物化する前に人間としての彼女は死んでいた事。
 人間の振りをしている国王の、化けの皮を剥がすには、真実を暴く「ラーの鏡」が必要であること。
 ラーの鏡は、王家に連なる生き残りの王子サーディと共に、リリアが手に入れここに持ってきている事。

「ラーの鏡?」
「これだよ」

 ディクトールが背嚢から取り出した円い鏡の縁には、古い文字で太陽伸ラーの名と祈りの詞が刻まれている。鏡面光を跳ね返すどころか、吸い込むように灰色にくすみんでいる。

「ミア…」

 「ラーの鏡」。そんなものがあるのなら、もしかしたらミアは助けられたのではないか? 自分が殺した少女の姿が脳裏に浮かぶ。ぐっと奥歯に力を入れるアレクシアの肩を、レイモンドは拳の裏で軽く叩いた。
 目が合うと、小さく首を振る。考えるなと、アレクシアのせいではないというのだろう。

「済んだことだ」
「…うん」

 ミアがレイモンドに恋していなければ、アレクシアがレイモンドをただの仲間だとしか思っていなかったなら、こんな迷い、アレクシアは抱かなかった。
 そのレイモンドに、気にするなと言われても、すっきりしない。

「王様は、夜になると部屋に引きこもるの。寝室も、わざわざ玉座の真上に秘密部屋を拵えてそこへ移ったそうよ」

 ベンから渡された城の見取り図を広げたリリアが地図の一点を指差した。

「もともとこの城は魔方陣の役割をしていてね。玉座の間に魔力が集まるように設計してあるそうよ」

 集めた魔力で変化の術を維持し、溢れる瘴気を抑え込んでいるのだろう。そして同時に、国中の負の力を集め、なにか録でもないことに利用しているのだ。

「さて」

 干し肉の一切れをごくりと飲み下し、アレクシアは腰を上げた。
 自分の中に、吹っ切れない迷いはある。けれどだからといって、目の前の避けて通れないものを放っておける性分でもない。自分の迷いに答えを見出だすのは、この障害を排除してからでも十分間に合うのだ。
 ならばこの国の魔を祓い、国を悩ます物を排除する。

「かたをつけよう」

 鏡をしまって立ち上がったアレクシアに続いて、レイモンド、ディクトール、リリアも顔をあげて立ち上がった。
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