ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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ダーマ神殿施設内部での殺人があったと、正面が騒がしい。最高司祭に事情を説明する警邏の神官達が引っ捕らえてきた容疑者を見て、ディクトールは思わず声を飲んだ。
「ア…」
逃げようと思えば逃げられるだろうに、大人しく捕まっているのはアレクシアとレイモンドだ。
容疑を掛けられたことよりも、二人一緒にいたところを捕まったらしいことに、ディクトールは渋面になる。アレクシアが羽織っているのが、レイモンドのマントであることも納得いかない。そうとは知らずにアレクシアは、すまなそうに首をすくめて、上目遣いにディクトールを見た。
「賢者殿の連れだと、言って聞かないものですから…」
「出任せに決まっている。連れていけ!」
しどろもどろにそう説明する神官をしかりつける司祭を制して、ディクトールは警邏の神官の前に進み出た。温和な表情で、先ずは老を労う。
「彼らが殺人を? 何かの間違いではありませんか。彼女はアリアハンの勇者オルテガの子。わたくしが仕える勇者です」
アレクシアの縄を持っていた神官が息を飲み、憐れな程に狼狽するのがわかった。
「ほう、この娘が」
意味ありげに司祭がアレクシアを見る。粘着質の視線にぞくりと悪寒がアレクシアの背中を駆け抜けた。すかさず、レイモンドが司祭とアレクシアの間に体を割り込ませる。拍子に縄が手首に食い込むが、強気に司祭を睨み付けた。レイモンドの視線は、司祭に続いてディクトールをも貫いた。気の弱いものなら目をそらしていただろうレイモンドの眼光を、ディクトールは表情ひとつ変えずに受け止める。
ディクトールはダーマが勇者や賢者らしき人物にやる事を知らないはずがない。それなのに、ここでアレクシアを勇者だと最高司祭に告げるなど、レイモンドには正気の沙汰とは思えなかった。
「ふむ…」
睨み付けてきたレイモンドを、司祭は面白そうに見つめ返す。顎に手をやり、しげしげとレイモンドを観察した後で、司祭は思い出したと手を打った。
「見たことがあると思ったら、お前、いつぞやの盗人か」
「いいえ、司祭様。初めてお目にかかります」
しれっと答えるレイモンドよりも、横で聞いているアレクシアの方がどきどきしている。平気な顔をしていられなくて、アレクシアは床に目を伏せた。
「そうかな? 覚えているぞ!」
司祭は言うなりレイモンドの襟を掴み、力任せに胸を開いた。ボタンが弾けて床に跳ね、部屋の隅まで転がっていく。
「この鎖骨、間違いなくあの時の盗人だ」
つつつ、とレイモンドの顎から喉、鎖骨を司祭の指がなぞる。
「どこで人間を記憶してやがる。変態野郎!」
あまりの気持ち悪さに司祭を足蹴にした後で、レイモンドははたと我に返った。これでは認めたようなものだ。舌打ちするレイモンドを、床に尻餅をついたまま、司祭は笑った。
「観念することだ。レイモンド」
この男に記憶された名前ならもう要らないと、レイモンドは半ば本気で考えた。声に形があるのなら、司祭の声はねちゃりと糸を引くだろう。
「勇者の伴に、貴様のような盗人が紛れている訳がない。−−連れていけ」
「レ…っ」
思わず声を上げたアレクシアに、レイモンドとディクトールが止せと目配せを寄越した。
引き立てられていくレイモンドを成す術なく見送るしかない自分が、悔しくて仕方ない。唇を噛むアレクシアの手にかけられた縄を外してやると、ディクトールは赤く擦りきれた手首にホイミを唱えた。その隙に、そっ、と耳元に囁きかける。
「逃がす算段はつける。今は君の安全が最優先だ」
「…っ」
先程の司祭の視線を思いだしてしまい、アレクシアの背を再び悪寒が走る。
命の危機とは違う。生理的な嫌悪感。
生まれてこの方、この類いの危機には瀕したことがないアレクシアだが、ディクトールが言わんとすることは、なんとなく理解できた。
「女なんかに、生まれてこなければ」
思わず口をついて出たのだろう。唇を噛み締めながらのくぐもった呟きに、ディクトールは複雑な表情を見せた。
