ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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38.遺言

 ルーラの光が城壁から森へ落ちた。
 術者の魔力や技量に比例して、ルーラの飛距離、運べる総重量は変わる。魔力と、術のコントロール、移動先のイメージが出来れば、ルーラは時空をねじ曲げることさえ出来るそうだが、そこまで熟達したルーラの使い手はそうそういない。大抵のルーラ使いは、光の尾を引きながら空を飛んで移動する。
 アレクシアの場合も後者だった。それもあまり熟練してはいない。今回のような突発的な使い方では、移動先のイメージなど作れるはずもなく、視界に入った森に移動するのが精一杯だ。地面に激突しなかっただけマシとするべきだろう。
 ルーラを解除した途端、浮力が体から失われる。体がずしりと重たいのは、そのためばかりではないだろう。

「がはっ」
「レイ!?」

 腹を押さえて膝をついたレイモンドが吐き出した唾に、血泡が混ざっている。

「お前、ちったぁ加減てもんを」
「わたしじゃない! バカなこといってないで見せろ!」

 違うと言い切ってはみたが、不安が全くない訳ではないアレクシアだ。気遣わしげにレイモンドの横にしゃがみこみ、患部の様子を伺った。よくよく見てみれば、鎧には真新しい引っ掻き傷が出来ており、鎧下は流れる血でぐっしょりと湿っている。顔色が悪いとは思っていたが、こんなに出血しているとは気付かなかった。剣かそれに類するもので切りつけられた時の傷だろう。大地の鎧は自己修復したが、着用者の傷まで修復してくれるわけではない。

「口切ったのはお前のせいだろ」

 軽口を返せなかったのは、ベホイミの詠唱に入っていた為である。続けて2回。アレクシアは回復魔法をかけた。傷は塞がったが、この出血の様子では、歩くのすら辛い筈だ。
 本人の意思は確認せずに、アレクシアはレイモンドに肩を貸した。
 ちらりとアレクシアを見ただけで、レイモンドも何も言わない。半年前なら意地でも肩など借りなかっただろう。

「追手がかかる前に隠れないと」
「最近そんなのばかりだな」
「誰のせいだ」
「すまん」

 レイモンドが何故あんな場所で、あんな状況で戦っていたのか。レイモンドと行動を共にしていたはずのレジスタンス達がどうなったのか。そのレジスタンスに合流するようにと、別れたディクトールや街の人々の状況は?
 確認しなくてはならないこと、考えねばならないことはたくさんある。けれどそれは、まず自分達の安全を確保してからだ。
 ふらつきながらも歩き始めた二人は、五歩も進まないうちに歩みを止めた。木立の中から、なにものかが近付いてくる。獣ではない。魔物? それとも人間だろうか。判然としないが、枯葉を踏む足音は軽い。
 警戒する二人の前に姿を見せたのは、今朝早くにアジトで別れた若い女。

「ミア…?」

 疑問刑になったのは、目の前にいるこの女が、真実ミアという娘なのか俄に信じがたかったからだ。
 瞳は暗く淀み、快活な笑みを湛えていた頬には狂気が張り付いている。

「…ああ、ほら。やっぱりね」

 夢の中で語るように、女は呟いた。
 アレクシアとレイモンドは、以前ダーマで同じような雰囲気を纏わり付かせた男を相手にしたことがある。レイモンドに至っては今日、地下道でも遭遇している。

「やっぱり、そうなんじゃない。嘘つき」

 独り言のように呟かれる言葉は、まだ人としての意思を残しているように聞こえる。

「なんのこと」
「アレク、相手にするな!」

 返答如何では戻せるのではないか。こちら側へ。
 そんな一縷の望みをかけて応えたアレクシアを、レイモンドが鋭く制した。レイモンドの翠玉の瞳と、アレクシアの碧玉の瞳が交差する。
 もう間に合わない。こちらが万全でない以上、相手が異形化する前に殺してしまうべきだ。どうせ人に戻れないのだから、人の形をしているうちに、一思いに滅ぼしてやるのがミアのためにもなるのではないか?
 否。少しでも望みがあるのなら、それに賭けるべきだ。
 一瞬だ。本の一瞬。
 けれどその視線のやり取りだけで、狂気の沼の淵に立つ者の背を押すのには充分だった。

「ぐるぅうぁあぁぁぁ!!!」

 耳を被いたくなる雑音は、ミアの心が狂気に喰われる音だったのだろうか。悲鳴は直に布を裂くビリビリという音になり、それすら、生肉を引き裂く音にとって変わった。
 どこにでもいる町娘の姿が、ぶよぶよとした肉の塊に変わるまで、瞬き2回分の時間しかかからなかった。その間にアレクシア達が出来たことと言えば、腰の剣を引き抜きくことだけ。
 異臭を放つ息を吐き出しながら、トロルは周囲をぐるりと見渡した。それから自分を見下ろし、不思議そうに首をかしげた。
 恐らくトロルはまだ状況を把握していない。ダーマで遭遇したトロルより、魔物に近い変化をしたようだ。

