ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 街の人々が逃げ惑い、もみくちゃにされた結果、仲間とははぐれた。
 神父と喪主の母子だけが残された墓場で、ディクトールは逃げなかった。近付いてくる馬蹄に怯むことなく、馬上の憲兵を穏やかに見上げる。

「この騒ぎを起こしたのはお前だな」
「騒ぎを起こしたのはあなた方でしょう」
「なに!?」
「わたくしはただ、亡くなった方の為にお祈りをしただけです」

 例え憲兵が武器を抜いたとしても、ディクトールは眉毛一本、動かすことはなかっただろう。

「祈りだと?」
「その男は、異端の神を奉じるものです!」

 神父の叫びには、ディクトールを援護する響きがある。憲兵の中には、明らかな動揺が走った。彼等も街の人々同様、芯まで異端に染まっている訳ではないのだ。
 憲兵の隊長らしい男は、ちらりと副官らしき横の騎士を見た。信頼する部下に向ける眼差しではない。副官だけが他の憲兵とは異なり、面白そうにディクトールを見ていた。

(この騎士…)

 ヒトではないのではないか。
 直感的に思った。証拠はない。ただの勘だ。

「その紋章、ミトラの司祭殿か」
「はい。旅の僧侶です」

 苦々しげに、隊長はそうかと頷いた。背後の部下に合図して、ディクトールに縄を打てと命令する。

「どういう訳でしょう?」

 素直に両腕を縛られながら、ディクトールは隊長を見上げる。隊長は応えず、面貌を卸して顔を隠してしまう。そして何も言わないまま馬首を城へと反した。
 ディクトールに縄を打った従卒は、少し馬列から距離を空けてディクトールを連行する。

「これは、独り言です」

 従卒は、まだ若い。しかしその顔には、苦渋と疲労が黒々と染み付いていた。

「王は狂っています。もう何年も前から。数年前から異形の神を奉じるようになりました。王は悪魔に魂を売ったのです。騎士の中には、王が放った悪魔が紛れ込んでいます。司祭様、どうか我々を、この国をお救いください」

 ディクトールは相変わらず表情を変えることなく、自由を奪われた両手で小さく聖印を切った。

「あなたの勇気と優しさに、神のご加護を」

 歯を食い縛り、嗚咽を堪える従卒に手を引かれながら、ディクトールは城まで連れて行かれた。魔法を使えば、逃げ出すのは簡単だ。しかしそれでは、この従卒は只では済むまい。街も戦いに巻き込むことになる。

(城に潜り込めた分、良しとするか)

 捕まっても、この従卒や憲兵隊長のような人物がいるなら、そこまでの窮地に立たされることはないだろう。ディクトールが本気で逃げ出そうと思えば、魔法を封じられない限りはなんとでもなる。そして今のディクトールは生半可なマホトーンにはかからない自信があった。
 気になるとすれば、仲間たちの安否だが、街中で大した騒ぎが起きていないところを見ると、逃げ延びたか、ディクトール同様素直に捕まったかしたのだろう。

(捕まった方が、楽に合流も侵入も出来たんじゃないか?)

 不埒な事を考えながら、ディクトールはアレクシアの瞳を思わせる空を見上げた。



 逃げろと言われた時、リリアはアレクシアの後を追おうとした。けれど小柄な彼女は人垣に阻まれ、波に飲まれて、気付けば一人見知らぬ路地に取り残されている。リリアを翻弄した人々の群れも、何処へと散って見る影もない。

「どうしてくれるのよ〜」

 文句を言えども聞くものも居ない。腹いせに道端の小石を蹴飛ばして、リリアは大きなため息をついた。

(隠れ家に行ってみようか?)

 しかしどこにあるのか解らない。人に尋ねて解決するものでもないだろう。

(騒ぎを起こして見つけてもらう?)

 また憲兵に追い掛けられるのはごめんだ。
 リリアが二度目のため息を吐いたとき、路地裏からいかにも曰くありげな男が、仮面のようににこやかな笑みを満面に張り付けて、リリアの前に現れた。

「お嬢ちゃん、お困りかい」

(お嬢、ちゃん?)

