ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 爆発音に振り返る。

「アル、待っ…」

 今離せば、きっともうこの手に彼女を抱く事はない。確信にも似た予感が、ディクトールにはあった。急ぎテーブルを迂回し、アレクシアの腕をつかもうと腕を延ばす。しかしローブの端さえ、その手をすり抜けてしまう。
 ディクトールの制止を聞かずに、アレクシアは硝子戸を開いてテラスに出た。欄干から身を乗り出して階下を見下ろしたアレクシアは綻ぶように笑い、すぐにそれと気付いて、わざとらしいしかめっ面を作る。

「なにやってるんだ」
「ひどい格好だな」

 互いの姿を認めた瞬間に、お互いが同じような表情をしていたことにまでは気付かなかった。心底安心した、愛しい者を見つけた時の表情には。それよりも、自分の感情に戸惑い、誤魔化すのに必死になっていたから。
 姿が見えず、不安に縮こまっていた心が、翼を得たように軽い。
 思わず綻んだ顔を誤魔化すように軽口を叩く。そんな反応さえ、二人はよくにていた。

「お前こそ」
「うるさい。成り行きだ」

 しかし戯れあいは、長くは続かなかった。レイモンドの居る階下の室内から、再び火の手が上がる。先程よりは小さい火球が、レイモンドの居るテラスを襲った。

「レイ!」

 飛び降りようと欄干に手をかけるが、長いローブの裾が邪魔で足が上がらない。一思いに引き裂いてやろうとスカートの裾に手をかけた時、アレクシアの手をディクトールが止めた。

「落ち着いて。今行っても巻き込まれるだけだよ」

 ディクトールの冷静な声は、いつもならば耳に心地よい。熱くなりがちなアレクシアを落ち着かせてくれる筈なのに、このときばかりはそうではなかった。場所が、悪いのだろうか。
 怖い顔で睨んでくるアレクシアに怯みもせずに、ディクトールは淡々と続けた。

「あのワンドに蓄えられた炎の魔力はすぐ尽きる。もう大した威力はない筈だ。レイモンドなら大丈夫」

 ディクトールの言う通り、杖の先に付けられた赤い魔石は、くすんで黒に近い色をしている。最初こそメラミ級の威力があったが、二発目はその半分、三発目はさらにその半分以下と、明らかに威力を弱めている。

「大人しく僕の指示に従っていればいいものを…」

 自分でホイミかけたらしいレイモンドを見下ろして、ディクトールは苦々しく吐き捨てた。
 誰にも見つかることなく、神殿を出られた筈だ。それがこんな騒ぎになっているのだから、レイモンドの意図は聞くまでもなく察しが付いた。

「賢者殿! 賊が逃げましたぞ!」
「そのようですね。司祭様、あとは引き受けます。安全な所へお下がり下さい」

 テラスから下へ声を返しながら、こちらを睨むように見上げてくるレイモンドを冷ややかに見下ろす。
 騒ぎが大きくなるのは避けたかったのだが仕方ない。どさくさに紛れて、このままダーマを脱出するのが得策だろう。

「アル、剣は隣の部屋だ」

 そっと告げると、アレクシアはちらりとレイモンドを見、頷いた後で踵を返した。残った男二人は、仏頂面で見つめ合う。お互い、どうでもいいと思っているが、レイモンドがダーマに捕まって都合が悪いのはどちらも同じだ。やれやれと肩で溜め息をついて、ディクトールは左を指差し顎をしゃくった。

「盗賊め。裁きにかけるまでもない。ここで成敗してやる」

 逃げ出した筈の高司祭に聞かせるように声を張り上げ、ディクトールはレイモンドの居るテラスに向けてバギマを放った。一応範囲は絞ったが、レイモンドが巻き込まれてもいいと思っている。欄干に足をかけ、隣のテラスに飛び移ろうとしていたレイモンドは、間近に生まれた風に、慌てて隣へ飛び移った。

