ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 アレクシア達と別れた後、レイモンドはダーマ神殿の外壁に沿って歩き始めた。
 ダーマ神殿は、本堂以外は用途に応じて増設された建物であり、なかなかに入り組んだ造りをしている。
 出入りをする人間も、神殿の規模相応に多人数だ。レイモンドの顔を知っていて、尚且つ彼の悪行を知っている――要はレイモンドが顔を会わせないよう気を付けなければならないような人物は、それこそ本堂の中枢にいるような一部の高司祭だけなので、正面切って面会になど行かなければ、まず遭遇する心配はない。
 レイモンドは慣れた足取りで壁と壁の間に出来た通路と言うのもおこがましいような狭い空間に足を踏み入れる。日の光など差し込むことはないのだろう。足元に堆積した土はじっとりと湿り気を帯び、苔がずるりと靴底を滑らせる。黴臭い匂いが鼻を突いたが、暫くするとそれにすら慣れてしまった。
 神の使徒が住まうダーマ神殿は、見上げる首が痛くなるほど居高々に白い外壁を伸ばし、そこに生まれた影になど気付こうともしないのだろう。
 見上げた頭上に皮肉気な笑みを浮かべた後、レイモンドは影の中に視線を戻した。
 壁の行き止まり、濃い影の中に、誰かがいた。

「じじい、生きてやがったか」

 にやりと笑うレイモンドに、影もひっひっひ、と喘息にも似た笑い声を上げた。

「小僧がいっぱしの口をきくようになったられぇか」

 前歯がないのだろう。妙に舌っ足らずな発音で男は笑う。否、男か女か正確なところは解らない。歯だって、前歯がないどころか、残っている歯を数えたほうが早いくらいだ。

「人について聞きたい」

 下げていた小袋を影に差し出しながら、レイモンドは言った。袋の中には、ここに来る途中買ってきたワインとパンが入っている。
 男は袋を引ったくるように奪い、中身を確認するや頬張り始めたらしい。男が久しぶりの食事を終えるまで、レイモンドは壁に背をもたらせて待った。

「サイモンか?」

 歯の裏に張り付いたパンをぺちゃくちゃやりながら、男は短く問うてくる。

「いや。ルイーダって女だ」

 サマンオサを脱出して、初めてダーマを訪れた時、レイモンドはこの男と出会った。
 物請いにしか見えないこの男は、宝物庫に侵入し、手傷を負いながら追手の追求をかわしてこの路地裏に逃げ込んできたレイモンドの素性を一目で言い当て、傷が癒えるまで匿った。そしてサイモンの行方を伝え、船を手にいれるためにバハラダへ行くようにと言ったのだ。攻撃魔法の基礎をレイモンドに教えたのもこの男だ。
 他人に指図されたり、運命とかいう得体の知れない物に流されることを嫌うレイモンドだが、サマンオサの神父同様、何故かこの男の言うことには素直に従った。養父であるサマンオサのギルドマスターに似た雰囲気を感じたからかもしれない。

「ルイーダ? ありふりぇた名だ」
「ムオルの生まれで、17〜18年前にダーマで魔術を学んでいたらしい。ダーマを訪れたオルテガの伴をしていた女だ」

 男はふん、と鼻を鳴らした。どこを見ているのか、果たして見えているのかさえ疑わしい、焦点を失った目をギョロリと動かし、闇の中から空を見上げる。
 ややあって、男は熱にうなされた病人のように呟き始めた。そこに記された文字を読むように、眼球は虚空を上下する。

「…アリアハンから名の知れた傭兵がやって来た」

 当時――今もそうだが――ダーマ神殿は世界宗教の総本山として、とある称号を人々に授けていた。今では、魔王バラモスを倒すと志す者に授けられるとされている。誰にでも授けられるわけではないそれは特別な魔力の質を持って産まれた者にだけ授けられ、王公に次ぐ名誉とされた。
 オルテガはここで、勇者の称号を受けたのだ。

「特別な子供を託すためだ。ダーマの神官どもが、躍起になって探していた子供さ」

 独り言のようでもあり、物語を暗記しようと呟いているようでもある。
 唇の先だけでぼそぼそと発音されるそれは早口で、注意して聞いていなければ聞き漏らしてしまう。
 男の言葉を聞き漏らすまいと、レイモンドは耳に神経を集中させた。

「ダーマからも徒がつけられた。お目付け役だ。それがルイーダという名前の女魔術師だった」

 名の通ったアリアハンの傭兵というのはオルテガに間違いない。ルイーダがオルテガと行動を共にしたというのもムオルや塔のホビットから聞いている。調べれば、ダーマ神殿にも同様の記録が残っているだろう。
 レイモンドが知りたいのは、そんな表面的な情報ではない。
 じりじりと焦る気持ちを抑えて男の言葉を待つ。ダーマ神殿からは異端として信仰を禁じられ、今では名を知るものすら居ない。記録の神ナマナンの司祭。それがこの男の正体だった。

