ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 まるで王公貴族のようだ。少なくとも、清廉・清貧を旨とする聖職者の暮らしではない。
 運ばれてきたバスタブには、香油を垂らしたお湯がたっぷり満たされ、女性神官が召し使いのように脇に侍る。
 アリアハンの一般的な家庭より裕福な暮らしをしていたアレクシアだが、あくまで庶民である。
 誰かと一緒に沐浴することはあっても、その行為を他人に委ねるなどあり得ないことだ。
 体を洗うのを手伝うと言う申し出は固辞したものの、髪を乾かす段になって女神官は有無を言わさず手を出してきた。
 もはや逆らう気力もなく、出された衣服に素直に袖を遠し、されるがままに髪を編まれる。

「まぁ、なんてお可愛らしい」

 アレクシアの髪を結いあげた女神官は、そう言って誇らしげに嘆息した。湯槽の後片付けをしていた女たちも見にやってきて、口々にアレクシアを褒める。

「さ、ご覧になって」

 正面に回された姿見に写るのは、まるで貴族のお姫様だ。
 滑らかな絹の肌着に、淡い水色のローブ。全てに香が炊き込まれているのか、湯に入れた香油のせいだろうか。甘い花の香りが、あまりに自分には不似合いで、鏡に写る姿も含め、何もかもが出来の悪い虚構のようだ。あまりに滑稽で、笑うことすら出来ない。
 言葉もなく立ちすくむアレクシアに、世話役の女神官はやや拍子抜けしたように目をしばたかせた。アレクシアの年頃の娘なら、ドレスに浮かれぬ筈がない。

「ほ…、ほほほ。あんまりびっくりして、言葉も出ないんでしょう?」

 気に入らない訳がない。そんな勿体無い話、あってはならないことだ。
 取り成すように、アレクシアの髪を結った女神官が紅を手に言った。

「さ、これで完成ですよ」

 唇に、紅を指す。

「お綺麗ですわ。羨ましい」

 ダーマの女達が今、一番憧れを抱いている賢者が、これ程までに心を砕く娘。そして貴族の娘にするような待遇に、つい本音が漏れた。

「本当、代わりたいくらい」

 嘆息と共に垣間見えた嫉妬に、アレクシアの眉がぴくりと動く。

 変わりたい、だと?
 なにも知らないくせに。

 眼だけで、紅指す女神官を見る。その視線のあまりの冷たさに、女神官はびくりと手を引いた。

「…もう、結構です」

 感情を消した静かな声。それ故に、圧し殺された感情の激しさを、うかがい知れようかというものだ。

「ディクトールを、呼んでもらえませんか」

 そう言ってアレクシアは、引かれたばかりの紅を、ぐいと乱暴に手の甲で拭い落とした。



 警邏から事の顛末を聞き終えたディクトールは、そのまま自室の隣でアレクシアの用意が終わるのを待っていた。
 離れていた半年。アレクシアの側にレイモンドは居続けたのだろう。
 確か、出ていくと啖呵を切った筈だが、はじめから期待はしていなかった。だからレイモンドが目の前に現れた時も、やはりか、程度にしか思わなかった。気に入らないのは、ふたりの間に漂う空気の変化だ。

(離れたのは失敗だったろうか)

 まさか世界樹の葉を持ってくるとは思わなかった。その為にレイモンドは残ったのだろうか。探索行にセイが加わっていたとは考えにくい。何かあったのだとしたら、その時か…
 胸に溜まった息を吐き出す。
 その時、扉が叩かれた。

「賢者様、お連れ様の支度が整いました」

 過ぎてしまった事は気にしても仕方ない。後悔よりも実りある現在(いま)を、ディクトールは手にいれた筈だ。

「ありがとう。今行きます」

 柔和な笑みを浮かべ、使いの女神官に礼を言う。きゃ、と可愛らしく赤くなるが、そんなものははなから目に入っていない。
 表向きは優しく気遣いを見せながら、ディクトールが求めているのはアレクシアの姿ただそれだけ。
 自分が使っている部屋に招かれるというのもおかしな話だが、女神官が来訪を告げると、中からアレクシアの声がした。
 ディクトールは扉に手をかけ、立ち去る素振りのない女神官に、内心憤りを覚えつつ暇を告げる。

