ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
25ページ/108ページ

34-8

※この先、一部に血の表現を含みます。当社比ですが、ソフトタッチ。



 少し、時間を遡る。

 レイモンドがアレクシアに会わせたいと言ったのは、あの神殿の壁と壁の間に住む老人である。
 道すがらレイモンドはその老人との関係をざっと説明し、神殿が創る影へとアレクシアを導いた。
 アレクシアはアレクシアで、夜中に宿を飛び出し、どこへ行こうとしていたのか、しどろもどろに白状させられている。理由を聞いて、レイモンドは呆れたような、馬鹿にしたような顔でアレクシアを見た。

「な、なんだよっ」
「お前さ…」

 深々と溜め息を吐かれて、アレクシアの頬に朱が走る。

「そんなお伽噺にしか出てこないもんを、信じてるのかよ」

 オコサマか、とレイモンドが鼻で笑う。

「だけど! 居ないとは言い切れないだろ?」

 世界樹はあった。ホビットにも会った。魔王もいるらしいし、賢者や勇者だって居るではないか。エルフだけがいないと、なぜ言い切れよう。

「ああ。でも、居るとも断言出来ない」

 だろ? とレイモンドの瞳がアレクシアの瞳を探る。
 馬鹿にした、からかうようなレイモンドの視線は、いつもアレクシアを苛立たせる。しかも、大抵言っていることは正しくて、アレクシアは内心その正しさを認めながら、どこか納得できずに反発するのだ。
 唇を噛み締めて押し黙るアレクシアの頭を、レイモンドは細く長く息を吐いた後で、ぽんぽん、と軽く叩いた。

「叩くなっ」
「叩いてねぇっ」

 振り払おうとする腕を掻い潜り、小さな子供をなだめるように頭を抱えて抱き寄せる。もうレイモンドは、からかうような笑みを浮かべてはいなかった。アレクシアの中の苛立ちが霧散して、こんな時だというのにどきりと心臓が高鳴る。

「なぁ。俺だって何とかしたいよ。だけど、一々期待させられて、裏切られるあいつの気持ちも考えてやれ」

 ひときわ高く跳ねた心臓は、その言葉でぎゅうと締め付けられ、しぼんでしまう。そんなこと、考えもしなかった。
 大人しくなったアレクシアをどうしたのかと、俯いたその顔を見てしまい、レイモンドは一瞬言葉に詰まる。こちらも同様に、ひとつ心臓が高く跳ねた。喉に感じた異物を除こうと咳払いをして、平静を装い言葉を続ける。

「……世界中を旅することになりそうだしな。そのうち見つかるさ」

 ぽんぽん、と再び頭を叩く。今度は叩くなという文句は出なかった。

「うん」
「………」

 放せと言うかと思ったら、アレクシアはそのまま素直にレイモンドに肩を抱かれて歩き続け、内心どぎまぎしながらも、レイモンドは引っ込みがつかずにそのままゆっくり歩き続けた。
 そして、昼間レイモンドがやって来た、あの裏路地へ足を踏み入れた瞬間、二人はどちらともなく離れた。互いに走らせた視線は、戦に挑む戦士のそれだ。

(なんだ…?)

 辺りに漂う異様な気配の正体に、初めアレクシアは気付かなかった。しかしすぐに、それが小動物の群れが蠢く気配だと知ることになる。
 暗がりの中でも、レイモンドの金色の髪は目立つ。アレクシアに先んじて通路の奥へ慎重に足を進めたレイモンドが、息を飲むのがわかった。そしてアレクシアの足下を小さな鼠が何匹も走り抜けて行ったからだ。

「いっ」

 悲鳴こそ上げなかったものの、悪寒に肌が粟立ち、群れが走り去るまで身動きひとつ取ることが出来なかった。下手に動いたり、悲鳴をあげて群れを刺激すれば、小さく鋭い無数の牙が、食いついてくるような気がして。
 実際、その直感に従ったお陰で、アレクシアは事なきを得た。主観的には長く感じられた数秒の後に、アレクシアは息を吐き出し、同時にレイモンドが唱えたのだろう明かりの魔法が群れの去った路地を照らし出した。

「うっ!?」

 思わず、声が漏れた。
 熱の感じられない魔法の明かりの下で、血の気を失った顔でレイモンドが立ち尽くしている。そして、俯く彼の視線の先に、その死体は転がっていた。
 黴と獣の匂いに慣れてくると、そこに混じる血の匂いに胸が悪くなりそうだ。

「レイ…」

 表情を無くして立ち尽くすレイモンドの様子からして、獣に食い散らされたあの死体が、レイモンドが世話になったという人物なのだろう。
 掛ける言葉が見つからず、そっと腕に触れたアレクシアを、のろのろと見たレイモンドは、息を吐くように笑った。

「無駄足、踏ませちまったな」

 無言で首を振り、ぐいと襟をつかんで引き寄せる。面食らって反応できずにいるレイモンドの頭を肩に寄せ

「泣いていいよ」
「は?」

 アレクシアの腕の拘束を解いて、レイモンドはまじまじとアレクシアを見た。

「昼間はわたしが借りたから。お返し」

 至って真面目な顔で、アレクシアは見上げてくる。

 ぷ…っ

「なっ、なんで笑うのっ?」
「いや、だって、そりゃお前…」

 アレクシアの肩を肘掛け代わりに肘を付き、額をおおってレイモンドはしつこく笑い続けた。
 誠意を笑われてブスくれているアレクシアも、レイモンドに笑われている間に、男を相手に「泣いていい」なんて、流石に馬鹿だったろうかと恥ずかしくなってきた。

「も、もぉお、いい加減に…」
「アレク」
「え…」

 どん、と背中に塀の固い感触。レイモンドの作る影に、森での記憶が甦る。

(や…。何?)

