ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 朝霧の中、サマンオサの街を囲む城壁を超えたアレクシア達は、街を包む異様な空気に眉を潜めた。

「こんなに…」

 物音ひとつしないほど、寝静まるような時間ではない。早起きの女将さん達が上げる、朝の炊事の煙が見えてもおかしくはない時間帯だ。
 それが、物音ひとつしない。
 死に滅びたテドンを思わせる。否、それ以上に、耳が痛くなるほどの静寂。
 街全体が何かに怯え、息を潜めているのがわかった。

「宿に?」

 と問うリリアに、レイモンドは左右に首を振った。

「いや。外から人間が来るなんて有り得ないんだ。来るとすれば城が呼んだ貴賓客くらいだろうな」

 それすら現れないのではないだろうか。サマンオサが外交を断って、もう20年になる。

「神殿に身を寄せてはどうだろう」

 どんな理由であれ、このサマンオサに、外から人間が来ることは異常なのだ。何者にも遭遇しないに超したことはない。
 レイモンドは結局、ディクトールに、頷くような呻くような中途半端な反応しか返せなかった。彼自信、今のサマンオサの状態を、測りかねているからだ。
 こんなことならオリビアの岬で活動をしている、ベン達の力を借りるのだった。
 ともあれ、過ぎてしまったことを嘆いても仕方ない。レイモンドは自分を見詰める仲間達を順に見、最後にアレクシアに向けて言った。

「今はなるべく街の連中とは関わりたくない。状況把握が先決だ」

 黙って頷くアレクシアに、レイモンドも頷き返して先を続けた。

「ギルドにいく。一度襲撃を受けた場所だ。警戒もしていないだろう」

 こっちだ、と合図をして歩き始める。その背中に

「誰かいたら?」

 とアレクシアは問うた。

「その時は」

 一歩、歩き始めた足を止めて振り返る。

「その時考えるさ」



 どこに誰がいるのかわからない。人目を避けて移動するに限る。しかし、いざ誰かに見られた時に、あからさまに怪しまれるなんていうのは論外だ。
 道を選びながら、かつての盗賊ギルドを目指す。最後に見た光景を思い出すと、胸が悪くなる。葬式どころか、遺体もそのままにしてきてしまった。街の誰かが、埋葬してくれるといいが、望みは薄いだろう。今回の潜伏拠点にすると同時に、仲間たちの骨を拾い、幼少期を過ごした場所を清めてやりたかった。

「待て」

 大きな通りを挟んだとき、レイモンドは後ろに止まるように合図を送った。
 街の中心に建つ巨大な建造物は、この街で王城の次に大きなミトラ神殿である。その神殿に向かい、黒い礼服に身を包んだ一行が進んでいく。
 先導するのは神父だろう。神官服の胸には、見慣れない紋章が縫い付けられていた。
 すぐ後ろに、小さな男の子の手を引いた女性が俯き続く。その後ろに、棺を持つ男たち。
 葬列を路地から見詰めながら、ディクトールは眉をひそめた。男達の運ぶ棺が、いかにも軽そうだ。中身は空に違いない。未亡人らしき女性が手を繋ぐ幼子の姿もまた、遠い記憶を鮮烈に呼び覚ます。

 オルテガの遺体は回収することが出来なかった。火口に落ちた、という従者の報告だけで、彼の英雄は国葬で以て送られた。
 喪主を勤めた国王のすぐ後ろを、アレクシアの手を引いたアンナマリ婦人が歩いていた。アレクシアのスカート姿を見たのはそれが最初で最後だった。幼い顔に理解を広げ、じっと前を見つめていたアレクシアの姿を、3つか4つでしかなかったディクトールはよく覚えている。

「アル、平気?」

 握った手は冷たくて、ディクトールはそのまま、アレクシアを抱き締めてやりたくなる。

「ディ、あれ」

 しかしアレクシアはディクトールの言葉など耳に入っていなかったようで、捕まれた手を振り払うかのように前方を指差した。
 指差したのはミトラ神殿。否、入り口に掲げられた紋章はミトラのものではない。精霊神ルビス、大地神ガイア、太陽神ラー、月女神アルテミス、一般的に信仰されている神の、どの紋章とも異なる。

「見たことがある?」
「……いや」

 遠目には、その細部まではよくわからない。
 四人は顔を見合わせて、背嚢の中から黒っぽい衣服や布を取り出して、頭から被った。そして路地から抜け出すと、葬列の最後尾に紛れ込む。
 葬列に参列するものは皆、一様に酷く疲れているように見えた。囁きを交わすものすらいない。これでは情報収集の役には立たなさそうだ。
 わかったことは、墓地の地面が柔らかく、雑草が生える間もない程頻繁に掘り返されているということ。
 程なく葬列が止まる。
 あらかじめ掘られていた穴に、空の棺が下ろされた。主のいない棺の上に、参列者が花を手向け、見慣れない聖印を下げた神父が、沈鬱な表情で黒い表紙の分厚い聖書を開く。

「ヨハンは肉体の軛を解かれた。脆弱な入れ物を離れ、いまこそ偉大なる神の戦列に加わる喜びを得た」

 こんな葬儀の祈りは聞いたことがない。被り物の下で顔を見合わせたアレクシアとディクトールは、周囲の変化に息を飲んだ。
 これまで全く生気の感じられなかった参列者達が、憎々しげに城の方角を睨んでいる。祈りを捧げる神父もまた、呪わしいものを見るように、手にした教典を見詰めていた。

