ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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外の様子からは想像できなかったが、屋内にはかなりの人間が潜んでいるようだ。隠しようのない気配がひしめいている。これがレジスタンスだというならば、お粗末なものだ。レジスタンスなど名ばかりで、街の人間と大差無いに違いない。
密かにため息をついたレイモンドを一階のロビーに残し、女はアレクシアを二階に誘った。
「おい、どこ行くんだよ?」
「あんたはその辺で待ってて」
レイモンドの問いに直接回答はせずに、女はアレクシアを急かす。
「いけば」
「うん…」
互いに訳がわからない。アレクシアが階段を登り始めた頃には、レイモンドも別の部屋から現れた男に手招かれている。
「ねぇ、あなた、名前は?」
「アレクシア」
階段下の様子が気になって仕方ない。女の問いに、アレクシアは言葉少なに素直に答える。
歳は? 生まれはどこ? なぜ旅なんて? 恋人はいるの?
「レイとはどういう関係?」
「仲間だけど」
それがどうしたとばかりに、間髪入れずに返ってきた答えに、女は安堵したように笑った。
「あたしはミア。18よ。仕立屋で下働きをしてたの。ねぇ、取り敢えずこれ着てみて」
先程までの刺のある態度が嘘のようだ。もともと話好きな人物なのだろう。衣装箪笥から何枚か衣服を引っ張り出して、アレクシアに当ててみる。
「あ…、でもやっぱりこっちのが似合うかな。ねぇ、どっちが好き?」
「……いや。意味が、よく…」
目眩がしそうだ。
「そんな格好じゃ目立つじゃない。さぁ、早く着替えて。うん、やっぱりこっち」
にっこり差し出されたのは、萌木色の木綿のローブ。肩から胸にかけて色とりどりの糸で刺繍がされている。派手ではないかと口にしかけて、アレクシアはミアの服装を見て納得した。ミアの衣装の方がよほど派手だ。ここでは、これが普通なのだ。なるほど、アレクシアが持っている服では、部外者だと一目でばれてしまう。
たっぷりと布が余った下履と、これまた凝った造りのベルトと帽子を被る。髪は密編みにされて、先端の方はいくつにも別れて垂らされる。
これでもう、ちょっと見ただけではアレクシアだとは気付かないだろう。
「あと、これね」
布でできた首飾りを、ミアは嫌なものを見る顔でアレクシアに差し出した。かけ紐はごく普通の革。飾りは酷く素っ気ない。フェルトに木綿で図案化された紋章が縫いとられている。
「これ…」
墓場で見た紋章だ。
「外に出るときは必ずつけて。でないと憲兵に捕まるよ」
よく見ればミアの首にも同じものがかかっている。葬儀の参列者も、持っていた。
「嫌だろうけどさ。付けてて、呪われた奴はいないから」
「呪われる?」
「それ、王様の今の流行りなんだ。ゾーマとかいう神様なんだって。聞いたことないでしょ?」
神父が祈りを捧げていたのも、確かゾーマだった。
ゾーマ。確かに聞いたことはない。だが何故だ。妙な胸騒ぎがする。
「さ、行こ。みんなを紹介するよ。きっと待ってるんじゃないかな」
「あ、ああ。うん」
部屋を出た後も、ミアは主にファッションについて喋り続けた。二年ほど前から衣服にはこの紋章をあしらうように札令が出され、以来城からは奇妙な札令が頻繁に出るようになったと。
レイモンドがサマンオサを出る原因となったギルドの襲撃後と重なる。なにか意味があるのだろうか?
