ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 どんな術によって、鼠の群れを操っているのか検討もつかないが、録でもない魔術であることには違いない。
 アレクシアとレイモンドは同時に詠唱に入り、同時に術を解き放った。
 アレクシアのベギラマが鼠の群を覆い、炎を後押しするようにレイモンドのイオラが通路いっぱいに爆炎を拡げ、迫りつつあった鼠の群を押し戻す。

「ヒャド」

 熱が逆流する前に、アレクシアは炎と自分達の前に氷の盾を作り上げる。その上で、アレクシアはちらりとレイモンドの様子を伺った。
 話し振りからして知り合いだろう。恩人を殺した張本人でもあるらしい。情報を得る前から、殺してしまってよかったのだろうか。

「熱…」

 ヒャドを唱えて尚、逆流してきた風は熱を持っている。イオラで威力を増したベギラマは、防ぐ術を持たぬ人間を焼き尽くすには充分な火力を持つだろう。
 炎が消えた後、肉を焼く独特の匂いが辺りを漂い、黒煙が視界を遮った。
 煙を吸い込まぬようにと、マントで鼻と口を覆おうとした時、アレクシアとレイモンドは咄嗟に反対方向へ跳んだ。
 ひりつくような殺気が、熱と煙の中を割って飛び出してきたのだ。
 膨れ上がった巨体。爛れてシワだらけの茶色い肌。トロル、と呼ばれる異界の住人。
 ミトラの霊験顕たかなダーマに、外から魔物が入り込むとは考えにくい。ましてや、このわずかな時間に侵入するなど不可能だ。騒ぎにならないわけがない。
 人間が、魔物に変貌した。そうとしか考えられない。

「な…っ?」

 言葉を無くすレイモンドには目もくれず、かつてガズと呼ばれていた魔物は、巨躯に似合わぬスピードでアレクシアに追い縋り、丸太のような腕を振り回した。

「!」

 かわすのは間に合わない。剣を立てて受ける。それだけで精一杯だ。

「ぐぁはっ!」

 受けた力を逃すことができず、アレクシアはそのまま壁に叩きつけられた。衝撃の瞬間、頚に力を入れたお陰で骨折こそしなかったものの、視界が暗くなり、意識が遠退きかける。
 剣だけは、手放さなかった。しかし膝に力が入らない。
 にたりと笑う口から、だらしなく涎を垂れ流しながら、トロルの腕がアレクシアを捕らえようと伸びる。あの手にかかれば、アレクシアの骨など、容易く砕かれてしまうだろう。

「く、っそ!」

 レイモンドは何度となく、トロルに向けてアサシンダガーを振るっている。しかし、如何に鋭いアサシンダガーの刃を持ってしても、所詮は刃渡りの短いダガーだ。トロルのたぶつく皮膚を、分厚い脂肪を切り裂いて、致命傷を負わせることなど出来はしない。
 それがわかっているから、トロルもレイモンドに全く注意を払わないのだ。
 焦るレイモンドをいたぶるように、トロルはにたぁりとレイモンドを見た。立ち上がろうと足掻くアレクシアの頭をつかんで持ち上げる。

「あ、あ、あああっ!」

 骨がきしむ。爪が食い込み、皮膚を破り、流れた血が視界を奪った。

「アレクシア!」

 子供が昆虫を捕まえた時のような無邪気な残酷さで、トロルが嗤う。武骨な指が、器用にアレクシアのマントを引きちぎり、爪が白い素肌を傷付ける。
 一思いには殺さない。それでは折角の玩具が台無しだ。

「おまえには何も出来ない。おまえは何も守れない」

 盾にでもするかのように、戦利品を見せびらかすように、トロルはアレクシアをレイモンドの前にぶら下げた。
 こうなっては、下手な手出しは出来ない。アレクシアを巻き込むだけだ。

