ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 レイモンドの指示通り、北メリア大陸とグリーンランドの境界に、海鳥と海獣だけが暮らす島があった。海獣を狙う魔物にも勿論遭遇したし、海獣自体にも襲われかけた。真ん丸い黒い瞳が愛らしい獣も、ずらりと並んだ牙は小さいながらも鋭く、鈍重に見える動きも、襲ってくるタイミングを見謝れば回避するのは命懸けだ。巨体を支える筋肉は、人間などが相手に出来る代物ではない。

「ドラゴンに比べたら楽なもんだろ」
「比べるなよ」

 肉は食肉になり、毛皮は防寒に最適でそれなりの値段で売れるらしい。資金が心許ないと、レイモンドは何頭か狩って行こうかと提案したが、無用な殺生をするなと全員に反対された。リリアに至っては「こんなに可愛いのにかわいそう」だとレイモンドを睨む始末だ。

「時間が惜しい」
「ああ、そうね。そりゃそうだ」

 つまらなそうに肩をすくめて、レイモンドは顎で先を示す。道先案内人は、言うまでもなくレイモンドだ。
 船はマルロイに任せ、浅瀬に停泊している。魔物避けの聖水は山ほど用意してあるが、いざというときは船を捨てて逃げるようにと、キメラの翼を持たせてある。寒流の通る海域は、魔物も獰猛で、山を越えて飛んでくるものに至ってはこれまで見たこともないような大型の飛竜がいる。アレクシア自らマルロイにキメラの翼を手渡し、身の安全を最優先するようにと伝えたが、マルロイは恐らく、魔物に襲われても船を離れはしないだろう。そのマルロイの為にも、アレクシア達は一日も早く変化の杖を手に入れて、船に戻らねばならないのだ。

「こっちだ」

 岩場で寝そべる海獣の群れを刺激しないように、背の低い木々に隠れるように、アレクシア達は祠を目指した。
 行程にして約一日。日が完全に暮れ、星明かりが青白く空を照らす頃、ようやく目的の祠に辿り着く。
 古い神殿のような、古代文明の遺跡のようなその祠を閉ざしていた扉は、中から無理矢理にこじ開けられ、ひしゃげてそこから動かない。余程大きなものが通り抜けたらしく、壁も剥がれて床に落ちていた。

「………」

 へこんだ扉の内側には、体当たりしたのだろう。乾いた血痕がこびりついている。床に散らばる石材にも、外皮や血痕が見てとれた。
 扉のへこみをなぞりかけ、やめる。

「不器用だったからな…」
「え?」

 過去を懐かしむように目を細めたレイモンドの一人言に、反応したのはリリアで、レイモンドはなんでもないと首を振った。

「壊されていないといいんだがな」

 ここを通っていったのが誰なのか、アレクシアとレイモンドには想像がついている。ダーマで二人を襲ったガズもまた、サマンオサから旅の扉を通り、レイモンドを追ってきたのだろうから。人の姿のままでは施錠された扉を開くことができず、無理矢理に破壊してきたのに違いなかった。
 サマンオサ側の旅の扉は、森の中の神殿に繋がっている。ガズが、旅の扉を使ったのなら、神父にも会っているはずだ。
 平静を装うレイモンドの顔色は、僅かに血の気が引き、表情も固い。祠の中、先頭を歩くレイモンドの歩調が早くなったことに、三人は無言で顔を見合わせた。
 さして広くもない祠の、半開きの扉を開けたとき、中から青い光が揺らいで見えた。アリアハンからロマリアへ出たときのことを思い出す。小さな海が、海底から照らされているような不思議な光景。美しいことは美しい。しかし見詰めていれば、上下の感覚を失い、得体の知れないどこか異世界に連れていかれそうな恐怖も感じる。

「無事、みたいだね」

 ディクトールの言葉に頷いたのはアレクシアだけで、レイモンドは何も言わずに旅の扉の、井戸の縁のような場所に足をかけている。アレクシア達が声をかける暇もなく、レイモンドは旅の扉へと身を投じた。形としては、井戸に飛び込むのに似ている。
 揺らぐ水面に見える井戸の中に、実際には水など湧いていない。慌てて井戸の縁から身を乗り出し、中の様子を伺ったアレクシア達は、底すら見えない魔力の渦に、意を決して飛び込んだ。



 黴の臭いが鼻につく。あれほど清潔感に満ちた空間であったのに。まるで知らない場所に出たかのようだ。
 ずっと抑えていた胸騒ぎが、確たる不安となってレイモンドを突き動かす。
 後からアレクシア達がやってくる。彼らは地理に疎い。ここがどんな土地なのか、改めて説明をして、今夜はここで夜を明かすべきだ。そう理屈ではわかっているのに、焦る気持ちを押さえられずに、レイモンドは駆け出していた。
 旅の扉の間は神殿内部の隠し扉の奥にある。隠されていたはずの扉も、祠の扉同様にひしゃげていた。力ずくで暴いたのだ。人間業ではない。

