ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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32−3

 あれから――ホビットのいた塔を出てからというもの、アレクシアは顔を俯け黙り込んだままだ。
 レイモンドは何度か後ろを振り返っては話し掛ける機会を伺っているのだが、アレクシアの纏う空気が重た過ぎて、その度躊躇してしまう。
 気にするな、というのは簡単だ。おまえの出事がなんであれ、おまえであるということに変わりはないと。
 アレクシアとてわかっているのだろう。アレクシアが気に病んでいるのは、あの時彼女が呟いた通り、彼女を勇者オルテガの娘と信じ着いて来た仲間達のことだ。特に利き腕を失ったセイの。
 悔やまれてならないのだろう。
 もし自分がオルテガの子供でないのなら、勇者などと呼ばれるものでないのなら、旅に出ることなんてなかった。友人を、危険にさらすことなどなかった。セイは、腕を失うことなどなかったのだ、と。
 頑なな沈黙を続けるアレクシアに、レイモンドは隠す事なくため息をついた。
 アレクシアがオルテガの子供でないなら、確かに旅に出る必要はなかったかもしれない。強要されることなく、彼女は普通の女の子として生活していたことだろう。
 けれどセイがアレクシアに同行したのは、彼女がオルテガの子だったからではないはずだ。
 ディクトールなんかはおまえに惚れてるからついてきたんだし、と呟きかけて、レイモンドは咳ばらいをひとつした。
 それから、なぜそれを指摘してやるのを拒む必要があるのかと苦い表情になる。考えまいと頭を振るが、一度浮かんで来た感情は、なかなか頭から離れていかない。

「どうした!?」

 緊張した声で呼ばれた時、はじめてレイモンドは自分が低く唸っていた事に気がついた。無意味に髪の毛の中に手を突っ込んでいたので髪もぐしゃぐしゃだ。

「魔物か?」

 アレクシアが周囲に気を巡らせるが、それらしい気配は感じられない。それもそのはずだ。トヘロスで魔物は寄って来られない。レイモンドが唸っていたのは全く別の理由に因るものなのだから。

「いや…」

 眉間のシワを揉みほぐし、今度は照れ隠しの意味で髪を掻き交ぜる。ついでに、乱れた髪を撫で付けて体裁を整えた。
 なんでもない、と言いかけてやめる。不振な挙動を言い訳するにはうってつけの気配が、すぐ近くに感じられたからだ。
 オリビアの岬ではないことだけは確かだが、こんな深い森の中に<鷹の眼>に引っ掛かるものがあること自体おかしい。
 建物か、洞窟か。なんにしても雨風を凌ぐにはちょうどいい。
 本当なら、ホビットのいた塔に宿を頼めればそれでよかったのだが。

「誰かさんが飛び出しちまったからな」

 どこを、とは言わないまでも、意味するところは十分伝わった。アレクシアの頬が恥じらいに赤く染まる。ぷっと唇を小さく尖らせて横を向く仕種などはまさに女のそれだが、アレクシアは気付いていないのだろう。
 レイモンドは眼を細めて、そんなアレクシアの様子を伺った。このレイモンドを見るものがいるとすれば、10人中8人は、それを好ましいものを見るときの表情だと感じるに違いない。

「じき日が暮れる。少し急ぐか」

 わかったと同意しかけたアレクシアは、上げた顔をすぐに横に逸らした。訝しげに首を傾げるレイモンドは、自身が浮かべていた表情に気付いていなかった。



 日が暮れる前にアレクシア達はそこにたどり着くことが出来た。
 ほぼ真上に顔を上げてもまだ見えない頂き。天にさえも届きそうなほど背の高いその巨木の樹齢がどれほどになるのか想像すらできない。
 神々しいまでの威容を前に、アレクシアたちは言葉を無くしてただ木を見上げ立ち尽くしていた。
 そっと触れた幹からは、温かな何かが流れ込んでくるようだ。
 ツンと鼻孔から眉間に込み上げて来た衝動を堪えても、潤んだ瞳はごまかせない。しきりに瞬きをすることで、どうにか涙を乾かそうとするが、果たしてうまくいったかどうか。
 顔を俯かせたまま、ちらりと視線だけ上向けると、レイモンドもアレクシアから顔を背けて眉間を揉んでいる。どうやら同じような状況らしい。

「…なんだよ」

 不機嫌さを装ったぶっきらぼうなその声が、照れ隠しだとアレクシアにはなんとなく理解できた。

「なにが」

 と言葉を発して気付いたのだが、どうやら笑っていたらしい。レイモンドの不器用さを垣間見た今、その笑みはより深くなっている。

「だから、何笑ってんだよっ」

 振り向かないところを見ると、レイモンドはうまく表情を取り繕うことがまだ出来ていないらしい。
 別にいいのに。とアレクシアは思う。
 いまさら泣き顔なんて、隠さなくたっていいじゃない。と。
 だって世界樹はわたしたちにとって母の胎内も同じ場所なのだから。懐かしくて涙するのは当たり前でしょう?