「ちっ」

 舌打ちするレイモンドに、トロルは満足そうな笑みを向けた。

「絶望しろよ。レイモンド。おまえたちの嘆きが、魔王様の糧になるんだ」

 レイモンドの悔しそうな顔。嬉しくて堪らない。

「お前の情けない面が拝めて、魔王様の邪魔をする奴も始末出来る。一石二鳥じゃないか」
「ガズ、てめぇ…!」

 もっと、もっとだ。怒りと絶望にうち震えるがいい!
 自分が人間だった頃、感じていた屈辱は、これっぽっちじゃ済まされない。
 トロルは哄笑った。優越感に体が震える。
 偉威高げなレイモンドを、打ちのめして、もっと苦しませたい。もっと優越感を味わいたい。こんなに気持ちがいいなら、もっと早くこうしておけばよかった。この女を捻り殺したら、あいつはどんな顔をするだろう?
 紫色の舌を伸ばして、アレクシアの血を舐める。嫌悪感にアレクシアは呻いたが、悲鳴を上げはしなかった。それが気に入らず、トロルは乱暴にアレクシアを左右に揺すった。

「くぅっ」

 啼かない女ほどつまらないものはない。啼かないのなら、綺麗な赤をぶちまけるだけだ。

「全部殺してやる。サマンオサのやつらのように」



 壁に叩きつけられた時に外したのだろう。アレクシアの左腕はだらりと力なく垂れ下がり、ばたばたと暴れる足は空を蹴るばかりだ。けれど右手には、剣が握られている。血で塞がりかけた目を懸命に開き、アレクシアはレイモンドを見た。
 互いに、本のわずか、顎を頷かせる。
 トロルの手がアレクシアの胴に伸びた。本人はさほど力を入れていないつもりでも、体を締め付ける力にアレクシアは悲鳴を上げる。肺の中の空気が全部押し出された結果、そんな声が漏れたのだ。これには、トロルも満足したらしい。レイモンドなどそっちのけで、アレクシアを掴んだり放したりを繰り返す。新しい玩具を手に入れた赤子のように。

「うぁっ」

 ごきん、と鈍い音と、激痛を堪え切れずに漏れた声が重なった。胴体にかかるトロルの圧力が消えた瞬間、アレクシアは右手の剣を離した。力尽きたかと嗤うトロルの顔をめがけて、左手を振り上げる。

「ぐおっ」

 外れた肩が填まったのは偶然だった。振り上げた拳が、トロルの眼に当たったのも。
 しかしこれは、偶然じゃない。
 アレクシアが離した剣を空中でキャッチし、レイモンドは刃をトロルの腹の下から斜めにつき入れる。

「?」

 ただぼんやりとアレクシアがなぶられるのを眺めていたわけではない。バイキルトとピオリムは発動済みだ。
 柄まで埋まった刃を難なく引き抜き、状況を飲み込めずにいるトロルの手首から先を切り飛ばす。
 泥の中に落ちるアレクシアを抱き止める、とまではいかなかったが、解放には成功した。

「無事か」
「なんとか」

 声をかけながら、泥濘の中からアレクシアを引っ張り起こす。痛みに顔をしかめつつ、勝ち気な笑みを見せるアレクシアに、頷く代わりに笑みを返した。

「な、何が…」

 だくだくと己が流す血に下肢を濡らし、トロルはアレクシアと右手を交互に見た。足元には、さっきまで右手の先にあって、アレクシアを捕まえていた手が落ちている。

「なんで…」

 ごぼりと、口から血泡が溢れて声が濁る。
 自分が傷付いていることが理解できない。死に瀕しているなど、信じられるはずがない。

「王様が、王様から…」

 人間より強い肉体を、他者より優れた力を、与えられたのだ。その自分が敗れるはずがない。けれど体に力が入らない。憎い男が目の前にいるのに、なぜ自分は、その男にまた見下ろされているのか。