「偉大なる我らが王ゾーマ様に加護を−−」
「やってられるか!」

 棺を運んでいた男が、祈りを遮り叫んだ。

「止せ!」
「兄貴は殺されたんだぞ! その上こんな侮辱、黙っていられるかよ!!」
「神父様! どうかお願いです! 夫をミトラ様の所へお送りください! こんな、こんな…、死んで魂までも邪神のもとに送られるなんてあんまりです! あの人はそんなに悪いことをしたのですか!? 親が子を思うことの、どこが罪だというのです!」

 神父にすがり、未亡人が泣き叫ぶ。沈黙していた子供は、切れていたスイッチが入ったように大声で鳴き始めた。参列者達は、宥めるものと賛同するものとに別れ怒鳴りあい、周囲の家々は窓を開けてこの様子を伺っていた。

「まずいな」

 逃げた方がいいとレイモンドが仲間たちに目配せを送ろうとした時、ディクトールが騒ぎの中心へと歩み出していた。

「ディ!」

 舌打ちと共にレイモンドがディクトールの名を呼んだのと、ディクトールが聖句を唱えたのと、どちらが早かっただろう。
 ディクトールは黒い被り物を落とし、胸の聖印に手を当てて、朗々とミトラへ鎮魂の詔を唱い上げた。
 騒いでいた人々は雷に撃たれたかのように地に膝を付き、頭を垂れて、不幸にも命を落とした男の為に祈りを捧げる。黒い教典を捨て、神父もまた、ディクトールと同じ祈りを唱え始める。
 長い祈りが止むと同時に未亡人が泣き崩れ、ディクトールを拝みながら何度も何度も礼を言った。ディクトールは未亡人に手を貸し立ち上がらせると、子供にも優しく語りかけている。ディクトールを中心に、人々はミトラへの加護を、祈りの言葉を繰り返した。
 この場の騒ぎは修まった。しかし騒ぎは、別のところからやってきていた。

「憲兵だ!!」

 誰の叫びかは解らない。
 家々の扉や窓が慌ただしく閉じられ、葬列に参加していたものも、我先にと近くの建物に逃げていく。ディクトールにすがっていた未亡人は、ディクトールを突き放し子供をかき抱く。母子を庇うように、神父は投げ捨てた教典を拾い上げてディクトールとの間に割って入り、悪魔払いでもするかのように、教典をディクトールに突きだし呪文のようなものを紡ぎ始める。

「こっち!」

 誰かがレイモンドの手を引いた。レイモンドは咄嗟に側にいた者の手を掴んだ。
 混乱の中でも、辛うじて城から土埃を舞い上げて騎馬の一団がこちらに向かってくるのが確認できた。人にもみくちゃにされながら走り、一息つくことができたのは、どこか見たことのある造りの、寂れた住宅街の裏路地でだった。

「レイ、痛い」
「悪い」

 今の今まで気付かなかった。赤く痕が残るほど握り締めていた腕を慌てて離す。手の中の腕は、レイモンドが一掴みして余りあるほどに細く、それが意外でレイモンドは僅かに目を見張った。
 心臓の鼓動が早いのは、走り続けでいたからだと、弾む息を整えながら、状況を確認する。今居るのは、恐らく貴族の邸宅が建ち並ぶあたりだ。
 一緒にいるのはアレクシア。ディクトールは捕まっている可能性が高い。リリアは無事に逃げただろうか。
 それから…視線を向けた先に、見知らぬ女性が膝に手をつき肩で息をしていた。

「すまない。たすかった」

 彼女の呼吸が落ち着くのを待つ間、レイモンドは女性を観察する。
 街の人間だろう。見覚えは、あるような、ないような…。判然としない。しかし相手には覚えがあるようだ。呼吸が戻ってくると、女はレイモンドの顔をまじまじと見詰め、ほっとしたように笑った。

「やっぱり、レイモンドだ」

 知り合いらしい。レイモンドには覚えがない。どういった関係の知り合いかで、出方を変えねばならない。取り敢えずは黙っておくことにして、レイモンドは女が喋るに任せた。

「ベンジャミンから聞いてるわ。戻ってきてくれるって信じてた。その人は?」
「仲間だ」
「二人だけ?」
「いや。さっきの騒ぎではぐれた」
「そう。無事だといいけど…。とりあえず場所を変えましょう。こっちよ」

 何か言いたげなアレクシアの腕を捕まえて引きずるようにしながら、レイモンドは女の指示に従った。女は、とある邸宅の手入れされずに荒れ放題の庭に入っていく。庭師などが出入りするような裏口で、当然人の気配はない。

「ベンは相変わらず?」

 建物に向かって、草木が生えていない道が一直線に延びている。それなりに人の出入りはあるらしい。

「ええ。サーディもね。あの人達のお陰で、私達なんとか生きていけるの」

 振り返った女の視線がレイモンドが掴むアレクシアの腕に一瞬刺さるような鋭さを見せたのを、レイモンドは見逃さなかった。
 アレクシアも気付いただろう。居心地悪そうに眉を寄せて、離せ、とレイモンドの腕を振り払う。

(ふぅん…)

 わかったことはふたつ。
 この女がレジスタンスの一員であること。恐らくは過去に、レイモンドと関係があったか、一方的な好意を寄せていて、今もそうであるということ。

(覚えてないってのは問題だな)

 言い寄ってくる女を断るのも面倒で、かつ、その日の暖かな食事にありつきたくて、よく知りもしない相手の寝台に転がり込んでいた日の事が悔やまれる。
 いつか刺されるぞ、と忠告してきた友の髭面を思い出して、レイモンドは苦く笑った。

(テッド、あんたの遺志を継ぐよ)
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