ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 薄暗い地下の牢獄の中で、レイモンドはじっと機会が来るのを待った。
 所在なげにうろうろと通路をいったり来たりする牢番を、視界の端に捉えて、粗末な筵の上に胡座をかいたまま、じっとしていた。
 ラリホーでも使えれば良かったのだろうが、実は使った事がない。術の構造式はなんとなく解る、ような気がする。
 頭の中でああでもないこうでもないとラリホーを構築し、牢番が目の前を通り掛かった時、レイモンドはゆらりと立ち上がった。

「?」

 鉄格子に近付くレイモンドを、牢番は訝しげに横目で見やる。そうして、目が、合った。

 ニヤリと、レイモンドの唇がわずかに持ち上がる。

「汝の体は眠りを欲す。ラリホー」

 途端に、牢番はぐらりと傾いだ。腰に下げた鍵束が、床に当たってガシャンと耳障りな金属音を立てる。他に収監されていた罪人も居ないようで、騒ぎが起きなかったことに安堵する。石造りの閉鎖空間に響いた金属音も、やがて止んで静寂が戻ってくると、レイモンドは格子の隙間から手を伸ばし、鍵束を奪うと自ら牢屋の錠を外した。

「やってみるもんだな」

 魔力、マナとは、そのままではなんの効力ももたらさ力だ。誰しもが持っていて、世界に満ち溢れている。それを視て・詞にすることで意味を能え、具現化するのが魔法の理だ。だから術者は、対象を見、呪文を発してイメージをすることで魔法を使う。無詠唱で雷を放つアレクシアなどは、レイモンドに言わせれば滅茶苦茶である。それが勇者なのだと、言われればそれまでだが。

「さ、て…」

 奪った鍵束はそのまま牢屋の横に戻しておく。牢番が牢屋以外の鍵を持っているわけがないので、失敬する意味がない。代わりに奪ったのは鍵を束ねていた針金だった。簡単な錠なら、針金一本で開ける技術を、レイモンドは持っている。
 武器も当然取り上げられてしまった。衣服は生乾きだし、襟は破けている。マントもアレクシアに貸したままだ。取り敢えずは誰かの服を失敬する。神官衣を着けていた方が、ダーマの中は歩きやすいだろう。行動が決まるや、レイモンドは猫のような身の熟しで、地下牢を抜け出した。


 一度は忍び込んだ神殿だ。大体の構造は覚えている。洗濯部屋からサイズの合う神官服を引っ張りだし、ざっくり被る。らしくない髪は撫で付けて、鏡の前でレイモンドはふむ、とひとりごちた。知り合いにさえ出逢わなければ、レイモンドが盗賊だとばれはすまい。

(このまま逃げるか…)

 奪われた武器は看守部屋で回収したし、アレクシアは捕まっていないのだから、助けにいく必要もないだろう。

 ただ…

 司祭どもの手からは、ディクトールが守るだろう。けれどそのディクトールからは、誰がアレクシアを守るのだ?
 考えすぎだ、と首を振る。
 それでも離れない。胸にこびりついた嫌なイメージ。別れ際のあの笑みが。

(らしくねぇな!)

 舌打ちして、レイモンドは神官服を翻す。向かったのは出口ではなく、高位の司祭達が暮らす居住区だった。
 ディクトールが居るのは、恐らく自分が軟禁されていた客間だろう。嫌な奴に見付かる可能性は高くなるが、そうもいっていられない。
 見咎められても不信感は与えない程の早さで、レイモンドは先を急いだ。階段を上り、人々が寝静まったダーマ神殿を足音をたてずに進んでいく。
 培ってきた技術は、時として仇となる。
 背後の扉が開いたとき、レイモンドは歩く速度こそ落としたものの、足音までは気が回らなかった。

「おい、そこの」

 声に背中が総毛立つ。生理的に受け付けない。粘着質のこの声は−−
 気付かない振りをして通り過ぎるのは不自然すぎた。しかし、素直に振り返れば絶対にばれる。

「聞こえないのか。お前だ」

 近付いてくる気配。レイモンドは意を決して足を止めたが、往生際悪く振り返りはしない。声の主は苛立ったように、足音高く近付いて、がっしとレイモンドの肩を掴んだ。

「おい、っ!?」

 掴まれた勢いに逆らわず、逆にその勢いを利用して身を翻す。虚を突かれて咄嗟に反応できない高司祭の鳩尾に、レイモンドは強かに拳を打ち込んだ。

「ぐえっ」

 蛙の潰れたような悲鳴を上げてうずくまる中年を、レイモンドは冷ややかに見下ろした。

「きさ、ま…」

 目だけ上げて襲撃者を確認した高司祭は、苦しい息のもと、辛うじて呟く。何故だ? と目を見開く高司祭に向けて、レイモンドは蹴りをくれた。

「ぐはっ」
「自分が痛め付けられる方はダメなんだっけか?」

 唾を撒き散らして呻く中年男の胸ぐらを、掴み起こして睨み付ける。

「おい、俺の連れは何処にいる?」

 ドスの効いた低い声。答えねば殺す。そんな響きに、高司祭は震え上がった。

「…こ、こここの上だ」

 震える指が指し示すのは、やはりレイモンドが軟禁されていた部屋だ。
 ふん、と鼻を鳴らすと、レイモンドは高司祭の襟を掴んで引っ張りあげた。立たせた背後に回り込み、ダガーを当てて脅す。衛兵を呼ばれても厄介だ。自分がかわいいこの男なら、人質には丁度いい。

「しばらく付き合ってもらうぜ」

 チクリと刺さる背中の刃の感覚に、高司祭はひいっと情けない悲鳴を上げた。
 なかなか足が進まない中年男を急かしながら、階段を上り目的の部屋を目指す。辿り着いた部屋の前でレイモンドはふと違和感を覚えた。不安、と置き換えてもいい。
 もたもたと懐から鍵束を取りだし、もたもたと鍵を外そうとしている男の手から鍵束をもぎ取り、レイモンドは鍵を開けた。
 乱暴に押し開けた扉からは、むっとするような麝香が薫る。
 そして聞こえる、衣擦れと人息れ。女のすすり泣くような、細い喘ぎ。

「!」

 頭の中で、確かに何かがブツリと切れた音がした。
 レイモンドは高司祭の存在をすっかり忘れていた。半分開いたままの中扉を更に乱暴に蹴破り、薄暗い室内に飛び込む。闖入者に悲鳴を上げる女と、邪魔者に怒声を上げる男。その声を聞いて気付いた。薄闇に浮かぶシルエットが、彼の求める人物とは違うことにも。

「違…」
「ヒャハハハハ!」

 馬鹿笑いは背後で上がった。騙されたと身構えるレイモンドに向けて、鼻水と涎でベタベタの顔を歪ませて笑う高司祭が懐に隠し持っていた杖を振り下ろした。
 紅い魔石から生まれたメラミ級の火球。咄嗟にレイモンドは、窓ガラスを突き破ってテラスに飛んだ。
 ガラスの欠片と火の粉が後を追いかける。神官衣の裾を振り回して、それらを振り払ったレイモンドは、見上げた頭上に見知った顔を見付け、心底ほっとした表情を浮かべた。
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