顎に手をあて、自分の思考に入り込もうとしていたアレクシアを、扉の中からの喧騒が引き戻した。
「どうしたの!?」
扉をあけたミアが問うまでもなく、喧騒のただ中にレイモンドがいる。
「てめぇ!」
殴りかかる男を、レイモンドが冷笑を浮かべながらかわす。相手をバカにするときのあの男の手口だ。青い顔で「どうしよう、どうしよう」とおたつくミアを押し退けて、アレクシアは部屋の真ん中に進み出る。誰も止めなかった。止められなかった。あまりに自然な動きに、誰もが意表をつかれたから。
「なにやってる」
今しもレイモンドに殴りかかろうとしていた男は、急には拳を止められない。女の子を殴ってしまうと、男は青ざめたが、勿論アレクシアにはあたらない。背中に目でもついているのか。空振りした拳とアレクシアとを交互に眺め、訳がわからず男はその場にしゃがみこむ。
「喧嘩を売られただけだ」
「なにもしないで売られるわけないだろ」
レイモンドは肩を竦めた。煽るような言い方はしたが、別にこちらが蒔いた種ではない。
「そいつ、サイモン様の息子だなんて嘘つきやがるんだ!」
床に胡座をかいた姿勢で、男がレイモンドを指差す。
「嘘じゃねぇっつってんだろ。ガキ」
「んだとこのっ」
「だから煽るな」
深々と溜め息を吐いた後で、アレクシアは座り込んでいる男−−かなり若い。少年と呼んで差し支えないような年齢だ。英雄サイモンの息子に、随分な幻想を抱いているらしい−−を見た。じっと見られてたじろぐ少年に、やおらにこりと微笑んでやる。美人に微笑まれれば、このくらいの年の男はあからさまに狼狽えるものだ。
「わたしが、アリアハンのオルテガの子だと言ったら信用しますか?」
「えっ」
集まっているすべてのものに向けて、アレクシアは挑むような眼差しを向けた。自信と、威厳。彼女のうちを満たす血と経験が、周囲の男たちを圧倒する。
「ほんとうか」
おそらくはリーダーだろう。問うてきた年嵩の男に、アレクシアはゆっくりと頷いてみせた。
「証拠は?」
「ありません」
「なに?」
「必要でしょうか」
まっすぐに相手を見据えたまま、揺らぐことのない自信の笑み。
「鎖国状態のこの国へ、わたしたちはやってきた。魔物が跳梁する山河を越えてね。この国を救うために。それだけで、充分でしょう?」
小娘がいうからこそ、効果がある。レイモンドが同じことを同じように言っても、きっと男達の反感を買っただろう。
ううむと考え込んでしまったリーダー格の男にはそれ以上構わず、アレクシアは未だ座り込んだままの少年に手をさしのべた。
「わたしが保証する。彼は英雄サイモンの息子だ」
「は、はいっ」
アレクシアの手をとって立ち上がった少年の、赤く恥じらう顔を見て、レイモンドは面白くなさそうに小さく舌打ちをした。
そのレイモンドに、リーダー格の男が握手を求めてきた。断っても、事を荒立てるだけだ。
「ゼケットだ。仲間の無礼を許してくれ。レイモンド。歓迎するよ」
「ああ」
握ったゼケットの手の感触は、逞しくはあるが武器を持つ男のそれではない。にこりと笑みを返しながら、レイモンドは内心で、ますます当てにならないなと歯噛みするのだった。
20人ほどの人間が、この建物の中に暮らしているという。家を失った者、家族を奪われた者、国に終われる者。そういった人間がレジスタンスを構成している。
「今の国王は狂っている。偽物だろうとなんだろうと関係ない。このままでは国が滅んでしまう!」
ミアや女達が用意した酒と食事を囲んで、情報交換が始まる。情報交換とは名ばかりで、男達は酔いが進むうちに現実への不満を叫び出す。女達へ悪戯を働く者もいる。給仕を手伝わされたアレクシアも当然ちょっかいを出されて辟易したが、酒場での経験が役に立った。酔っ払いのあしらいには慣れている。
レイモンドはこれでレジスタンスに見切りをつけた。ディクトール達も探さねばならない。必要な話を聞いたら、とっとと出ていこうと決めた。
「じゃあ、君はあのときの」
「生き残りだ」
まともなのはこのゼケットくらいなものだろう。
「テッドの仕事を手伝っていたと言ったな」
「ああ」
ゼケットは急に声のトーンを落とした。傍目にはなにも変わらない。密談は喧騒のなかでするものだ。他の連中に聞かれたくない話らしい。