 リリアは背も小さく、実際「お嬢ちゃん」呼ばわりされても不自然ではない年齢ではあるのだが、魔術師としての自負がある。旅に出てから、否、出る前から、子供扱いなどされたことがない。
 軽く眉をはねあげたきり、リリアは男が喋るに任せた。自分が何も解らないときは、何も言わないのが定石だ。

「お嬢ちゃん、よそ者だろう」

 断定の問い。これにもリリアは答えない。男の目が、値打ちものを見る商人の様に細められた。

「さっきの騒ぎ、ありゃああんたか?」

 これには答えねばならないだろう。リリアを伺う男の目が鋭く光る。リリアは首を振った。言葉は選ばねばならない。相手が何者かも解らないのだ。下手なことは言えない。けれどこんな場所で、いつまでも腹の探りあいなどやっていられない。元来、リリアは堪え性のある性格ではない。博打打ちの様な性分であると自覚しているし、更には自分の勝負強さには自信があった。

「巻き込まれたの。ねぇ、おじさん。着いたばかりでへとへとなのよ。どこか休めるところはないかしら? お腹もぺこぺこなのよ」

 平らな腹を撫で下ろし、困っていますという顔で男に微笑みかける。勝負強さ同様、容姿にも自信がある。大抵の男は、これで親切をしたくなるものだ。
 けれど男は、リリアに微笑まれても、だらしなく鼻の下を伸ばしたりはしなかった。こういう場合は、注意が必要だと言うことも、リリアは経験上知っていた。
 男は現れた時から微塵も表情を変えぬまま、「それはご苦労だったね。それならば、ちょうどいいところがある」とリリアを手招いた。
 逃げるにしても情報が必要だ。どうしようかと迷ったが、リリアの勘はこのまま男に着いていけと告げている。芝居でもなんでもなく僅かに逡巡した後で、リリアは男の後に続いた。

「お嬢ちゃん、どこから来たんだ。一人か?」
「まさか! 一人でなんか来られるわけないじゃない」

 来られたかもしれないが、少なくとも船は一人では動かせないし、サマンオサまでの抜け道も知らない。だから、嘘はついてない。

「そりゃあそうだ」

 男は景気よく笑った後で、再び目を細めた。この目付き。明らかに堅気ではない。

「サマンオサには何のようで?」
「商用ね。詳しいことは秘密」

 見てわからないかと両手を広げてみせると、男はどこか納得したようだ。
 商人や何かの付き添いと言うことにしてもよかったが、自分の服装を考えてやめた。今時、旅人は少ない。ましてや若い女の旅人など皆無に等しい。それが軽装とはいえ武装しているとなれば、素人だと言う方が疑念を招く。それに冒険者だと言った事で、あとで何とでも理由を繕う事ができる。それに、冒険者であることは嘘ではなかった。
 冒険者なら、諸国を漫遊していても不思議はない。出身地などあって無いようなものだ。それでも、アリアハンの名前は出したくなかった。鎖国していたとしても、アリアハンの勇者が打倒・魔王の旅に出たこと位は知っているだろう。どこからどう情報を結び付けて、リリアの素性がバレるかわかったものではない。
 バレたからどうなるかもわからないのだが、とにかく今は、状況を把握して、アレクシアたちと合流する。それには先ず、空腹を満たし、体を休めることが必要だった。
 と、不意に、きゅるる、と空腹の訴えが思いの外大きく鳴り響いた。

「本当に腹が減っているんだな」
「だっ、だからそう言ってるじゃない!」

 背中側に居たことを神に感謝したくなる位の勢いで、男は盛大に噴き出した。リリアは顔を真っ赤にして抗議したが、男の笑いは止まらない。
 結局、男は目的地に着くまで腹をひきつらせて笑い続け、リリアは膨れっ面のまま、男の仲間たちに引き合わされた。
 連れてこられたのは、どこにでもありそうなごく普通の民家だ。しかし、おかしいことはすぐにわかる。中に居たのは働き盛りの男ばかり。レジスタンスか、親王国派か。なんにせよ、何かの組織だろう。

「残りもんだが、食いな」

 粗末なテーブルに、冷めたスープと茹でたジャガイモを乗せた皿が二人前置かれる。
 リリアに椅子を進めた後で、ようやく笑いを納めた男も同じ食事を摂り始めた。取り敢えず、毒や薬の類いは入っていないようだ。
 辛うじて、野菜の切れ端が沈んでいる塩味だけのスープを啜るリリアを、広くもない部屋の四方から、男達が無遠慮に眺めていた。その目付き、体つき、何れをとっても堅気ではなさそうだ。
 いや、一人だけ、場違いなのがいる。
 栗色の髪を長く伸ばし、無造作にひとつに束ねている。優しげ、というよりは弛んだ顔。遊びの多いゆったりとした衣服。腕に抱えたリュート。

(吟遊詩人?)

