ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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戸口に立ち、いつまでも中に入ってこようとしない男に、リリアは小さく苦笑した。
いつかの夜のようだと、記憶を遡り、あの時とは大きく変わった彼と自分の立場を冷静に分析している自分に嫌気がさす。
恋していることに気付かなかった自分。あの時程、幼くはない。
けれど今の自分は、果たして自分自身の本当の気持ちを、どこまで理解しているのだろうか。
彼の、思いや覚悟を、どれほど理解しているのか。
「入りなさいよ。寒いじゃない」
少し前まで窓が空いていた室内はひんやりとしている。廊下の温度と、さして変わりはないだろう。
いつもなら、ここでセイは「なら暖めてやろう」とふざける。抱き付いてくるセイを、リリアもきゃあきゃあ笑いながら受け入れただろう。
戸口で入るのを躊躇う時点で、もういつものセイの反応ではないのだが。
セイは苦笑して、お邪魔します、とドアを閉めた。
「アレクは?」
「出掛けたわ」
「そっか」
「なによ。アルに用なの?」
「いや…」
そんな訳がないと、セイの苦笑が深くなる。リリアも、わかっていて言っているのだ。だから口調も喧嘩腰になる。そうしていないと、泣き声になってしまいそうで。
リリアの顔を見たセイは、一瞬切な気に目を細めた。泣きたくなるほど優しく、茶色の瞳がリリアを見詰める。
ただじっと見詰められる事に、リリアが居心地悪そうに身動ぎする。それでも変わらぬ視線の束縛に文句を言おうと口を開いた時、リリアは物理的に束縛された。
片腕でも、リリアを捕まえるには申し分ない。力強いセイの腕。
肺の中の空気が押し出されて苦しい。力任せに抱かれた体が痛い。だからだ。涙が滲むのは。
「リリア」
ごめん、と
呟く声が震えて聞こえた。
わずかな身の回りのものを整理し、数ヵ月世話になった神官達に暇を告げる。
年若い神官達は、ディクトールとの別れを惜しみ、旅の安全を祈ると聖印を切った。なかなかディクトールを離してくれなかったのは、年寄り達だ。
ようやく現れた賢者が、再び野に下るというのを、勿論ダーマの高司祭達は引き留めた。なんとかダーマに残ってくれないかと。それはディクトールがガナルの塔から戻ってから毎日のように言われ続けてきたことだ。ディクトールはそれに対し、常にやんわりと、ただしきっぱりと断り続けた。今日も、最高司祭を前に、ディクトールの態度は変わらない。
「今は魔王を倒すのが先決かと。わたくしと仲間は、その為に郷里を旅だったのです」
ディクトールがアリアハンから、勇者オルテガの子と共に旅に出たということは、ダーマを訪れた時に告げてある。
勇者が魔王を倒すという神託は、ここダーマから発せられた事だ。ダーマの神官ならば知らぬ筈はない。アリアハンのオルテガに、勇者の称号を与えたのは、他ならぬダーマ神殿なのだから。
勇者の気質は遺伝する。
それもダーマ神殿が認めることで、アレクシア自身ダーマで勇者の証を授けられたわけではないが、その説を持ってアリアハン王から勇者の証を与えられたのだ。
賢者が、勇者と共に魔王討伐の旅に出るのに、何ら不自然な事はない。諸手を振って送り出されこそすれ、引き留められる謂れはないはずだ。
尚も首を縦に振らぬ最高司祭に、ディクトールはそっとため息を吐いた。なにを言っても無駄とばかりに、腰を折って別れの挨拶をするや踵を返す。
「待たれよ」
決して大きくはない。しかし有無を言わさぬ声に、ディクトールは振り返った。
決断を迫られたような、切羽詰まった表情で、最高司祭が壇上から身を乗り出している。最高司祭が告げようとしている内容に、心当たりがあるのだろう。左右に控えた司祭達が、最高司祭を諌めるように、老人の腕を引いていた。
「よいのだ。我らには、確たるものはもうここにしかない」
取られた腕を振り払い、最高司祭は壇上からディクトールに歩み寄る。頼り無い老人の腕が、すがるようにディクトールの腕を掴んだ。
「賢者殿。もはや貴方しか頼るものはない」
怪訝に眉を寄せるディクトールに、最高司祭は耳を貸すように手招きをした。ここにはディクトールと司祭達しかいない。それでも、どこにあるとも限らぬ耳の存在を気にしたのだろう。従わぬ訳にもいかず、ディクトールは腰を屈めた。
「これは、他言無用に願います」
言わずもがなな前置きに、ディクトールは内心苦笑しながら頷く。
「オルテガは、勇者ではない。神託により見出だされた勇者の血脈は、17年前に絶たれたのだ」
流石に、目を見張った。
「な、何を…」
冗談など言うはずもない老人の言葉だ。疑うことがどれ程の不敬に当たるか知らないディクトールではない。それでも、狼狽が、口をついて出ていた。
「真実なのだ」
重々しく頷く最高司祭の口から語られたのは、ダーマにとって不名誉な事実。ダーマにとっての真実だろう。
突如ネクロゴンドの地に現れた、魔王バラモス。その出現とほぼ時を同じくしてもたらされた神託は、勇者の誕生を告げていた。
ダーマ神殿は神託の勇者を探し出し、保護し、まだ若い−−幼いとさえ言える年頃だった勇者を、当時、世界随一の実力と名声を持っていたアリアハンのオルテガに勇者の保護と育成を委ねた。この時にオルテガは、勇者の変わり身として、そして厄介事を引き受ける見返りとして、ダーマ神殿から勇者の称号を授けられたのだ。
しかし魔王打倒の旅の中、勇者は斃れ、オルテガもまた、−−これはディクトールもよく知る話だが−−ネクロゴンド山の火山の火口に落ちて果てたという。
「アルは…っ」
「オルテガの遺児という、そなたの仲間のことかね?」
最高司祭は鼻で笑った。
「ポカパマスの子を孕めばと娘を付けたが、あの女、なんの役にも立たぬ雌犬であったわ」
聖職者にあるまじき表情と表現で吐き捨てる。その事自体には驚かなかったディクトールだが、最高司祭の言葉には衝撃を受けていた。
エジンベアで、リチャード王が言っていた言葉が甦る。
「ルイーダ、さん…?」
「おお。確か、そんな名前の女だった」
ディクトールの呟きに、最高司祭はさもどうでもいいことのように頷いた。
「で、あるから、賢者殿」
神に選ばれた勇者に近い存在である賢者が、如何に貴く重要な存在であるのか、最高司祭は滔々と語り始めた。何度も耳にして来たフレーズだ。何度熱く語られようと、ディクトールは煩く感じることはあれど、感じ入ることはない。
エジンベアでアレクシアが自分の出事に疑いを抱いたことは確かだ。偶然とはいえ、ディクトールは真実を知ってしまった。アレクシアは悩んでいたに違いない。早く伝えてやりたい。しかし、その事で彼女が悩み傷つくならば、自分の胸に収めておこう。或は、共に悩み、傷ついた心を癒してやりたい。
(五月蝿い爺だ)
まだ最高司祭の熱弁は振るわれている。
自分の熱に酔っている最高司祭は気付いていないが、最高司祭を見るディクトールの眼差しは、ゾッとするほどに冷たかった。
最高司祭は嘘はついていないのだろう。
ただ、知らないだけだ。
ディクトールは知っている。
アレクシアの親が誰なのかは、この際問題ではない。ただ、事実として知っているのだ。それは既に、ランシールで、死したテドンで証明されているのだから。
そう。アレクシアが、勇者だと。