ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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アレクシアには、ダーマ滞在中に調べたいことがあった。
ムオルで聞いた、ルイーダの事だ。
気にしない。知らなくていい。
何度そう自分に言い聞かせても、目の前に薬玉の紐がぶら下がっていれば、引いてみたくなるのが人の性というものだ。
レイモンドには、調べなくていいと言ったが、やはり気になっていた。少し聞いてまわって、収穫がなければすっぱり諦めよう。そう決めていたのだが、神殿からは啖呵を切って飛び出してしまった上に、そんなことを気にしているような状況ではなくなってしまった。自分の過去よりも、仲間の未来の方が大事だ。
世界樹の葉は駄目だったが、実はどうだろう。枝なら?
体の部位の再生を、賢者や司祭は知らなくても、人間ではない種族にならその方法が伝わっているかもしれない。
ホビットがいるのだ。伝説のエルフがいないと、何故言い切れよう。
神に一番近いと言われるエルフだ。その寿命は、竜のそれを凌駕するとさえ伝えられている。人間など及びもしない知識と技術を、持っているに違いない。不老不死、神秘の力。エルフならば、或いはセイの腕を治せるのではないか?
「よしっ!」
「アル?」
一人飛び出していったかと思えば、先に宿に戻っていて、口も聞かずにただベッドに寝そべり壁を見ていた人物が、いきなり掛け声とともに飛び起きたのだ。リリアでなくとも驚くだろう。
「ちょっと出てくる」
「ええっ? どこへ?」
「調べものっ」
マントと剣だけひっつかみ、足早に出ていく。すれ違い様見えた表情に、リリアは一先ず固かった表情を和らげた。心配に値する急用ではなさそうだ。それに、少しは立ち直ったらしい。
ディクトールが告げた内容には、勿論リリアも落胆したが、アレクシアのあの反応は少し異常だった。
ひりつくような敵意は誰に対してのものだったのか。あんなアレクシアは見たことがない。あんな視線、二度と向けられたくはない。
気配は既に遠ざかり、硝子など高価なものははまっていない開けっ放しの窓からは、走って行くアレクシアの姿が見えた。
「………」
もし、怪我をしたのがセイではなく、他の誰かであったとしても、彼女はあんな風に取り乱して、一生懸命に解決策を探すのだろう。
自分は、どうだろう。
ふと、月を見上げ思う。
アレクシアは、セイが怪我をしたのは自分のせいだと思っている節がある。けれど直接的な原因は、リリアにこそある。もっと早く魔法詠唱が完了していれば、あそこにリリアがいなければ、二人の関係がただの仲間のままであったなら、或いはセイは−−
「!!」
額に掛かる髪を払う振りで、思考を振り払う。
済んでしまったことを嘆いても仕方がない。
出来ることを考えようと、決めた筈だ。でなければ、この先、旅など続けられない。セイの傍になどいられない。
「でも…」
ほとんど唇を動かさず、音として認識できるか出来ないか、それほど小さな呟き。呟いたら、言葉にして出してしまったら、きっとそれは現実になってしまう。ずっと恐れている。決めかねている。認めたくないこと。
リリアが、セイと共に居ることを、負担と感じずに生きられるのか。
生きていきたい。
添い遂げたい。
その想いもまた事実で、大切に思うからこそ、つらいのだ。
込み上げてくる不安を噛み殺すように、きつく唇を引き結んだ時、背後で扉を叩く音がした。
背中が怯えたように震える。扉を叩いたのが誰なのか、確認するまでもなく解っていたから。
飛び出しそうな心臓を閉じ込めようとするかのように、リリアは開けていた窓の鎧戸を下ろして、ドアに向かった。
セイが部屋を出ていったのを見計らっていたかのようなタイミングで、レイモンドの部屋の窓に鼠が紛れ込んできた。鼠など珍しくもないが、人間がいる部屋に、しかも明かりのついたこの状態で、入り込んでくるのは普通ではない。
訝しみつつレイモンドが窓に近付くと、鼠は逃げるでもなく後足で立って鼻をひくつかせた。胴体には、布が巻き付けてある。布を慎重に外すと、鼠は我に返ったのだろう。キッと小さく悲鳴をあげて、瞬きをする間に外の闇へと逃げていった。