「逃がすか!」

 まだバギマの風が収まりきらない空間へ、ベギラマを放つ。様子を伺っていたらしい高司祭がひいっと悲鳴を上げたのが聞こえた。
 恐らくベギラマの火は、室内に燃え移ったはずだ。バギマの風が炎を煽って、しばらくは人が室内に入り込むことは出来ない。風がやんだ頃には本格的な火事になっているだろうが、趣味の悪い空き部屋がひとつ焦げるだけの話だ。

「おのれ、逃がさん!」

 だめ押しのベギラマを放って、ディクトール自身も隣の部屋へ走る。纏めておいた荷物を持って、隣の部屋に入ると、そこには既にレイモンドが仏頂面をぶら下げて立っていた。

「どうせ降りるんだから、わざわざ上ってくるなよ」
「てめぇっ、本気で危なかったからな!?」

 顔を会わせた途端、文句が口を突いて出る。あまりに揃っていたので、ついアレクシアは吹き出した。

「アル…」
「お前…」
「いや、ごめん」

 二人に白い目で見られながら、まだ笑いが収まらない。そんな場合ではないことは承知していたが、なんだか嬉しかったのだ。

「さて、どうやってここを出る?」

 走るのに邪魔だからだろう。ローブの裾を太股の位置で結わくアレクシアの様子に、ディクトールは目を覆ったが、近付いてくる騒ぎに喉まで出かかっていた小言を飲み込んだ。

「非常階段がある。こっちだ」

 言いながらディクトールがバギを唱え、家具を吹き飛ばす。大人が隠れられるほど大きな、部屋備え付けの箪笥の中には隠し通路に続く扉が隠されていた。そこにアレクシアを案内しながら、ディクトールは背後にバギマを放った。目をぱちくりさせるアレクシアに、方目を瞑って見せる。

「君は人質。僕は盗賊と戦いながら、逃げる盗賊を追ってここを出るのさ」
「戦闘中に偶然見付けた隠し通路から、盗賊はお姫様を人質に連れて逃走、と」

 アレクシアが手にしていた剣帯ごと剣を取り上げて、レイモンドはそれを腰につけた。呆気に取られているアレクシアの手を取って、ひらりと隠し通路に身を踊らせる。

「ちょ、待て!」

 これまでの棒読み台詞とは違う、焦った声が自然と出た。出遅れたディクトールが、慌てて二人の後を追いかける。人質云々はあくまでも体裁であって、現実に再現する必要などないのだ。