(――え?)

 当然のようにかすめた思考に愕然とする。

「世界樹…」

 呟いた瞬間、木肌に触れた掌から記憶の奔流が流れ込んでくる。無意識に、アレクシアはか細く悲鳴を上げた。そうしなければ、「アレクシア」としての存在が掻き消されてしまいそうで。

 切れ切れの映像。
 言葉にするには難しい、胸を押し潰されそうな感情の数々。
 白い大きな鳥。
 慈母神。
 雷に撃たれ、大地に縫い止められた神。その体を貫いて延びた、世界を繋ぐ大樹。その果実から、生まれた乙女。
 瞳を開き、目にしたのは――


「アレク!」

 視界に飛び込んだのは、金色の髪が鮮やかな美しい青年で、記憶にある彼とは少し面差しが異なるようだ。わずかに首を傾げながら、その青年を呼んだ。
 ロト、と。

「っ!」

 アレクシアの肩を掴む指が鎧越しにも痛い程力を増す。一層がくがくと揺さ振り、レイモンドは再度アレクシアの名を呼んだ。

「アレクシア!!」

 これで正気にもどらなければ平手を張ってやるとレイモンドが心に決めた時、音がするほどはっきりと、アレクシアが息を飲むのがわかった。

「…レイ」
「ああ」

 肯定の、というよりは安堵のため息に近い。

「わた、し?」

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたアレクシアに、レイモンドは大丈夫かと声をかけ、その場にしゃがませた。貧血でも起こしそうな顔色をしている。倒れられてはたまらない。
 手を引かれるままにその場に尻を着いたアレクシアは、混乱する思考に必死に折り合いを付けようと頭を抱えた。

「混ざったな」
「ああ」

 わざとからかうような物言いに、アレクシアも苦笑いで返す。
 自我を乱されるということが、喜ばしい出来事であるはずもなく、アレクシアは辛うじて舌打ちを堪えた。
 寝ているうちに見る夢ならまだわかる。けれど意識のあるうちに突然意識を乗っ取られるというのは、堪え難い恥辱だ。

「レイ」

 言いながら尻を上げる。大丈夫かとレイモンドの視線が語りかけて来たが、アレクシアは大丈夫だと首を振った。第一、雪で湿った地面になど座っていられない。ズボンに張り付いた泥や枯れ葉を叩き落とすアレクシアに、レイモンドもそれを悟ったらしく、すまなそうに眦を下げた。
 マントでも敷いてやればよかったのだろうが、そこまで気が回らなかった。
 数日前のアレクシアの手並みを思い出し、レイモンドは素直に反省しておく。勿論、心の中で。次同じことがあれば、その時は間違えない。

「これ、世界樹なんだ」

 幹を叩きながら、アレクシアは言った。言われてレイモンドも木を見遣る。
 一目見て、幹の外周が計れない程巨大な木だ。<鷹の眼>に引っ掛かったのも納得である。他の木々とは規模が違いすぎる。それにアレクシアが言うのが本当なら、木自体に魔力が感じられて、仮に他の木々と同じ大きさだったとしても、やはり<鷹の眼>には反応しただろう。とはいえ、現段階では何故この木が<鷹の眼>に反応したのかレイモンドには決め手がない。
 だから俄かには信じられなかった。その葉を与えれば死人を生き返らせることすら出来るという伝説の霊薬。そんなもの、お伽話だと思っていた。現実に存在するはずがないと。

「世界樹?」

 小ばかにしたようなレイモンドには構わず、アレクシアは言葉を続ける。

「覚えがないか? 精霊は、世界樹の実から肉体を与えられた」

 語る声に熱がこもるのは、世界の神秘に触れたからか、それとも、己のルーツに立ち返った感動か。

「俺は精霊じゃないから」

 解らないし、興味もないとレイモンドは言う。
 わざと冷たい言い方になるのは、レイモンドが“混ざる”人格を認めていないからだろう。
 そうだな、と苦笑して、それから表情を引き締めて、アレクシアはレイモンドを見上げた。

「世界樹だよ。セイの腕が、治るかもしれない」
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