 キスされるのだと思ったら、頭の中が真っ白になって体が動かなくなった。肩をつかむ指は自分とは全く違う。力強い男の指だ。いつもは気にもならないことが、やけに強調して感じられる。

「…つっ」
「え?」

 本のわずかな間の出来事だった。
 アレクシアを壁に庇ったレイモンドの肩と背を、小さな風の刃が切り裂いて行き過ぎ、茫然と立ち尽くすアレクシアの前で、レイモンドは武器を抜き放ち路地の出口を睨み付けている。

「誰だ!?」

 誰何の声に応えたのは、狂気染みた哄笑。笑いながらその人物は、紙煙草を口にくわえて火を着けた。流れてくる白い煙は、脳が痺れるような甘い香り。ジパングで嗅いだ香りに、似ているような気がした。
 悲しいかな、荒事には慣れているアレクシアだ。直ぐ様意識を入れ替えて、レイモンドの傷にホイミをかける。バギでの裂傷に似た傷を癒しながら、退路を伺う。ここは袋小路だ。後ろに引いても、高い壁に行く手を遮られる。逃げるにしろ、戦うにしろ、前しかない。
 光の届かぬ影の中で、男は低く笑い続けている。
 漂ってくる紫煙の香りに、止まぬ狂気染みた笑い声に、レイモンドは覚えがあった。そう遠い昔ではない。手繰り寄せるまでもなくその人物の正体に辿り着く。

「ガズ…?」

 孤児院と言い換えても間違いではないだろう。サマンオサの盗賊ギルドで、共に育った仲間。図体ばかりでかくて、うすのろで、頭もいいとは言い難かった。レイモンドの嫌いな薬をやっていて、どうやらまだ止められないでいるらしい。
 それでも、あの殺戮の中を生き延びた、数少ない仲間ならば、再会が嬉しくないわけがない。
 彼が、正気だった場合は、だが。

「ガズだろ!? てめえ、なんのつもりだ!!」

 レイモンドの知るガズは、バギなんて使わない。鼠を使役する術など、知るはずもない。
 或いは、ガズではないのかもしれない。どちらでもよいことだ。攻撃を受けたのは事実なのだから。
 油断なく武器を構えてレイモンドが名を呼ばわった時、男の笑い声が不意に止んだ。

「なぁ、レイ。知ってっか? 勇者が魔王を倒す旅に出たんだってよ」
「?」

 抑揚のない声で、煙草をくわえたまま男が喋り出した内容は、レイモンドがガズと最後に話したものと同じだった。
 ガズ本人に間違いないということか。だとしても、意図がつかめない。

「なんなの?」

 自らも剣を抜きながら、アレクシアはレイモンドの横に並ぶ。互いに目は男に向けたまま、レイモンドは吐き捨てるように言った。

「昔の知り合いらしいが、薬中の考えてることなんか知るか」

 紫煙を燻らせたまま、ゆらりと影から男が身を覗かせる。
 アレクシアの喉が、悲鳴を飲み込んでひっ、と鳴った。
 肩に、頭に、鼠を群がせ、魔法の明かりに顕になった顔は、人とは思えぬほど醜く崩れている。

「これで世の中、少しは住みやすくなるだろう。なぁ?」
「ガズ、お前…」

 さすがのレイモンドも息を飲んだ。昔の友人の面影は、今の姿のどこからも感じられない。目だけが、爛々と輝いている。狂気を宿して、爛々と。

(この、視線)

 レイモンドには覚えがあった。
 逃げ出した秘密の地下通路で、殺戮のサマンオサで、レイモンドはこの視線を感じていた。

「まさか、お前」

 問う声が震える。
 バカだバカだと思っていたが、まさかそこまでバカだとは思わなかった。

「なぁ、レイ。でもおれ思ったんだ。別に勇者なんかいなくても、おれは楽しく暮らせるんじゃないかって」

 ふぅ。
 異形の顔の中で、そこだけが原型をとどめた唇が紫煙を吐き出し笑みを刻む。
 狂気の笑みを。

「お前、サイモンの子供だったんだ? 王様に逆らおうとしてたんだって?」

 懐から新しい煙草を取りだし、口にくわえて火を着ける。

「おれ、お前の事、嫌いだったんだ。知ってた?」

 紫煙を吐き出しながら、くすくすと笑う。

「顔がよくて、何でも出来る。年下の癖にいつも偉そうでさ。だから、苦しませて殺してやろうと思って。どうしたらお前を絶望させられるか考えた。女に持てる癖に、誰も本気じゃなかったろ? だから、待ってたんだ」

 にたぁり、と三日月型に歪んだ口許から火を着けたばかりの煙草が落ちる。異形の目がぎょろりとアレクシアを見、舐めるような視線に、思わずアレクシアは半歩後退さった。

「お前の大切なもの。全部壊してやる」

 ぞわり、男を中心に群れが膨れた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