「俺が引き付ける。お前は逃げろ」
「一人で立ってもいられないくせに、ふざけるな」

 お互いを庇いあうように、アレクシアとレイモンドは剣を構える。
 人間の、ミアであった時の記憶が、どれ程残っているのか。トロルが濁った瞳で二人を見た。瞬間、

「っ!!」

 巨体に似合わぬ速度で突っ込んできたトロルを寸前でかわす。さっきまでトロルのいた地面が抉れていた。巨体の、その重量と筋力故の速さなのだ。
 しかしそれだけだ。
 避けられない動きではない。動きは直線的で単調。目標はアレクシア。闇雲に拳を振るい、距離が開けば突っ込んでくる。だからアレクシアは、トロルの突っ込んでくる線上に、剣を突き立てればそれで方がつく。
 しかしアレクシアは、そうしなかった。

「ミア!!」

 本の数分前まで、人間だった彼女と話していた。服を貸してくれた、人懐っこく笑う彼女の笑顔を覚えている。

「ミア!!!!」

 ぶぅん、と音をたてて振りおろされた右の拳を上体を反らして避ける。左から振るわれた拳はバック転の要領でかわした。アレクシアは防戦一方で攻撃する素振りもない。出来ないのではない。しないだけだ。

「ちっ」

 レイモンドは舌打ちした。動かない自分の体と、アレクシアに対して。

「反撃しろ! 殺されるぞ!」

 声を張り上げるだけで目眩がする。剣を構えて立ってはいるが、振りかぶることは出来そうにない。

「だけど…っ」

 アレクシアが逡巡するのはわかる。レイモンドだって知り合いの若い女を殺すのは気分が悪い。
 しかしだ。

「アレク!」

 トロルの拳は、アレクシアを捉え始めていた。
 拳の引き戻しが早くなって、体捌きだけでは避けきれなくなったアレクシアが長剣の腹でトロルの拳を受ける回数が増えている。

「ミア!」

 それでも、アレクシアはミアの名前を呼ぶのをやめない。攻撃しようとする素振りもない。

「諦めろ!」

 レイモンドの言葉にアレクシアは顔をしかめた。アレクシアにだってわかっている。けれどまだ、何か策があるのではないか? 時間があれば、彼女をもとに戻せるのではないのか?
 アレクシアはトロルから距離をとって、魔法の詠唱を始める。悪足掻きだと言われようが、諦めてたまるか。幼馴染みの戦士の顔が、ちらりと脳裏を掠めて過ぎた。

(諦めるな! わたしが助けるから!!)

 大きく飛び退さって呪文を唱える時間を作る。アレクシアが唱えているのはラリホーだった。時間のかかる呪文ではない。これまで何度となく唱えてきた呪文だ。トロルが突っ込んでくる前にラリホーは完成できる。

「汝の体は眠りを」

 あと一言、あと一言で発動する。−−はずだった。

 ぴゅい、と、風を切る音がした。
 口笛の音に誘われたかのように、アレクシアが見ている前で、トロルは不意に向きを変えた。

 トロルは獲物が二匹いた事を思い出した。それも、片方は今にも息絶えそうに弱った獲物だ。ちょこまかと逃げる獲物より、手っ取り早くこちらから片付けよう。そう思ったのかもしれない。
 ニタリと、トロルが笑う。口笛を吹いたレイモンドもまた、にぃ、っと口角を持ち上げ笑った。

 レイモンドが気怠気に剣を構えたのと、トロルが地面を蹴ったのと、どちらが早かったのだろう。トロルの背を追いかけたアレクシアの剣は間に合わない。瀕死のレイモンドに、トロルを凌げる筈もなかった。アレクシアが次に目にする光景は、トロルの爪に引き裂かれ、内臓をぶちまけたレイモンドの無惨な姿に違いない。

(嫌だ!!)

 何を思うより先に体が動いた。左手の中に生まれた槍を放つ。狙いは誤つ事なく、トロルの心臓に突き刺さる。
 トロルは痙攣して前のめりに倒れた。倒れた向こうにレイモンドが現れる。死人のような蒼白な顔色で、レイモンドは苦笑した。

「なんて面してんだ。ばか」
「…うるさい」

 掠れた声で精一杯、虚勢をはる。泣きたいのか、怒りたいのか、アレクシア自身にも解らなかった。剣を鞘に戻して、乱暴にレイモンドに歩み寄り肩を貸す。二人とも無言で、目すら合わせなかった。
 森に向けて歩み去るアレクシアが、一度だけ背後を振り返ったのを、レイモンドが前に向け直す。
 雷が落ちて、焼けた大地に、少女の遺体が、黒く焼け焦げた身を横たえていた。
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