「この場合は、あんまり関係ないかもよ…?」
「え?」
含んだ言い方に怪訝な顔をするアレクシアに、ディクトールは何でもないと首を降った。
「着替えを用意させるよ。事情を聴かせて」
「あ、うん」
言われるまで気付かなかった。よくよく見てみれば、アレクシアの衣服は血と泥で汚れている。殺人犯と疑われても、仕方のない有り様だ。
「最高司祭様、わたくしはこれで」
優雅に礼をして、ディクトールはアレクシアの肩を抱き、出口へと促す。
「ディクトール殿っ」
呼び止める最高司祭の声は無視して、出入口に控える神官にディクトールは自分の部屋に湯と着替えを持ってくるようにと告げた。
「お湯を使うといい。僕の部屋で悪いけど」
最高司祭を無視する様といい、神官に用を言い付ける様子といい、なんだかアレクシアがよく知るアリアハンのディクトールではないようだ。
まじまじと見詰めていると、ディクトールは息を吐くように笑った。
「覗かないから、安心して」
「ばっ! ばか! 当たり前だろっ」
むきになって怒鳴り返すと、ディクトールはくすくすと笑う。それでアレクシアは安堵する。ああ、いつものディクトールだ、と。同時にそれは、油断でもあったのだけれど。
レイモンドが連れてこられたのは、どこでも大差のない湿っぽく薄暗い地下牢だ。削り出した土壁の表面を、煉瓦で固めた黴臭い地下は、故郷での出来事を思い起こさせる。あんなことがあった後なら、尚更に。
(くそう…!)
蹴りつけた石壁は意外に硬く、痛みをこらえて踞る。低く呻くレイモンドの耳に、くすくすと笑い声が届いた。ひとつ舌打ちして、何でもない風を装い立ち上がる。
「あいつは?」
「人の心配より、自分の心配をしなよ」
ランタン片手に立っていたのは、言わずもがなのディクトールだ。
「まだ居たんだね」
「事情が変わったもんでね」
痛烈な皮肉に、にやりと笑みを返す。ディクトールはぴくりと眉を上げたきり、それ以上追究しては来なかった。
(こいつ…、変わったな…)
もともと仲がよかった訳ではないが、それなりに為人は把握していたつもりだ。以前のディクトールなら、もう少し表情が豊かだった。ことアレクシアに関しては、素直に赤くなったり青くなったりしたものだ。それが−−
「3時きっかりに5分だけ見張りがいなくなる。あとは君次第だ」
信頼している、と言えば聞こえはいいが、口調と表情が「お前のことなど知らない」と告げている。
じゃあね、と踵を返しかけたディクトールを、レイモンドは慌てて引き留めた。さも煩わしそうに、ディクトールが首だけで振り返る。
「何があったのか聞かないのか?」
殺人の容疑を掛けられたのだ。事情くらい聞くのが普通だろう。その為に降りてきたのではないのか?
「いいよ」
「なに?」
「アルが待ってるんだ。あまり一人にさせたくない」
つまらないことで呼び止めるなと、今度こそ本当にディクトールは背中を向けた。何度呼び掛けても、視線も寄越さない。
「おいっ! 待てよ!」
「うるさいぞ!」
入れ違いにやってきた看守が、怒鳴りながらバケツをぶちまけた。中味は水だ。狭い牢獄の中では避けようもなく、レイモンドは濡れ鼠になったが、まだ水だったことを感謝するべきかもしれない。
(くそっ)
大人しく壁際まで下がって壁に背をもたれる。濡れた体に冷えた石壁が冷たくて、ぞくりと悪寒が駆け抜ける。レイモンドは小さくメラの呪文を唱えた。殺傷力を抑えたメラを、立て続けに自分に向けて放つ。むっとする熱風が獄内を暖めて、完全とはいかないが服も渇いた。
(早く行っちまえ)
ディクトールが告げた時間まで、体内時間では三時間半余り。牢獄の中で落ち着ける訳もないが、胸騒ぎがしてならない。
知人の死は、まず間違いなく自分のせいだ。不用意にアレクシアを捲き込んだ自分が許せなかったが、なによりそこには作為が働いていた。何かが起きている。
看守の交代を待たずに、さっさと行動を起こすべきだろう。
しかし今感じているのは、別の懸念だ。去り際に見た、ディクトールの笑みへの。
(アレクシア)
知らず握りしめていたのは、本の数十分前まではアレクシアの手を掴んでいた掌だった。