「い、嫌だ…。死にたくない」

 のろまな約たたずと、自分を嘲笑った奴等と同じになんてなってたまるか。
 ようやく手に入れたのだ。他人を見返す事ができる、誇れるだけの自分自身を。

「それは、人間やめて手に入れるもんじゃなかったんだよ」

 え? と見上げたガズが最期に見たのは、煌めく白刃と、それを降り下ろすレイモンドの、見たこともないような優しい憐れみの目だった。


 男の死の間際の呟きは、アレクシアにも届いていた。それでなんとなく、この男がどんな人間であったのか理解できたように思う。
 弱い心に、魔がつけこんだのだろう。
 けれど彼だけが、特別だったわけではない。
 人間は、誰しも弱い部分を持っている。アレクシアでさえ、この男のようにならないと言い切ることが出来ない。
 魔につけこまれる隙を、作ってはならないと戒める気持ちはある。けれど、どうしようもなく、弱い心が顔を出す瞬間があるのもまた事実だ。
 ガズという名であった男がした事は、当然許すことは出来ない。当事者であるレイモンドには尚の事。
 けれど、同情の余地ならば、あるように思えた。
 無表情に闇を見つめるレイモンドを見る。
 一度でも、友と呼んだ相手を、手にかけねばならなかったレイモンドの心中は、いかばかりだろう。

「レ…」

 自分でも、何と言おうとしていたのか解らない。伸ばした手は、レイモンドに触れる前に、無造作に被せられた布に遮られてしまった。

「っわぷ」

 頭から被せられた厚手の布はレイモンドのマントだ。アレクシアにはサイズの合わないマントに四苦八苦していると、布越しにべホイミをかけられたのが解った。
 エルシアの記憶を得て以来、ミトラの呪に因る魔法は気持ちが悪い。けれどレイモンドの魔法には、安心して身を委ねることが出来た。

「巻き込んで悪かったな」

 ぼそりと呟かれた言葉に、アレクシアは急いでマントから顔を出すと、レイモンドの胸ぐらを掴んだ。

「お、おい」
「ふざけるな!」

 アレクシアの体には大きなマントは、襟元で調節をしてやらなければずり落ちる。落ちれば、裂けた脇から白い素肌が覗いて見えるはずだ。

「ちょっ」

 焦るレイモンドには構わず、アレクシアは下からレイモンドを睨み付けた。

「巻き込んだとか、情けないこと言うな! わたしはお前の何だ? お前、いつまでお客さんのつもりでいる気だよ!?」

 出会って1年。共に死線をくぐってきた。
 過去の記憶の事を抜きにしても、もう十分、仲間と認めていい頃だ。

「あーー……」

 レイモンドは空を見上げ、観念したように苦笑した。それから、アレクシアの肩に手をやり、自ら一歩下がって距離をとる。

「セイもきっとおんなじこと言うな」

 襟の止め紐をきゅっと絞って結んでやる。

「お前にっ!」

 話題をすり替えられて、アレクシアの頬に朱が走る。自覚しているだけに、そこを突かれると痛い。

「言われたく、ない…!」

 尻すぼみに勢いをなくすアレクシアに、レイモンドは「違いない」と低く笑った。笑われて、アレクシアはますますむくれて唇を尖らす。後にして思えば、随分子供っぽく甘えた態度だったと赤面するしかない。ただ、拗ねているだけにしか見えないのだから。

「悪かった」

 ぽん、と頭に乗せられた手が心地よくて、先程までの苛立ちやもやもやが、嘘のように晴れていく。それでも、いいようにあしらわれているようで、それはそれで面白くない。

「歳上振っちゃてさ」

 せめてもの仕返しに脛を軽く蹴ってやる。そういえば、レイモンドが何歳なのか、どんな子供時代を過ごしたのか、聞いたことがない。いつか、聞いてみよう。時間はたくさんあるはずだから。
 しかし今は、やることがある。
 通路に、屍がふたつ。
 共同墓地に運ぼうにも、ふたつ同時には運べない。乞食に、余所者だ。路地裏で獣に喰われても誰も気にしない。気づきもしないだろう。しかし、アレクシアやレイモンドには関わりのある人物だ。このままにはしておけなかった。

「さて…」

 どうしたものかと顔を見合わせる。レイモンドが困惑した表情を見せたのは、複数の気配が近付いて来るのを察したからだ。
 静かであるべき神聖なるダーマの夜を、あれだけ派手に騒がせたのだ。警邏が動かぬ訳がない。
 ともあれ、死体の処理はこれで方がついた。あとの問題は咎めなく解放されるか、だった。
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