ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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意識を取り戻した日の内に、レイモンドは出発を決めた。
丸二日昏睡していた人間が何をいうのかと、もちろんアレクシアは反対したが、食料もないこんな状況で立てこもることは、無意味処か状況を悪化させるだけだと言うことも理解している。強硬に反対することもできなかった。結局は、レイモンドの飯を食わせろという説得とも言えない主張に了承し、朝霧に乗じて小城をでることにしたのだった。
血だらけの格好で出ていく訳にもいかないだろうと、変装の意味も含めて館にあった衣装に着替えた。
郊外の森を抜け、市街に入る。
大気は呼気を白くさせるほどに冷たいのに、レイモンドの体からは滝のように汗が流れていた。呼吸は乱れ、視線もどこか虚ろだ。
アレクシアの方はレイモンドほどひどくはないにしても、体のだるさは感じていた。無理もない。もう三日は、まともな食事をしていないのだから。今この状況で戦闘を行ったとしたら、格下の相手にさえ遅れをとるだろう。戦いが長期化したならば、まず間違いなく負ける。
市街地に入るまで、アレクシアはトヘロスの結界を維持し続けた。とはいえ市街地に入っても、この街では安心できない。人間に化けた魔物や、元は人間だった魔物が相手、それも官権の姿をしている魔物に、アレクシアとレイモンドは追われているのだから。
小城を出てから、二人は一言も言葉を口にしていない。
時折足をもたつかせるレイモンドを支えながら、彼がどこに向かっているのか確認することもせず、アレクシアはレイモンドの隣を歩き続けた。
平素であればたいした時間もかからなかったであろう道のりを、いつもの何倍もの時間をかけて目的地らしき家の並びにたどり着いたのは、太陽が朝霧をすっかり消してしまった頃だった。
レイモンドが叩いたのは一軒の商家で、応答があるまでのほんの些細な時間が、アレクシアにはひどく長いものに感じられた。通りを行き交う人々が皆、自分達を見ているような気がする。そのうちの誰かが敵かもしれないし、敵に内通しているかもしれない。全身の毛が電気を帯びて逆立っているようだ。覗き窓が開くわずかな音にさえ過剰に反応する。覗き窓の向こうに見える不安げな瞳の色までも、アレクシアにははっきりと見て取れた。もちろんその瞳が、レイモンドを捕らえて驚愕に見開くのも。
アレクシアの手が隠し持っていた剣の柄に伸びる。あからさまな動きではなかったと思う。しかし僅かな気配を察して、レイモンドは「大丈夫だ」と後ろを振り返らずに囁いた。
その言葉が合図だったとでも言うように程無く開いた扉から現れたのは、レイモンドと年格好は同じくらいだろうか。気弱そうな痩せた男だった。
男は外の様子を伺うと、人目を気にするように早く中に入れと二人を招いた。
アレクシア達が中に入るや気弱そうな男の表情は一変し、眉をつり上げレイモンドを睨み付ける。
「なんのつもりだ。ここ数日の騒ぎもお前だな」
問い、というよりは確認だ。レイモンドが黙っているのを肯定と受け取って、男はレイモンドに詰め寄った。初めは抑え気味だった口調も、段々と荒いものになっていく。
「なんの権利があって俺達の生活を脅かす? お前は昔からそうだ。いつでも自分が正しくて、一番偉いと思っていやがる!」
襟首を掴んだまま、どんっ、とレイモンドの体を壁に押し付けた時、子供の泣き声が上がった。次いですぐ後ろの階段から、子供を抱いた女性が降りてくる。
「あなた?」
「あ、ああ。すまん。なんでもないんだ」
レイモンドから手を離し、取り繕うように笑いながら、男は不安げな女性の肩を抱く。理由を求めるように男とレイモンドとを交互に見る女性に、レイモンドは小さく会釈をした。
「俺は…」
