ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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 ダーマ神殿の一室で、けたたましい音が上がった。場違いなその音は、廊下から広間まで響き、聞くものの足を止めさせた。そこは賢者を訪ねてきた客を通した部屋で、神殿に仕える神官達はどうしたものかと顔を見合わせながら、扉の前で中の様子を伺っていた。
 部屋の中では、仕立てのよい重たい樫の椅子が蹴倒され、その椅子をはさんで男女が立っている。先日ガナルの塔から戻り、賢者の印を授かった男――ディクトールと、彼を訪ねてきたアレクシアだ。
 アレクシアはぐっと下唇を噛んで、床を見つめていた。握り締めた拳は、今にも皮膚を突き破りそうだ。

「ははっ…」

 沈黙を破ったのは、セイの乾いた笑い声。

「嘘、なんか、つくわけねぇよな。お前がさ」

 笑うしかない、そんな表情でセイは幼馴染みを見た。けれどそれを受けるべき男は、冷淡なほどに静かな表情でこちらを振り返ることすらしない。
 手の中の世界樹の葉を元通り包み直してテーブルに置くと、ディクトールは静かに言った。先程と同じ台詞を、全く同じ調子で。

「肉体から離れた魂を引き戻す事は出来る。病に蝕まれた体を癒すことも。けれど失われた組織を再生することは出来ないんだ」
「なんでだよ!?」

 倒した椅子を更に蹴りつけてアレクシアが叫ぶ。扉の外では、中を伺っていた神官達が「ひっ」と息を詰めて身を震わせた。アレクシアの怒声と椅子を蹴りつけた音は、再び静かな神殿に響き渡る。

「死人だって生き返らせるんだろ? どんな病気だって治るんだろ? なのになんで、セイの腕は治らないんだよ!?」
「アル…」

 泣きそうな声。悔しそうに歪んだ顔。
 こんなアレクシアは、見たことがない。
 抱き締めようと伸ばしたリリアの腕は、アレクシアに届くか届かないかの位置で振り払われた。

「ぁ…」
「っ!」

 互いに声にならない息が漏れた。一瞬交差したした視線は、気まずさだけを残してすぐに逆方向の床に落ちる。
 泣きたいのは自分だろうに、セイは優しく、震えるリリアの肩を抱く。
 リリアはそのままセイの胸に顔を伏せて泣きはじめ、アレクシアはやりようのない苛立ちを拳に込めて壁にぶつけた。

「例えば、切れた腕を繋ぎ会わせることは出来る。でも…」

 セイの右腕、失くなってしまった肘からやや上に手を触れて、ディクトールは小さく呪文を唱えた。乳白色の光がディクトールの手の中に生じ、セイの腕を包む。けれど、それだけだ。

「なんだ?」
「ベホマだよ。…やっぱり、意味がないんだ」

 袖を捲り、患部を改める。初めからそこに腕などなかったかのような、綺麗な皮膚が再生していた。ベホマを唱えるまでは、でたらめな傷痕が肉の色を覗かせていたのに。

「ディ!」

 青い神官服の肩を掴んで、アレクシアがディクトールの背中にすがる。ディクトールを見るものがいたのなら、青年の唇が愉悦に僅か、歪んだように見えただろう。それには気付かず、アレクシアはディクトールの肩を揺する。

「どうすればいい? どうすればセイの腕を元通り治す事が出来る? ねぇ、ディクトール、わたしはどうしたらいいの!?」

 最後の方は慟哭に近い。ディクトールの肩に額を押し付け、アレクシアは涙を流さず泣いている。

「アル…」

 抱き締めようと体の向きを変えると、アレクシアは素直にディクトールの腕に身を委ねた。頬に髪の柔らかさを感じながら、頭を撫でてやる。
 子供時分から憧れ続けたアレクシアが、腕の中にいる。それだけで状況を忘れて舞い上がってしまいそうな自分を抑えるのに、ディクトールは意思の力を総動員せねばならなかった。

「アルにも解るだろう? 無から有を造り出すなんて、神でもない僕らには出来ないんだよ」

 昂る気持ちを鎮める為に、殊更冷静振ってホイミの原理を口にする。
 ホイミにせよ、キアリーにせよ、元々ある体の回復力を高め、足りない部分を周囲の精霊の力や術者の魔力で補ってやるに過ぎない。
 同様に、ザオラルなどの蘇生魔法は、本来切れるべきではない魂と体の結び付きが不慮の事故等で薄れた時、その結び付きを取り成してやるだけの魔法であり、寿命で死んだ人間や、魂と肉体の絆が切れて時間が経過してしまった人間に対しては、全く効果をもたらさない。
 魔法にも、理があるのだ。

「そんなこと!」

 淡々と話すディクトールから、アレクシアはがばりと体を引き剥がした。碧玉の瞳は怒りに揺れ、幼馴染みを睨み付ける。
 言わずもがななことを、学者振って話すディクトールが許せなかった。
 否本当に許せないのは、昏く沈んだディクトールの灰色の瞳に映る自分自身だ。

「なにが世界樹だ。なにが賢者だ。はっ! 伝説が聞いて呆れる。これだけ揃って、なんの役にも立たないじゃないか!」

 ディクトールの体を突き飛ばして睨み付ける。

「アレク」

 落ち着けとセイが首を振る。驚いた顔でリリアがアレクシアを見ている。
 二人の顔を順に見詰め、空の右袖に目が止まった時、アレクシアの顔は泣き出しそうに歪んだ。

(なにが、勇者だ)

「神なんて、糞食らえ」
「アル!」

 引き止める声には従わなかった。
 扉の外にいた出歯亀達が廊下に転がる程勢いよく扉を開き、誰彼構わず突跳ばして廊下を走った。
 こんな場所には居たくなかった。ミトラの気配漂う聖域にも。役に立たない自分を映す、鏡面のような建物の中にも。
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