ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
45ページ/108ページ

37-2


 混戦だった。
 陣形は崩れてしまった。今は辛うじて魔物が殺到するのを支えているが、壁が完全に崩れるのも時間の問題だろう。数も質も、この魔物の巣窟に挑むには不足だったのだ。

「抜けるぞ」

 いつの間にやって来たのか、ベンがリリアの横に並んだ。もうリリアたちの他には誰も残っていない。僅かに首を頷かせ、サーディを挟んで走り始める。ベンの先導で奥へと進む。あまりに淀みなく進むものだから、リリアは道ではなく、ついベンの背中を追い掛けてしまったのだが、これで迷ったなどと言おうものなら目も当てられない。しかしどうやら、杞憂だったようだ。
 サーディが息を切らして膝に手をついた頃、目当ての部屋に辿り着いた。
 後ろを伺うが、幸か不幸かなんの気配もやってこない。サーディの息が整うのを待って、ベンは目の前の扉を開けた。

「ちょっ…!?」

 護衛を買って出たからには、最後まで面倒を見る義務がある。サーディに何かあってはいけないと、先に中を伺ったリリアは、扉に手をかけた姿勢で息を飲んだ。
 一歩踏み出しかけた足を、慌てて戻す。扉の中には、本来あるべき床板がなく、ただ黒く、奈落の闇が口を広げていた。どんな仕掛けになっているのか、部屋の中央には台座が置かれ、その上に一抱えはありそうな鏡が捧げられていた。
 助走をつけて飛び付くには、台の方に足場が無さすぎるし、距離が開きすぎている。犠牲を払ってここまで来たのに、目的のものを手に入れる手段がない。ただ指を啣えて見ているしかないだなんて。
 ぐっと唇を噛んだリリアを、サーディがそっと押しやった。訝しげに見るリリアに頷くと、サーディはすぅ、っと深く息を吸い込んだ。

「ケルタ アーミッティムス ドゥム インケルタ ペティムス…」

 耳慣れぬ旋律が吟遊詩人の口から流れる度に、部屋中に魔力の輝きが満ちて行く。闇が這う床に黄金の板が張られ、段々と厚みをまして行くのがわかる。代わりにサーディの顔色は、見る見る蒼白になっていった。
 本来ならばサーディが取りに行くべきところだろうが、この様子では無理だろう。
 詠唱を続けるサーディを横目に、リリアとベンは支度を進めた。もしものことを考えれば、身軽なベンが行くべきかとも考えたが、身の軽さ位でどうにかなる高さではない。リリアが行き、もしサーディが途中で力尽きたら、リリアの腰に巻いた命綱をベンが引き揚げることになった。

「いいか」

 目を開けている事も出来なくなり、今にも倒れそうなサーディを支えながら、ベンがリリアを促す。無言で頷き、そろりと床に足を乗せる。足の裏に伝わる、意外にしっかりした感触に驚きながら、意を決してリリアは部屋の中央に走った。

「急いでくれ!」

 言われなくとも急いでいる。こんなところで転落死なんて冗談じゃない。
 大した距離ではないとはいえ、こんな本気で走ったのはいつぶりだろう。最後の一歩は幅跳びの要領で一気に距離を詰めて台座に飛び付く。
 真紅の天鵞絨の敷き布の上に置かれているのは、鈍色をした金属盤で、とても鏡だとは信じられない。曇った鏡面は、相当丁寧に磨いてやらなければ、再び光を反射しなさそうだ。

(本当にこれが?)

 サマンオサ王家に伝わる、由緒正しい魔法の品ならば、曇ることなく燦然と輝いていても良さそうなものだ。偽物なのではないかという疑念が沸き起こるが、今審議のほどを云々している暇は無さそうだ。

「リリア!」

 切羽詰まったベンの声に、リリアは鏡に手をかけた。その途端――

「!?」

 銀色の光がリリアの目を刺した。細めた視界に鏡が写る。鏡面に写し出された姿が。
 声を上げることすら忘れて、リリアは鏡を敷き布で包むと、しっかり縛って胸に抱えた。鏡に何か写り込まないように、しっかりと。

「何してるんだ! 急げ!」
「今いくわよ!」

 わざと乱暴に怒鳴り返したのは、声の震えを悟らせない為だ。それでもリリアは、すぐに振り返ることができなかった。振り返って、ベンがおかしな表情をしたらどうしたらいい?

「おいっ」

 ベンの声に焦りが滲んでいる。さっきからサーディの詠唱は小さく、今にも途切れてしまいそうで、リリアの足下も心無し薄れたような気がした。
 意を決して戻り始めたリリアは、ほっとするベンの表情に、内心ベン以上に安堵した。
 リリアが床を蹴って廊下で待つ二人のもとに辿り着くのと、サーディが力尽きて床が消えるのが同時だった。
 取り敢えず無事に戻れたことに額の汗を拭う。

「ご苦労だったな。助かった」

 気を失ったサーディを壁にもたれさせると、ベンはリリアに包みを寄越せと手を伸ばした。

「本物かしらね?」

 包みをベンに手渡すのは躊躇われた。わざと軽口を聞いたのは、先程見た映像をまた見ることになるのではないかと恐れるからだ。

「これだけ苦労して、偽物を掴まされるなんて間抜けな話だな」

 勘弁してくれと肩を竦めて、ベンは包みを受け取った。リリアの内心の焦りなど解るわけもなく、躊躇なく鏡を取り出す。鏡を裏返したりなぞったりした後で、ベンは懐から手帳を取り出した。
 リリアが、鏡に写らないように注意しながら、ベンの手元を覗き込むと、ベンは手帳に書き込まれた図案と、鏡の縁に描かれた図案とを並べて見せた。

「太陽神ラーの紋章だ」

 太陽を図案化した紋章と、文字らしきものが並んでいる。太陽神ラーを表す古代文字なのだが、流石のリリアにもそこまではわからない。ただ、以前ランシールで手に入れた横笛に、似たような模様が描いてあったのを思い出した。
 ベンは曇った鏡面を袖で拭って、相変わらず何も写さない鏡面に満足そうに頷いた。

「本物だ」

 なんの根拠があるのか知らないが、自信たっぷりに頷く。元通り布で鏡を包み直すと、ベンは大事そうにそれを袋にしまった。

「犠牲が出てしまったのは残念だったが、目的を果たせたのがせめてもの救いだ」

 青い顔で苦しそうに息をしているサーディを脇に抱えると、ベンはリリアに、脱出しようと言った。リリアは返事の代わりにリレミトを唱える。戸外に出ても、胸を透く清涼な空気を吸うことは叶わない。一息着くこともせずに、リリアは立て続けにルーラを唱えた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