小動物に薬を嗅がせて行動を縛ったり、暗示をかけて行動を操る術があると、聞いたことがある。しかし鼠にお使いをさせるほどの複雑な命令をさせるだなんて聞いたことがない。基本的に、操る動物の知能を上回る命令など、させることは不可能だからだ。
布切れを握りしめ、咄嗟に逃げていった鼠を目で追う。しかし小さな鼠をこの暗がりで見つけるなど無理に決まっている。窓枠に身を乗り上げてレイモンドが目にしたのは、ダーマ神殿に向かい駆けて行くアレクシアの姿だった。
「アレク!」
つい声を上げてしまい、聞こえるわけがないと舌打ちする。
それからの行動は、自分でも無意識だった。
布切れをポケットに突っ込み上着を掴むと、二階の窓から身を踊らせたのだ。難なく着地するまでの1秒間で我に返り、何をやっているのだと二度目の舌打ちを鳴らす。しかし今更正面に回って階段を昇り、部屋に戻るのもばかばかしい。結局レイモンドは、着地の反動で地面を蹴り、アレクシアの後を追い始めた。
夜中に女が一人で出歩くんじゃねえよ、と内心毒づく反面で、その台詞を頭から打ち消す。アッサラームならまだしもダーマの治安は悪くない上に、アレクシアがごろつき程度に遅れをとる訳がない。否、そもそも心配をする理由がない。
だから、心配なんかしていない。
走るのを止め、視界にアレクシアの後ろ姿を納めながら、自分自身に言い聞かせるように頭の中で繰り返す。ぶっきらぼうに両手をズボンのポケットに突っ込んだ時、ポケットの中の布切れの存在に気が付いた。
「光りよ(レミーラ)」
頭の中で構築された魔方式を発動する。持続時間も光量も最小限に抑えた灯りを灯す。メラの灯りとは違う。完全に熱を感じない白っぽい光だ。リリアが見たら目を丸くして教えろと言ってくるだろうが、生憎教えてやることができない。レイモンド自身、自分が紡ぐルーンの全てが異端であると自覚しており、教えた所で理解を得られるとは思っていないし、第一、やろうと思ったら出来た、というレベルの物を理論立てて他人に説明するのは不可能だからだ。最初から説明するつもりもない。
どの程度で消えるのか、唱えたレイモンドも把握していないという杜撰なもので、そんなものを他人に説明できよう筈もない。
急ぎ布切れを光の下に取り出し眺める。書かれていたのはなんということもない、呼び出しを告げる内容で、文面も短く這うような癖の強い文字が綴られている。問題なのは内容ではなく、手段だ。あのような手段で呼び出されたのだ。ただ事である訳がない。
程なく明かりも消え、夜の闇が戻ってくる。その中を、レイモンドは迷いのない足取りで再び歩き始めた。先程よりも歩幅を広げて、一気にアレクシアに追い付く。
「おいっ」
ズンズンと近付いてきた気配には当然気付いていたのだが、肩を叩いたレイモンドの表情の険しさに、アレクシアは眉をしかめた。
「ちょっと付き合え」
「付き合えって、どこへ。わたしはこれから用が…っ」
「いいから! 来いっ!」
言いながら有無を言わさず引っ張っていく。初めは抵抗したアレクシアだが、向かう方向が同じだと気づくと素直に従った。ちらりと見上げた顔が、怖いくらいに真剣だったということもある。
「ねえ、どうしたの?」
控えめに、問うてみる。
視線だけ寄越したレイモンドは、またすぐに前を向いたが、アレクシアの耳にだけ届くような小声で、唇をほとんど動かさずに喋り始めた。
「お前は止めたけどな。俺も気になって調べてみたんだ」
何を、とは言わない。
アレクシアも聞かない。
それでも、レイモンドが言っていることの察しは付いた。目を見開き、まじまじとレイモンドを見上げる。視線を受けて、レイモンドはばつの悪そうな顔になる。
「知り合いに、うってつけのがいてな。…まぁ、悪かったよ」
良かれと思って、他人のために何かをするなど、それこそらしくない。言い訳を口にして、ただでさえ小さな声が、更に聞き取りづらくくぐもった。
「さっき使いが来た。お前もいた方がいいと思う。連れてこいと、先方は言ってきた」
掴んでいた腕を離して、レイモンドは足を止めた。そして視線で問う。どうする? と。
月明かりだけが照らす闇の中で、二人はしばし見つめあった。それから、
「会おう」
躊躇うことなくアレクシアは頷いた。
よく晴れた夜空の色をした瞳が、真っ直ぐにレイモンドを見る。それを受けて、レイモンドはに、と不敵に笑った。