ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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36.故郷


 北メリア大陸を北上し、グリーンランドを目指す船上で、アレクシアはぼんやりと船縁に佇む事が多くなった。
 以前から、雲やら波やらを眺めるのは好きだ。考え事をするときは、いつもそうしていた。アレクシアがぼんやり考え事をしていると、たいていは、どこから現れたのか隣にセイの巨体が隣に並ぶ。何をするでもなく横にならんで、アレクシアが見ているものを見ていた。
 妙に、寒い。
 グリーンランドは氷に覆われた大陸だという。海風が冷たくなるのも当たり前だ。風に暴れるマントを掻き合わせて、アレクシアはマントの中に首を埋めた。

「風避けには、丁度良かったんだな…」

 呟いた言葉に苦笑して、見えるはずのない大地を海の向こうに求めて目を細める。
 そこにいる親友とは、以前も別行動をとった。その時は、今一人の親友でさえ、アレクシアの側にはいなかった。
 また会えると、親友は言った。
 なのに何故か、無性に寒くて仕方ないのだ。

「しっかりしろ」

 半ばマントに埋もれたままで、アレクシアは呟く。大きく息を吐いて、煌めく水平線の向こうに目を向ける。そこに白く輝く氷の大地を見付けた時、アレクシアはもう一度、「しっかりしろ」と異なる声色で呟いた。



 防寒対策はしてきたものの、グリーンランドの自然は予想の遥か上をいった。
 吹雪に遇うのも初めてなのに、規模が致死的だ。それでも生きてそこに辿り着いたのは、あまりの寒さにぶちキレたリリアが、辺り構わずベギラゴンを放ったお陰かも知れない。
 開拓村の老人もある意味奇妙だったが、グリーンランドの老人はそれにいくつも輪がかかる。マルロイが偏屈と評したのを、アレクシア達は出会って数分で理解した。否、変態爺と言うべきか。

「ワシは“これくたー”なんじゃからして、これよりもぉぉっと! 珍しい物とでなければ交換には応じられんっ!」

 事情を話して船乗りの骨を譲って欲しいと言った返答がこれだ。密かに握り拳を震わせながら、アレクシアは平行線を行く交渉の、歩み寄れる妥協点を探した。

「た、例えば、どのような?」
「そうよなぁ」

 腕を組み、顎に人差し指を当てる仕草で、老人はわざとらしく「うーん」と唸って見せる。くねくねと床を蹴る爪先も、妙なしなを作る腰の動きも、およそ老人らしくなくて気色が悪い。
 やがて老人は興奮した面持ちで、やや息を荒げてアレクシアに人差し指を突き出した。

「変化の杖はどうじゃ!」
「変化の杖?」

 やや上半身を仰け反らせて、老人から距離を取りながらアレクシア。名前から察するに、なにがしかの変身能力を秘めた魔法の杖なのだろうが、聞いたことがない。それでこそコレクションをする意味があるのだろうが。

「わかった」

 声に振り替えると、仲間たちが驚いた顔で金髪の青年を見ていた。多分アレクシアも、リリアと同じ表情を浮かべている。

「変化の杖を持ってくれば、船乗りの骨を譲ってくれるんだな」
「おお! 勿論じゃ!」

 アレクシアを押し退け、レイモンドに飛び付かんばかりの勢いで、老人はレイモンドの手を取った。レイモンドは迷惑そうに老人の手を振り払うと、もう一度老人に念を押す。こくこくと頷く老人に了承したと返して、レイモンドは仲間たちをぐるりと見やると

「なにボサっとしてる。もう用はない。行くぞ」

 返事も待たずに老人の居宅を後にした。

「待てって!」

 慌ててアレクシア達もレイモンドの後を追う。すぐにでもレイモンドを取っ捕まえて、老人の交換条件を簡単に受けてしまった理由を問い質したい。けれども、老人の家を一歩出れば、そこは自分の指さえ見えないほどの吹雪だ。会話をする余裕などあるはずもない。
 結局、質問は船に戻ってからすることにして、来た時同様、互いの体を綱で繋いで命綱を手繰りながら、アレクシア達は猛吹雪の中を命からがら抜け出した。