「ありがとう。もう大丈夫。夜分にすみませんでした」
「え…、でも…」

 変化に乏しい生活で、興味を持たれるのはわかる。が、はっきりいって迷惑だ。
 笑顔に困惑を混ぜて、ディクトールはじっと女神官を見た。

「で、では、失礼いたします」
「ええ。ご苦労様」

 にこり。スカートの裾をたくしあげ、慌てて立ち去る女神官の姿が、廊下の角を曲がるのを待って、ディクトールはようやく自室のドアを開いた。


 言葉が、出なかった。
 美しいことは知っていた。だが、ここまでとは、正直思っていなかった。惚れているという色眼鏡を除いても、ディクトールはアレクシアの美しさに見とれただろう。

「ディ?」
「あ、ああ。ごめん」

 我に帰り、扉を閉めて中に入るが、しばらくは落ち着きなく動悸が続いた。

「あんまり雰囲気が違うからびっくりした。やっぱりアルは綺麗だ。似合うよ」

 部屋の真ん中に、すっと背筋を伸ばして立っているアレクシアは神々しくすらあって、直視するのが躊躇われた。それでディクトールは、わざと軽い調子で話し掛けながら、アレクシアに背を向けお茶の支度を始める。

「事情は聞いたよ。大変だったね。僕から説明しておいたから、レイモンドも大丈夫だよ」

 固い表情で壁を見詰めていたアレクシアが、レイモンドの名前を聞いてはっとディクトールを見た。それを感じて、ディクトールの胸に苦いものが拡がる。

「夕食は? 少しお腹にいれた方がいい」
「うん…」

 茶と一緒にビスケットを盛った皿を並べたテーブルに、アレクシアを誘う。勧められるままにミルクを入れた甘いお茶を一口含むと、懐かしさにアレクシアの頬が緩んだ。
 ハチミツとミルクを入れたハーブティ。風邪を引くと母が作ってくれ、喧嘩の仲裁にディクトールが開いたお茶会で、いつもディクトールが淹れてくれたお茶。特別な時にだけ飲める、少しの贅沢。

「落ち着いた?」
「…ん」

 湯気と共に胸に溜まった息を吐く。一度にたくさんのことがありすぎて、気持ちが昂っていたかもしれない。深呼吸して、アレクシアはぎこちなく微笑んだ。なんだかんだ言っても、やはりディクトールにはいつも助けられていると、思い知らされたから。

「よかった。やっと笑ったね」

 ディクトールも微笑んで、自分も茶を一口飲んだ。

「昼間はごめん」
「ううん。わたしの方こそ、感情的になった。ディは悪くない」
「じゃあ、仲直り」

 にこりと差し出された手を、アレクシアもはにかみながら取る。仲直りお茶会の記憶も相俟って、すっかり心の強張りは解れていた。

「さて、それじゃあ聞かせてくれる? こんな時間に何やってたの?」

 少し、怖い顔でディクトールはアレクシアを見た。門限に遅れた妹を叱る兄のような真面目な顔で。
 アレクシアは一瞬言葉に詰まり、しどろもどろに答え始めた。昼間ダーマを飛び出した後、エルフならばセイの腕を治す術を知っているのではないかと考え付き、エルフの行方を聞こうと宿を飛び出したこと。そしてたまたま偶然に、街でレイモンドと遇い、死体を見つけ、事件に巻き込まれたこと。
 人間がトロルになったことや、それがレイモンドの知人であった事。殺された人物もレイモンドの知人である事などは意識的に伏せた。なぜそうした方がよいと思ったのかは、説明できない。

「そう…」

 聞き終えたディクトールは、思案げにまぶたを伏せた。嘘はついていないが、真実を告げた訳でもないアレクシアは、内心ばれはしないかと気が気ではなかったのだが、不思議と表面には現れてこなかった。嘘をつくのがうまい方ではないアレクシアにしては、奇跡のような落ち着き方だった。

