ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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38-2

 アレクシアは、放置されて久しい廃屋に身を潜めていた。
 王城から程近い、石造りの立派な屋敷だ。小さな城、と称してもいいかもしれない。いつ衛兵が雪崩れ込んで来るか気が気ではないが、怪我をしているレイモンドを連れては、遠くまで逃げることは出来なかった。
 どんな経緯で手放されたのかは解らないが、それなりの身分の人が住んでいたのだろう。人目を避けるが故に暖炉に火を炊くことは出来ない。それでもなんとか寒さを凌げたのは、城内に蓄えられた毛皮や毛布のお陰だった。水路も壊れず残っていたので、飲み水にも困らなかった。
 森での戦闘から二日。レイモンドは時折蜂蜜を溶かした水を口にするだけで、後は眠り込んでいる。傷はベホイミで癒したが、体力まで戻るわけではない。眠るのが今は一番の治療なのだろう。呼吸は安定しているし、快方に向かっているのは確かなようだ。
 ただ、装備を置いてきたのが悔やまれた。レイモンドが持っていた保存食ももう尽きる。森に入れば木の実や小動物が捕れるかもしれないが、衛兵に発見されるリスクを冒すことになる。それに、レイモンドを置いては行けなかった。

(どうしたものかな…)

 レイモンドが寝ているベッドに寄り添うように膝を抱えて、アレクシアはため息をついた。
 ディクトール、リリア、ゼケットや地下牢に幽閉されていた人達の事も気になる。自分達の無事も伝えたい。救えなかったミアの事も…。

(あの眼)

 ミアの事を思うと、臓腑を捕まれたような、なんとも言えない悪寒が走る。
 自分に向けられた純粋な悪意。誤解だと訴えても、アレクシアの言葉はミアの前では何の力も持たなかった。ミアが聞く耳を持たなかったのもある。それに…
 ミア=トロルが標的をアレクシアからレイモンドに変えた時、アレクシアは咄嗟にライデインを放った。傷付いた仲間を守るためだ。あれがディクトールやリリアでも同じことをしただろう。それでも、思ってしまったのだ。レイモンドを失う恐怖を。
 ミアの言う通りなのかもしれない。口ではただの仲間だと、何でもないと言いながら、アレクシアの中でレイモンドがそれ以上の特別な何かになっている。だからミアを説得することができなかったのではないのか。
 気付けば、アレクシアは膝の間に顔を埋めていた。自分が作った影の中に、知らず知らず呑み込まれていく。

(わたしが、ミアを)

 殺したのだと、呟きかけた時、アレクシアの頭に軽い衝撃が走った。驚いて顔をあげると、憔悴しきったレイモンドと目が合う。

「なんだ…起きてたのか」

 掠れて殆ど声にならない声で、レイモンドは皮肉っぽく言った。こんな状態でも悪態を吐く余裕があるのかと、アレクシアは苦笑する。

「具合は?」
「腹、減ったな」

 答えになっていないが、こんな会話すら今までは出来なかった。何度か瞬きして、天井を見上げるレイモンドの眼差しは、はっきりとした意思を宿していた。

「水しかないよ」

 ほっと安堵の息を吐き、尻に付いた埃を払いながら立ち上がる。
 何か探してくると、一言断りを入れて、アレクシアは部屋を出ていった。
 残されたレイモンドは、未だ休眠状態にある脳細胞に渇を入れるように、一度ぎゅっと瞼を閉じると勢いよく開いた。その勢いのまま体を起こそうとし、すぐさま考え直す。そんなことをしたら貧血でまたベッドに逆戻りだ。この数日、自分に起きた事柄を頭の中で順に並べて、レイモンドはゆっくりとベッドに半身を起こした。
 回りを見る。見覚えがあるような気がした。ゼケット達と会った隠れ家に、こんな部屋があっただろうか。

「よっ、と」

 寝たきりだった為にあちこち痛む体を、曲げたり伸ばしたりして解してやりながら、レイモンドはベッドから下りた。着替えを求めて、ベッドの周りを見回すが、手荷物をまとめた袋がない。アレクシアが別の場所に置いたのだろうか。

「まぁ、いいか…」

 見れば部屋には箪笥がある。漁れば何か出てくるかもしれない。
 ふらつく足に無理をさせて、立派な箪笥に取り付く。扉を開けて直ぐに、目当てのものがないのはわかった。この部屋の主人は女性であったらしい。
 それでも盗賊の性か、つい金目のものを探してしまう。
 箪笥の規模に比べれば、収納されていた衣装は少なかった。
 金作の為に売り払いでもしたのだろう。調度品の質の良さに比べて明らかにアンバランスな、粗末な衣服が疎らにしまわれている。そういえば、家財もよくよく見れば不揃いだ。
 貴族が事業に失敗して身を崩していく事など、どこの国でも聞く話だ。それがこのサマンオサとなれば、尚更珍しくもない。貴族の末路を想像するのも簡単だ。どこにでも転がっている、見飽きた事象。三文芝居にすらならない。
 それなのに、レイモンドは手に汗をかいていた。小刻みに震える手が、化粧台の引出しから出てきた木箱を取り出す。稚拙な彫刻が施された木箱は、誰の目にもガラクタだ。他にも宝石箱はあるのに、中身が入っていたのはこの木箱だけだった。
 箱に、いわゆる錠は掛かっていない。箱の構造自体が錠になっていて、パズルを解くように順にブロックを動かしてやれば蓋は開く。仕掛けも子供騙しの稚拙なものだ。幾多の宝箱を開けてきた盗賊には鍵と言える鍵でもない。けれどそれ以前に、レイモンドはこの仕掛けを知っていた。