男の名前をいいかけて止める。妻の肩を抱き、固い表情でレイモンドを見るかつての仲間が、盗賊家業から足を洗ってまっとうな生活をしているのは知っている。
(今は何と名乗っているのか聞くのを忘れたな…)
自分の間抜けさに苦笑して頭を掻く。すると目眩に襲われた。壁に背中を預けて、ずるずると床に尻をついた。
「レイ!」
自分だって辛いだろうに、素早く体を支えてくれたアレクシアに大丈夫だと言おうとして、また目眩に襲われる。
「いい。喋るな」
片手でレイモンドを支えながら、アレクシアは自分とレイモンドのフードを外すと、床にしゃがんだ姿勢で夫婦の顔を交互に見詰めた。二人が怯むほど、真っ直ぐな眼差しで。
「早朝の不作法をまずお詫びします。わたしはアリアハンのオルテガの子、アレクシア。彼は友人のレイモンド。魔王討伐の任を受け、旅をしています」
どう事情を説明したものかと息を接いだアレクシアは、苦笑するレイモンドを見て、用件だけずばり伝えることにした。レイモンドを支えた不自然な姿勢で、出来る限り低く頭を下げる。
「迷惑をかけて申し訳ない。三日食べていないんです。何か食べさせてもらえませんか!」
広くもない台所に大人が4人。テーブルには溢れんばかりの皿が並んだ。決して裕福ではないだろう暮らしの中でのこの料理。おそらく食料棚はこれで空っぽだ。そんなことに気づいたのは、心尽くしの料理を全て胃袋に収めてしまってからだった。
「助けていただいたのに、お礼も録に出来ません」
明日からこの一家の食事はどうなるのかと考えてアレクシアは青くなった。といっても食べてしまったものを返すことなど出来はしない。せめて謝礼を渡そうにも装備はおいてきてしまっていている。いつも持ち歩いている腰の皮袋には、たいした金額は入っていない。今はただ深々と頭を下げるだけだ。
「そんな…。いいんですよ。頭を上げてください」
もうすぐ1歳だという息子をあやしながら、妻は笑う。
「いい食べっぷりで、作り甲斐がありましたもの」
一緒に食事を摂りがてら、妻はいろいろと自分のことを語った。元は大家族で賑やかだったから、夫以外の人と食事をするのが楽しいのだと。たくさん居た家族がどうなったのかについては口にしなかったが、聞かなくとも想像はついた。
楽しそうに語る妻に反して、夫のほうは終始むっつりと押し黙っていた。
「礼どころか迷惑ばかりだ」
「フィン!」
悪態をついた夫を妻がたしなめただけなのだが、レイモンドはぷっと吹き出した。アレクシアは不思議そうに、フィンと呼ばれた夫のほうは忌々しげにレイモンドを見る。
(アーミン(オコジョ)が伝説の騎士様(フィン)かよ…)
「おい…」
レイモンドの一人笑いに明らかに気分を害している風のフィンを気にして、アレクシアはレイモンドの脇を肘でつついた。
「ああ、すまん」
ひとつ咳払いをして、レイモンドは組んだ手の上に顎をのせた。悪戯っぽい、というには邪気のありすぎる笑みでかつての友を見据える。
「食事の礼をさせてくれ。俺達には懸賞金がかかってるはずだ。城に通報すれば、金貨の一袋くらいにはなるはずだぜ」
突然何を言い出すのかと、フィン夫妻は勿論アレクシアも目を見張った。
いくら生活に窮しているとはいえ、自分を頼ってくれた友人を売るなど出来ないと首を振るフィンに、レイモンドは冷静に現状を説いた。食べたのは自分達なので、どの口で説法するのかというのは棚にあげる。食糧もない状態で、乳飲み子抱えてどうやって生活していくのかと。
最終的には不敵に笑って、
「どのみち城には乗り込むんだ。迎えに来てもらった方が楽でいい」
と嘯いた。
それから半日後、フィンの家に武装した兵士たちがやって来た。
兵士はフィンから二人の男女を繋いだ綱を、フィンは兵士から金貨の袋を受け取った。
所々舗装の剥がれた石畳の道を、見物人を威嚇しながら兵士が罪人を城へと引いていく。
いつの間にか振りだした雨が、ざわめく人々の声を書き消して、砂礫と一緒に押し流していった。