 スプーンを口に運びながら、様子を伺うリリアに気付いて、優男はパチリとウィンクを寄越した。
 そうして、手にしたリュートを奏で始めた。いちいち愁派を送ってくるのが鬱陶しい。しかし、口ずさむメロディーには聞き覚えがあった。更に、詩にはもっと聞き覚えがあった。

「サーディ、お前はそればっかりだな」

 リリアを案内してきた男が、呆れながら指摘する。

「女受けがいいからな」
「の割りに、こないだフラれたらしいぜ」

 男達がどっと笑う。

「うるさいっ」

 歌の中断を余儀無くされた吟遊詩人は、近くにいた男を憂さ晴らしにはたく。小突き合いが喧嘩に発展する前に、リリアは食事の手を止め吟遊詩人に向き直る。
 鼓動が早くなる。
 緊張を表情に出さぬように、演技力を総動員させた。

「その歌の続き、聞きたいわ」

 どうだ見たことかと襟を正す吟遊詩人。口笛を吹いて囃し立てる男達。

「綺麗な歌よね」

 席を立ったリリアの肩に腕を回し、吟遊詩人は曲の謂れを語り始める。
 聞くまでもない。コリントでレイモンドが語った内容だ。

「あたし、あなたを振った女の子を知っているわ」
「え?」

 目一杯女を使ってしなだれかかる。囁くリリアに、吟遊詩人はだらしなく笑う。

「二人連れに会ったのでしょう?」
「そうそう。アレクシアって娘だ。何で知ってる?」

 やはりかと、簡単に引っ掛かった吟遊詩人には苦笑してしまう。同時に、アレクシアから世界樹の葉を手に入れたときの話を、もっと詳しく聞いておくべきだったと内心じたんだを踏む。

「何でって…」

 どうやら賭けには勝ったようだ。

「仲間だからよ。レジスタンスのサーディさん」

 腰を撫でようとする手をかわし、さっと捻り上げる。気色ばむ男達の前にサーディを放り投げて、リリアは腰に手を当て部屋中の男達を睥睨する。

「力を貸してもらうわよ」

 セイやレイモンドに比べれば、ここの男達など取るに足らない。にぃっ、と笑う小柄なリリアに、男達は完全に気圧されていた。



 憲兵に捕らえられたディクトールは、たいした取り調べも受けずに地下廊に放り込まれた。武器は没収されたが、それも廊から見える場所に放置されている有り様で、手枷もされていない。逃げてくださいと言わんばかりだ。
 更に、予想していたことではあるが、地下には罪人などであろうはずがない、ごく普通の人々が収監されていた。
 ごく些細な事で王の不況を買った、パン屋の主人、城に出入りしていた商人や踊り子といった人々もいたが、その殆どが、なぜ捕まらなければならないのか逆に聞きたくなるほど何もしていない人々だった。
 逃がしてくれと、無実を訴える者はまだいい。口を利く気力もなく、死んだ魚のような目をして薄暗い地下老の闇を見詰めている者の方が断然多い。生きる気力を、彼らは失っていた。
 体の傷は、ディクトールに癒すことが出来る。けれど心の傷を癒す魔法は存在しない。彼等に生きる希望を与える事ができるとすれば、それは救世主や英雄といった類いの出現だ。

「助けはきます。希望を捨てない限り、神もまた、あなた方を見捨てはしない」

 死ぬのだと嘆き喚く商人をそう諭し、ディクトールは胸で聖印を切る。しかし彼の脳裏をよぎるのは、神ではなく、幼馴染みの少女の顔だった。
 確証はない。それでも予感があった。アレクシアはここに来る。偽の王が持つと言う変化の杖を手に入れるなら、当然彼女は偽の王に虐げられている人々をも救おうとするだろう。ならば自分は内側からその手助けをするだけだ。
 ディクトールは教会でいつもそうしていたように、にこりと柔和な笑みを浮かべる。そうして、牢内で項垂れる人々に神の奇跡を、世の希望を語り始めた。まるでここが、教会の日曜学校だとでもいうように。
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