「…はっ」

 吐息のような笑いが漏れる。おもちゃ同然の箱の中、大切にしまわれていたのは、変色した数枚の紙切れ。乱暴に触れれば破けてしまいそうな安物のそれを、レイモンドはそっと箱から取り出した。
 『ママ』。のたうつような幼児特有の解読困難な文字で綴られた単語はそう読めた。これまた笑えないほど下手くそな絵が描いてある。黄色く塗り潰されたのが髪で、緑色の丸いのが目。こんなの人間じゃねぇよ、と破り捨てたくなるような肖像画でも、我が子が描いたとなれば嬉しいのだろうか。宝物のように、大切にしまいこむほどに。
 恥じるような、小バカにしたような笑みが唇の端に浮かぶ。しかし次の瞬間、レイモンドは表情を失った。子供の落書きのすぐ下に、弱々しい筆圧で綴られた手紙を見付けたからだ。
 誰が誰に宛てた手紙か、開かなくても解る。
 読みたくない。読んではいけない。けれど意思に反して目が字を追う。
 亡き母が遺した唯一の言葉。犯罪者の妻として国に疎まれ、薬に逃げた、母親であることを放棄した、弱く愚かで自分勝手な女。憎い女。母親だなんて、思っていない。あんな女の事、今更何とも思ってなんかいない。

 なのに…

「レイ?」

 躊躇いがちに掛けられた声にびくりと体が震えた。有り得ない事だが、アレクシアが戻ってきて居たことに気付かなかったのだ。

「レイ? どうし…」

 隣に並んだアレクシアが、レイモンドの手元を見て黙り込んだ。彼女もまた、屈託のない母子関係とは言い難いが、それでもレイモンドよりは余程健全な母子だったろう。

「今更こんなもん見付けてもな」

 冗談混じりに誤魔化すことも出来ただろうに、レイモンドは嘲けるように吐き捨てた。ぐしゃりと、手紙を握り潰す。

「最悪な女だった。母親だなんて、思ったこともない。下らない女だったよ」

 これ以上ないくらい、強く強く握り締めた掌の中で、紙がキシキシと悲鳴を上げている。

「うそだ」
「?」

 火が付きそうなくらい険しい眼差しを向けられても、アレクシアは表情を変えなかった。穏やかな笑みさえ浮かべて、アレクシアはレイモンドの拳に両手を添える。頑なに閉ざされた指を、一本一本開いていった。

「母親を意識しない子供はいない」

 くしゃくしゃになった手紙を丁寧に掌で伸ばしながら、アレクシアは「わたしもそうだ」と、苦笑混じりに呟いた。
 元通り、とはいかないが、綺麗に皺を伸ばして手紙を畳直すと、アレクシアはそれを油紙に包んでレイモンドの胸に押し付ける。

「何す…」
「持っていけ」
「は?」

 意味がわからないと眉を潜めるレイモンドを、アレクシアはまっすぐ見上げた。

「子供を愛さない母親もいない。本当はわかってるだろ?」

 ぐぅの音も出ないとはこう言うことか。
 何か言い返そうと口を開き、結局何も言えずに、レイモンドはただアレクシアを見詰める。青く蒼く。全てを曝け出し溶かしてしまう澄んだ水の色をした瞳。
 自然に、気付いた時には、レイモンドはアレクシアに口付けていた。
 柔らかな頬に触れた手を、放すのが惜しいような気がして、指先で輪郭をなぞるように手を離す。
 一度目は正気じゃなかった。お互い事故だ、忘れようという事で話を着けた。
 では、今回は?

「な、ん…っ」

 よくもそこまで大きくなるな、という所まで目を見開くアレクシアの鼻っ面を、ぴしりと人差し指で弾いてやる。

「お返しだ」
「わ、訳がわからん!!」
「じゃあ嫌がらせ」
「はぁあ!?」

 顔を赤くして喚くアレクシアにはもう知らないとばかり背を向けて、レイモンドは手紙の包みを懐にしまった。
 理由を自覚していない行動の意味を求められてもレイモンドにだってわからない。

「不味っ」

 これ以上その話題には付き合わないと背中を向けて、アレクシアがどこからか調達してきた木の実を一口かじりとってから、レイモンドは苦笑した。
 緑色の固いこの果実が食べ頃を迎えるのは、もいで1週間過ぎてからだと思い出したのだ。口中の苦さが過去の記憶を呼び覚ます。それを教えてくれた、優しい母の笑顔とともに。
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