「神父様!」

 僅かな期待を込めて、地下の物置から地上へ上がる。

「神父様! 俺です。レイモンドです!」

 敵が居るかもしれない、なんて考えは掠めもしなかった。迷子の子供が親を求めるように、ただ夢中で声をあげて、扉という扉を開いて回る。

「戻ってきました! どちらに居られますか!」

 応(いら)えはない。床の上には塵埃、どころか、枯れ葉や小枝。虫や小動物の死骸すら転がっている。人が、ましてあの神父が暮らしている訳がない。それでもレイモンドは、それを見付けるまで、声をあげ、屋内を散策することを止めなかった。

「神父…」

 倒され、崩れた神の像。破壊された祭壇。
 荒れ果てた礼拝堂に、それは転がっていた。
 完全な白骨体となった、神官服の遺骸。
 そばには薬草だろうか。壊れた籠と、枯れ草が散らばっていた。

「…っ」

 何か重たいもので撲られたのだろう。遺骸の骨は、胸から頚にかけて粉々に砕けている。

「なにが、大丈夫なもんか」

 吐息のように吐き出して、レイモンドはぐっと目と口を閉じた。食いしばった奥歯が折れそうな程に強く。
 あの時逃げたのは、果たして正しい選択だったのか。生かされた命に、どれ程の価値があるのか。

「レイモンド!」

 声に振り替えった時、視界の端に何かが光った。
 撲られた時に千切れ飛んだのだろう。金色のペンダントが部屋の隅に落ちていた。見覚えがある。神父の首に、揺れていたものだ。
 レイモンドはペンダントを拾い上げ、ミトラの聖印が彫られた飾りをそっと撫でた。撫でた拍子に蓋が開く。
 艶を失った金髪を編んで作った縁に囲まれて、笑っている家族には見覚えがある。今のレイモンドをもう少し年を取らせたかのような男と、記憶にある姿よりふっくらと幸福そうな母。その腕に、金髪の赤子。ペンダントの蓋の裏には、何度となくなぞったのだろう。そこだけ色が変わって、文字も少し薄れかけている。それでもそこには、「あなたを愛する娘より」と彫られた文字を読み取ることができた。

「…はっ」

 そうか、そういうことか。
 神父が自分の姿に重ねて見ていたものは、父ではなく母だったのだ。だから不快ではなかった。血の繋がりがあったから、あの人のまなざしは嫌ではなかったのだ。

「レイ…」

 気遣わしげに掛けられた言葉に、すぐに顔を上げることができなかった。潤んだ瞳と表情を取り繕うのに、レイモンドはひとつ深呼吸して振り返る。

「ディ」

 胸ポケットにペンダントをしまいながら、静かに賢者の名を呼ぶ。神殿の荒れようを痛ましく眺めていたディクトールは、まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。あからさまに驚いた顔をした。

「ここの神父だ。弔ってやってくれ」
「あ。ああ。うん。わかった」

 床に散乱した骨を集め、神父の衣服に包んで纏める。全員で望めばものの数分で終わる作業なのに、レイモンドの背中が手伝うことを拒んでいた。その作業の間中、皆が何か言いたげにレイモンドの様子を伺ってきたが、レイモンドは冬の湖面の如く静かな表情で、ただ黙々と骨を拾い集めた。
 ディクトールが骨と遺品に聖水を振り撒き、弔いの詞を紡ぐ。穢れに触れた遺骸は、蒼い炎を燃え上がらせて消えた。リリアは「あっ」と声をあげたが、レイモンドは炎を見詰めたまま、胸で小さく聖印を切った。ミトラの聖印だ。今更神になど祈るつもりはない。それでも神父に祈りを捧げるとすれば、これ以外に切る印を知らなかった。

「レイモンド…」

 簡略化された儀式を終えたディクトールが何か言うより早く、レイモンドはディクトールに深々と頭を下げた。

「レイっ?」

 狼狽する仲間達にも、順に頭を下げて、そのままの姿勢でレイモンドは言った。

「聞かないでくれ。すまない」

 アレクシア達は互いに顔を見合わせ、頭をあげてくれとレイモンドの肩を揺する。

「わかったから。よせ」

 それでもレイモンドは顔を上げなかった。正確には上げられなかった。胸の中には後悔しかなくて、今悪魔に手を差し伸べられたら、復讐の為に迷わずその手を取るだろう。そんな醜い、情けない顔、誰にも見られるわけにはいかない。

「隣に台所がある。ベッドも使えるだろう。明朝城に案内する。適当に休んでくれ」

 頭を上げるのと、踵を返すのはどちらが先だったろう。レイモンドは誰の声にも振り返らずに、逃げるように礼拝堂を後にした。
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