「待てよ!」

 暗い通路内をそのまま追いかけることもできず、ディクトールはひとつ舌打ちして、灯りを取りに引き返した。



 狭い通路は直ぐに階段になり、石段に足音を響かせながらレイモンドは階段を駆け降りた。弾む息使いがすぐ隣で聴こえる。それがなんとも懐かしく、安心する。

「あっ!?」
「?」

 バランスを崩したアレクシアを引っ張りあげる。手を繋いでいなければ、転がり落ちていた。

「あっぶね…」
「ごめん」

 胸にアレクシア、背中に壁を感じながらふー、と長い息を吐く。それなりに降りただろうか。アレクシアとレイモンドのたてる音以外、聞こえてこない。互いの、息と鼓動だけ。

「……いや。忘れてた。すまん」

 レイモンドは夜目が効く。それに一定の間隔で続く階段を駆け降りるくらいは目を瞑っていても出きることだ。しかしアレクシアはそうもいかないだろう。

「月明かり。見えざる粒子よ、集いて光れ」
「うわっ」

 闇に馴れた目にレミーラの光が痛い。ディクトールも追い付いていないことだし、目が慣れるまで休んでいてもいいだろう。

「こういうものはもっと早く」
「忘れてたんだって」
「もうっ」

 とんっ、と胸を叩かれて、レイモンドはくっくと喉を鳴らした。

「…ディ、どうしたのかな」
「すぐ来るだろ。暗いから手間取ってるだけさ」
「ん…。そうだね」
「……お前」
「なに?」

 目が慣れてきて、改めて気付いた。アレクシアの見慣れない格好に。お姫様というのは勿論その場の乗りだったが、充分通用しそうだ。

「なにもされなかっただろうな」
「え?」
「いや…」

 抱いたままだったアレクシアの体を、そっと押しやる。

「歩きづらそうな靴だな」
「あ、うん。挫きそう」

 爪先の細い、踵がついた靴。初めてはいた。苦笑するアレクシアに、レイモンドもからかい笑いで返す。

「巻き込まないでくれよ」
「失礼な」

 手の甲でぱしっと肩を叩く。その反響音に混じって、ディクトールが階段を降りてくる忙しない足音が聞こえてきた。

「アル!!」

 切羽詰まった声も聴こえる。しばらく耳を済まして、他に音がしないことを確認すると、アレクシアは上に向かい声をかけた。足音が一瞬止まり、それからまたいっそう間隔を狭めて足音が響く。ランタンの赤い光が通路に影を作る頃、レイモンドはレミーラを消した。

「アル!」
「ディ」

 息を切らしてやって来た幼なじみを笑顔で出迎える。
 額に汗を滲ませ、アレクシアには笑顔を返したディクトールは、レイモンドには厳しい眼差しを向けた。

「無駄な騒ぎを起こしてくれたものだね」
「あんな場所で一晩過ごすなんて、デリケートな俺には我慢できなくてね」

 悪びれずに言うレイモンドにディクトールは食って掛かるが、レイモンドは鼻で笑って取り合わない。ディクトールを無視し、階段を降り始めたレイモンドに、ますますディクトールは柳眉を逆立てたが、間に入ったアレクシアと背後に聞こえてきた複数の足音に、不満を飲み込み階段を降り始めた。

「急ごう。降りたらここは塞ぐ」

 アレクシア越しに振り向いたレイモンドが、これには賛成の意を示して足を早める。
 ほどなくたどり着いた出口は藪の中で、この通路の存在すら今日まで知らなかったのだろうダーマの衛兵達が待ち構えているということもなかった。
 宣言通り、ディクトールとレイモンドは出口を魔法で吹き飛ばし、アレクシア達は無事にダーマ神殿を脱出した。

 藪原についた足跡も、石畳の街に出てしまえばやがて辿れなくなる。
 宵闇に紛れて、三人は市街へ出た。人相書きが出回ることは明らかだが、それにはまだ時間的な余裕がある。レイモンドが一人宿屋へ駆け戻り、残っていた荷物を持って戻った。

「二人は?」
「いなかった。さすがに気付いたんだろう」
「あれだけ騒げばねぇ」

 いつもは静かなダーマの街が、心なしか騒がしい。あからさまに溜め息を吐くディクトールの視線から、逃れるようにレイモンドは横を向いた。
 そこへ

「自分だけ…」

 焼け焦げ、ズタズタの神官服から、いつもの格好に大地の鎧まで着込んだ姿で現れたレイモンドを、アレクシアがジト目で睨む。

「しょうがねぇだろ。お前の荷物はなかったんだから。鎧は諦めろ。それに今はその格好の方が都合がいい」

 今の三人ならば、巡礼に来た貴族の令嬢と付き添いの司祭。護衛の剣士に見えるだろう。

「手配書が出回る前に門を抜けてしまおう」
「そうだな」

 頷き歩き出したレイモンドは、ふと思い出したように足を止めた。

「お前は喋るなよ。ボロがでるからな」
「ぐっ。わ、わかってるよっ」

 空が白み始めた頃、アレクシア達はダーマの門を抜け、そこでセイとリリアと合流を果たした。
 騒ぎを問いただし咎めるよりなにより、アレクシアの格好にセイとリリアが反応を示したのは言うまでもない。
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