 レイモンドの秘密主義は、今日に始まったことではないし、ディクトールとレイモンドの反りが合わないことも理解している。
 しかしここまでとは、正直アレクシアもリリアも思ってはいなかった。
 ただ、グリーンランドの老人とのやり取りの説明を求めただけなのに、二人の間には殺気さえ漂っているのだ。
 最初の頃こそ、レイモンドと衝突するのは専らセイで、穏和なディクトールはセイを宥める立場だった。
 しかしセイは元が単純な分、打ち解けるのも早かった。一緒に吐くまで飲んだ翌日には、すっかり意気投合していたのだから呆れる。
 いきなり現れて、旅に加わったレイモンドを警戒するのはわかる。しかも二人とも、恋愛絡みの警戒が根底にあるから始末が悪い。セイの方はある程度の確信や自信があったし、酒の席でレイモンド自身の肚も覗いた。しかしディクトールには、ことこれに関しては負い目しかないのだ。1年の間、ディクトールの中でのレイモンドに対する評価は変わらなかった。精神的に対等な位置に立つことが出来ないままだ。ダーマ以来、気持ちを隠すことがなくなった分、レイモンドとの衝突は増えている。
 最早、何が原因で諍いが起きたのかわからない。
 互いに頭が回る分、言葉と視線に棘が増す。見ている方は胃が痛くなりそうだ。

「男の喧嘩って、もっとこう、見た目が派手なもんだと思ってたわ」

 船の食堂。全員が座って話せるのはここしかない。カップの水を飲むでもなく、掌の中で廻しながら、リリアが独り言のように呟く。椅子を端に寄せているのは、少しでも諍いから距離をとりたいからだ。

「そうだね」

 ため息と共に頷いて、アレクシアは静かに席を立つ。両の手にはカップ。中には勿論水が入っている。

「アル?」

 リリアの問いは、次の瞬間解決した。
 アレクシアは手にした水を、二人の頭の上にぶちまけたのだ。

「うわっ」
「てめぇ、何す…」

 思わず立ち上がったレイモンドには、おまけとばかりにカップも落ちる。

「頭冷えた? 足らなかったら海に叩き込んであげるけど?」

 グリーンランド周辺の海は海水浴などできる水温では勿論ないが、それよりなにより、にこりと笑んだアレクシアの笑顔に食堂の空気が2度は下がった。
 レイモンドは舌打ちしながら、ディクトールはばつ悪そうに、リリアが差し出したタオルで滴を拭う。
 アレクシアは棚から酒瓶を取り出して、坦々と空になったカップに酒を注いだ。

「仲良しごっこがしたいんじゃないんだ。でも」

 頭を拭く二人の前に、それぞれ酒を置く。二人はあらぬ方を向いたまま、カップを取ろうとはしない。

「無駄な言い争いをしている場合じゃないだろ」

 まさか根底にあるのががアレクシアだなどとは、言えるわけがない。片方は自覚すらしていないようだし。神妙な顔付きをしながら、リリアは憐れんでいるのか楽しんでいるのかわからないような瞳でディクトールを見る。それを迷惑そうに一睨みして、ディクトールは「ごめん」と頭を下げた。

「それとも、二人にとってはこういうのがリクリエーションだっていうなら、水掛けたことは謝るよ」
「「そんなんじゃ」」ねぇ」ない」

 同じタイミングで出た言葉に、アレクシアまでもがぷっと吹いた。
 ディクトールは苦笑いして、差し出された酒を受け取った。ばつが悪そうに壁を向いているレイモンドの前にも、ずいっと酒が押しやられる。

「海に叩き込まれたくなかったら取れ」
「やってみやがれ」

 言いながら、引ったくるようにカップを取って、それを乱暴にディクトールのカップに当てた。木製のカップは、コンと鈍い音を立てる。肘を組んで互いのカップから酒を飲む。ルザミ滞在中にカテリーナ達海賊から教わった、船乗り達の仲直りの儀式だ。相手が酒を飲むペースに合わせてカップを傾けねばならず、むせさせたりすると儀式は失敗。通常、やり直しとなるが、船の風紀を乱すと判断された船乗りは、船長命令により海に落とされることになる。
 アレクシアは腰に手を当て、二人が酒をからにするのを見ていた。監視といってもいい。凍える海に叩き込まれてはたまらないと、二人は慎重にカップを傾けた。

「ぷはっ」

 最後にもう一度、空になったカップを打ち鳴らして儀式は完了する。
 満足そうに頷くアレクシアから酒瓶を引ったくって、レイモンドは思いきり眉根を寄せた。

「やっぱり! エジンベアの20年物じゃねぇか勿体ねぇ。こんなことに使うか?」
「いつまでも置いておくほうが勿体ないね」

 言いながらレイモンドの手から瓶を取り戻す。マルロイの分も含めて5つ、アレクシアはワインをカップに注いだ。

「マルロイに来れるか聞いてくる」
「お願い」

 リリアが食堂を出ていったので、ディクトールがつまみの用意を始める。果物を剥いたり、乾物の類いを皿に出すだけだが。
 程なくやってきたマルロイが席に着くのを待って、レイモンドはディクトールが投げ掛けた質問に答える。質問から答えまで一時間。レイモンドの話を聞きながら、アレクシアがこっそりとついた溜め息は、赤いワインに融けて消えた。
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