「地下の老人を見たか?」
傾ける酒杯越しに頷くと、ゼケットもまた頷いた。
「実は、今の国王は化け物だっていう噂がある。見た侍女は殺されたんだが、死ぬ前にそう言い残したそうだ」
「おれはそいつを倒しに来たんだ」
「仇討ちか?」
「それもある」
若者のまっすぐさを宥めるように、寂しそうに笑ったゼケットに、レイモンドは肩を竦めた。
「ちょっとした事情があるのさ」
「聞いても?」
「個人的な事だ。遠慮してくれ」
ゼケットはわかったと頷いて、酒を一気に飲み干すと、ガラリと声のトーンを変えた。
「実は明日、捕まっている街の人を助け出す作戦があるんだ。手伝ってくれるだろ?」
初めから頭数に入っていたと言わんばかりの明るさで、ゼケットはレイモンドに笑いかけた。
折角の解放作戦も、ここの連中に任せたのではゾンビ取りがゾンビになりかねない。城に忍び込む事では目的は一致しているわけだし、下手に動き回られるよりは予想の範疇で動かれた方がましだ。
レイモンドは女達と談笑するアレクシアをちらりと見た後で、「わかった」と頷いた。
元は豪商の持ち物であったらしい建物は、部屋数だけはあった。レジスタンス達は男女に別れて、大部屋を幾つか使って寝泊まりしている。
必要に応じてそうしているだけで、余りある個室を使うことを禁止されているわけではない。作戦を明日に控えるとなれば、男達が意中の女を誘い出す姿がそこかしこで見掛けられた。
「おい」
背後からかけられた声に文字通り飛び上がったアレクシアは、その反応が気に入らないと、声の人物に小突かれた。
「なんだ…」
頭を擦りながらもほっと嬉しそうな顔をしている。
「なんだとはなんだ」
「いや、ちょっとね」
あからさまにほっとした後で、苦笑いで言葉を濁す。このアレクシアの態度の理由には、大方の予想がついていた。男の方が圧倒的に数が多いから、作戦前に一夜の恋を求めてあぶれた男が、アレクシアに声をかけたのだろう。今も、通路の影に男が一人成りを潜めている。
(順番待ちかよ)
内心で唾を吐いて、レイモンドはそれとなく男の存在をアレクシアに伝える。げんなりした表情のアレクシアの肩に手を回し、巻くぞと耳許で囁くと、レイモンドはアレクシアを裏庭に誘った。
レイモンド自身、ミアに誘われたのを断っており、屋敷の中は少々居づらい状況だ。
「明日のことは聞いたか?」
「一応ね」
頷いたが、女達が台所で話していた内容なので詳細までは解っていない。
「いい機会だ。俺は例のブツを探しにいく」
非難の眼差しで、アレクシアはレイモンドを見上げた。一人で行くつもりかと、確かめるまでもなく諌める言葉が口を突く。
「無茶だ」
トロルでさえてこずった。レイモンドは、あんなものてこずったうちに入らないと言うだろうが、ガズをトロルに変えた親玉が、あれより弱い訳がない。
「戦いに行く訳じゃない」
恐らくは無意識だろう。アレクシアの指がレイモンドの服を握り締めている。苦笑して、レイモンドはその手をはずさせた。傍目には、手を取り合って見つめあっているように見えたかもしれない。
「変化の杖が手に入れば、もうここに用はないし、なんにせよ下見は必要だろ」
「ここの人達を見捨てるのか?」
「そうは言ってない。俺だってあいつらと同じ気持ちさ」
友を奪われ、親、恩人を殺された怨みは、復讐の炎は、心の大半を占めている。溢れ出そうなその激情を、他人事のように眺めることで、レイモンドは冷静さを保っているのだ。
「戦いには万全を期す。魔法の援護なしにやりあおうなんて馬鹿はしないさ。俺だって死にたくはないからな。安心した?」
にやりと笑うレイモンドの鳩尾に、たんっと拳を撃ち込んでやる。レイモンドはわずかに顔をしかめたが、咳払いして何でもない風を装う。
「それよりお前、今夜どこで寝る?」
「はあ?」
アレクシアは思いきり怪訝な顔で聞き返したが、すぐさまレイモンドの言う意味を理解した。引き離したと思っていた気配が、まだ幾つかこちらを伺っている。
「〜〜〜」
声にならない呻き声を上げて、アレクシアは額をおおった。魔物等より余程質が悪い。トヘロスを唱えても、彼らに悪意がない限り、意味は成さないだろう。
「リリア、大丈夫かなぁ…」
この空の下にいるであろう友を思って、アレクシアは空を仰いだ。