「エルフか…。そうだね。調べてみよう。僕も手伝うよ」

 微笑むディクトールに、アレクシアもほっと息を吐く。

「だけどアル」
「え」

 全くの不意打ちだった。髪の毛を潜り、頬を包む骨ばった冷たい手の感触に、動きも思考も縛られる。

「アルは女の子なんだから、こんな時間に外を出歩いたらダメだろ」
「う、ん。ごめ…」

 逃げ出したい。逃げ出したいのに、体が動かない。

「髪、伸びたね」
「そ、う、かな?」

 長い指が、髪を梳いて弄ぶのが視界の端に見えた。

「もう誰も、君の事を男だなんて思わないだろうな。だから、気を付けてほしいんだ」

 説教に戻るのだろうか。それならいい。ディクトールの心配性は、今日に始まったことではない。

「覚えてる? 髪が肩まで伸びたら、逃げずに僕の話を聞いてくれるって約束したよね」

 アレクシアの髪の毛先を弄びながら、まだ少し早いけど、とディクトールは苦笑した。いつもは、あちらこちらに跳ねている毛先も、丁寧に整えられたお陰で、今はまっすぐ肩に落ちている。

「返事は、すぐじゃなくてもいいんだ。選択肢のひとつとして、考えておいてほしい」

 鼓動が早くなるのは、不安にだろうか。
 眉根を寄せるアレクシアに、ディクトールは困ったように僅かに笑った。少しだけ、台詞の内容を変える。こんなに身構えられたら、正攻法の告白なんて出来っこない。

「ダーマで僕は真実を知ってしまった。だから話すよ。酷かもしれないけど、聞いてほしいんだ」

 ディクトールは何を言おうとしているのだろう。
 きっと、わたしを困惑させる内容だ。こんな風に予防線を張って、遠回しに言うときは、決まって言いにくいことを話すとき。

「君は勇者じゃない。だから、バラモスを倒しになんか、いかなくてもいいんだ」

 毛先を弄んでいた指が、アレクシアの頭を撫でる。甘やかすように、宥めるように。

「アル、僕と一緒に暮らさないか? すぐじゃなくていい。エルフを探して、落ち着ける場所を探せばいい」

 ガタリと椅子を鳴らして、アレクシアは立ち上がった。立ち上がった拍子にカップが倒れてお茶がこぼれたが、それにさえ気づいていない。信じられないものを見るように、小さく首を左右に揺らして、アレクシアはディクトールを見る。

「どうして?」

 震える声で問うアレクシアを、ディクトールもまた困惑の表情で見上げた。

「どうして、って…。だってアルは女の子じゃないか。勇者でもないのに、無茶だよ」
「リリアだって、女の子だよ」
「アル…」

 テーブルの上で震えていた手を取る。聞き分けてくれと、懇願するように、アレクシアの手を両手で包んだ。

「アル。いいかい? ダーマ神殿は勇者の動向を管理していた。君が生まれるずっと前から、神託を受けていたんだ。だから知っているんだよ。オルテガ様は勇者じゃなかった。隠れ蓑(ダミー)だったんだよ。だから君も違う。世界や生まれに責任を感じる必要はないんだ。もう十分だろ? 君はただの女の子に戻っていいんだよ」

 意図的な視線の誘導。その先の姿見には、着飾られた少女が写っている。

 …はっ

「アル?」

 息を吐くようにアレクシアは笑った。嘲けるように、呆れたように。

「どうでもいいよ。そんなの…」

 どれほど取り繕っても、どんな衣装を着せて香を炊いた所で、本質は変わらない。染み付いた血の臭いは、死の臭いは、どうしようもなく滲み出してくる。
 普通の女の子。そんなものになった記憶なんてない。憧れなかったといえば嘘になる。それでも、選んだのは自分だ。
 今更知りもしないものになれやしない。
 アリアハンを旅立ったばかりの頃ならいざ知らず、もうアレクシアにはバラモスを倒すだけの理由が出来てしまった。
 今更やめられない。自分が勇者ではないというなら尚更、失った友の右腕を購うだけの成果が要るのだ。

「悪いけど、聞けない。旅をやめるつもりはないよ」

 するりとディクトールの手を振りほどき、アレクシアは問うた。着いてこいとは言わない。返事を待たずに窓の外を見やる。何故かはわからなかった。ただ、正面からダーマを出ることはないような気がしていた。

「アル、僕はっ」

 テーブルが邪魔をしてアレクシアに手が届かない。もどかしく回り込もうと立ち上がった時、爆発音が響いた。
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