「魔王を僭称するバラモスが現れた時、ダーマ神殿は、神の啓示を得た。魔王現れし時、勇者もまた現れる。啓示に従い、神官たちは神の子を探し、そして見つけた」

 レイモンドの眉がぴくりと動いた。頭の中では忙しく情報が整理されていく。
 オルテガに預けられた子供。世界樹の森のホビットが言っていた、ポカパマズという供の男。
 ダーマ神殿から「勇者」の称号を与えられたオルテガ。その称号をアリアハンの王命で引き継いだアレクシア。
 しかしこれでいくと、勇者はオルテガの伴をしていた男になるのではないのか。

「いや、見付けたと思っていた。しかし違う。本当の勇者は、彼の死後産まれた。ダーマが解っていたのは、彼の人の血筋から、勇者と呼ばれる存在がいつか産まれるということだけ」

 レイモンドの目が大きく見開かれた。覚えがあったのだ。ダーマを訪れた時の神官達の騒ぎ様は異様だった。
 賢者を排出させるためだと単純に思っていた。けれど違う。
 ダーマ神殿が勇者とそうでないものを見分けるのは、魔力の質を見るしかない。真実勇者の血脈かどうかなど、神でもない神官どもには解りっこないのだから。
 だから、それらしい人物が来たら魔王を倒すに足る人物に育てようとした。育成機関として、ダーマ神殿ほど都合のいい場所もない。当然保険として、血筋は手元に残しておきたかったのだろう。
 軟禁されていた間に、人身御供よろしく連れてこられた女達を思い出す。レイモンドが女に手を出さないと見るや、神官たちは強引に精を抜き取ろうとした。おぞましい体験を思いだし、背中を悪寒が走る。

「ちょっと待て…。産まれた…?」

 レイモンドの問いに反応したのかは解らない。相変わらず虚空を読み取るままに、男は薄い唇を動かし続ける。

「否、これも正確ではない。ここから先は未来。世界の知らないこと」

 では、勇者はこれから産まれるということか。
 では魔王は? バラモスを倒すものは、別にいるということなのだろうか。
 勇者なんて得体の知れない存在を信じていたわけではない。だが、見たことがない以上俄には信じ難いが、バラモスがいるのは事実で、魔物が地上に現れ、人に成り代わっているのもまた事実なのだ。
 そのバラモスを倒す事を使命に、勇者として育てられ旅立った少女の、毅然とした立ち姿が脳裏を過る。
 虚空をさ迷っていた男の目が、ふとレイモンドを見た。

「ここから先は、お前たちが造る未来だ。レイモンド」

 レイモンドに向けて焦点を結んだ男の目を、レイモンドも見返す。

「それも神様が仰ってるのかい?」

 皮肉さを装って、レイモンドは笑った。内心の動揺を悟らせまいと、別の事を考える。けれどどれほど考えまいとしても、一度こびりついた思考はなかなか離れていってはくれない。
 若者の動揺を、老人は知ってか知らずか静かに見ている。気付いているに違いない。人の感情の機微に疎くては、路地裏で、ましてや異端の神を信仰する老人が、生きていけるはずもないのだから。

「いいや。常識的な考えだと思うがね」

 歯の無い口でひっひと笑う。男の言うことはもっともで、ついつっかかって行った自分を恥じながら、レイモンドは肩をすくめた。

「さて…」

 一呼吸置いて、男は再び虚空に視線を戻した。
 ページを捲るように、男の瞳が四方に動く。

「ルイーダは…」

 はっと息を飲む。それを聞きにきたのに忘れていた。それほどに知り得た事実は衝撃だった。

「生きている」

 す、と南を指差す。アリアハンの方角だ。
 固唾を飲んで、男の言葉を待っていたレイモンドは、苛立たしげに石畳を蹴った。生死を確認したいんじゃない。そんなことは解っている。

「違う! そうじゃなくて!」

 聞きたいのはルイーダは子供を生んだのか。そしてそれが誰の子供だったのかだ。
 イライラと髪をかきむしるレイモンドなど気にも止めずに、男はぼんやりとレイモンドを見た。

「見えぬのだ」
「は?」
「ダーマを発ち、オルテガ達と共に旅をしていた。男達は死んだが、ルイーダだけはアリアハンに居る。それは記録されているのに、お前の知りたいその数年だけが見えない。消されている」

 男にとっても初めてのことなのだろう。呆然と呟いたきり、男はぶつぶつと推測を呟き始める。はじめから聞き取りづらい上に、今は支離滅裂な単語の羅列だ。彼が何を言っているのかなど理解できようはずもない。
 こうなってしまっては、自分なりに納得のいく答えが出るまで、この男が他人の言葉に耳を貸すことはない。
 いくつか意味のある単語を拾ったあとで、レイモンドはそれ以上の追及を諦めた。聞くとすれば彼が答えをまとめるだけの時間が経ってからだ。今日明日のうちにダーマを発つこともないだろう。まだ機会はあるはずだ。
 謝礼の小銭が詰まった小袋を、男の懐にし舞い込み、レイモンドは静かに暗い路地を後にした。
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