ドラクエ3

□明けぬ空を背負って(本編3)
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「なんだ!?」

 酒場のあちこちで悲鳴が上がった。混乱した誰かが落としたのだろう。食器の割れる音もけたたましい。膚がチリチリとしびれるような振動を感じるが、大地が揺れているのとは違う。例えるならば大きな雷が近くに落ちた時の振動に近い。
 アレクシア達は一瞬顔を見合わせると、すぐに酒場を飛び出した。大通りをまっすぐ城へ向かおうとしたアレクシアの後ろ襟を掴んで止めたのはレイモンド。首が閉まってしりもちをついたアレクシアが文句を言うより早く、

「バカか。お前は家を見てこい。城へ行くのはその後でいい」
「そうだね。僕もレイに賛成だ」

 アレクシアに手を貸してやりながら穏やかにディクトールが頷く。リリアも賛同の意を示して、さっさと先に行ってしまったレイモンドの背中を小走りで追いかけた。

「おい! 君らが行っても城には入れないだろう!」

 ダグラスの言う通り、レイモンドやリリアはアレクシア達以外にアリアハンに知り合いなどいないし、ディクトールとて城に顔パスで入れるような立場にはない。まったくもう、とダグラスは息を吐いて、先行する二人の後を追いかけた。

「そういうわけだから。ついでに教会も覗いて来てくれると嬉しい」
「うん。わかった」

 片目を瞑るディクトールに、尻のほこりを払いながらアレクシアも頷く。互いにどこかぎこちないながらも微笑んで、城で落ち合おうと背中を向けた。言葉通りにアレクシアは自宅へ道を引き返し、ディクトールはレイモンドたちの後を追って城へ向かう。通りには、不安そうに身を寄せ合う人々の姿があった。そんな人々に声をかけ、大丈夫だからと笑みを絶やさず歩く二人がそれぞれ目的地にたどり着くにはいつもの何倍もの時間がかかった。自然、先行したレイモンド・リリア・ダグラスとの距離はひらく。元より何十分とかかる道のりではない。速足で向かった三人が城に到着し、ダグラスの取り成しで城門をくぐり、やはりこちらも状況が分からず混乱している謁見の間に通される頃になっても、ディクトールすら合流できていない。

「レイモンド、と申したか」
「はい。初めてご尊顔を得ます。偉大なる中ツ国の王陛下。サマンオサがサイモンの一子、レイモンド・コリドラスと申します。アレクシア・ランネスの名代として罷り越しました」

 完璧な騎士の礼で王の前に跪くレイモンドに、リリアもダグラスも一瞬呆気にとられてレイモンドの整った横顔を見た。粗野な冒険者だと思っていた宮廷人達も、玉座の国王でさえも、ほぅっと感嘆の息を漏らしたほどだ。

「アレクシア…?」

 我に返って呟く王に、傍らの大臣が「オルテガの子です」と耳打ちをする。アレクシアが国王に拝謁したのはオルテガの国葬が行われた時と旅立ちのその時だけ。まして3年前は男として王のご前に参上したのだから、国王がアレクシアという名前に憶えがなくても仕方ない。仕方ないのだが、レイモンドやリリアには釈然としない。王命で死地に赴いた16歳の年端もいかぬ少女が、命をやり遂げて3年ぶりに凱旋したのだ。国王への正式な報告を兼ねた謁見は明日の朝を予定していたとはいえ、バラモス討伐と勇者の帰還は町中の誰もが知っていて、城にも報告が入っているのに、なぜ国王が当の勇者の名前を把握していないのか。

「…っ!」

 リリアの奥歯に力が籠る。魔力に敏感なものならば、彼女の青銀の髪がゆらりと魔力を帯びて揺れたことに気付いただろう。こちらも内心悔しい思いをしながらも、そんなことは噯(おくび)にも出さないレイモンドだけがリリアの憤慨に気付いた。そっと彼女の手に触れて、落ち着けとばかりに小さく首を振る。

「うむ、うむ。3年前、このわしが叙勲し送り出した。勇者オルテガの娘であったな。バラモスをついに打倒したと聞く。まことに大義。祝宴を開かねばな。して、アレクシアはどうした?」
「恐れながら陛下」
「申せ」

 リリアの様子など気付くわけもなくしゃべり始めた国王に、一歩前に出て発言を求めたのはダグラスだった。アリアハン兵士の略装をしているダグラスに、王は鷹揚に頷いて見せる。

「は。アレクシア・ランネスは先ほどの異変について、市内を調査してから罷り越します由。まずは陛下のご裁可をと、代わりに我らが参った次第です」
「おお、それよ」

 国王の目配せで、玉座の周りを取り囲むように立っていた貴族の一人が

「生憎の曇り空ではございますが雷が落ちるような様相ではないと天文方からの報告でございます」

 また、別の一人が

「魔王バラモスがまこと滅んだのならば、陛下の栄光に影さすことはございますまい」

 ちらりとレイモンドを見下ろす目は猜疑に満ちている。

「3年前、陛下が旅立ちの許可をお与えになったのはオルテガの息子でありましたが、此度謁見を望んでいるのは女だとか。バラモスを討ったというのもその者が吹聴しているだけで証拠がございません。何やら禍々しき気配がいたします」

 ふむ、と顎髭をしごく王とレイモンド達の間に近衛が立ちふさがる。発言をしたのは王室の専任司祭の様で、そのお偉い司祭様が怪しいというのだから、謁見の間の人々が色めき立つのも不思議は無い。
 再びリリアの周囲を魔力が揺らぎ、怒りを通り越して呆れたレイモンドは表情を取り繕うのをやめてしまった。豹変した二人の態度に、近衛の態度は尚更硬化したし、売られた喧嘩を黙って見過ごすほどリリアは出来た人間ではない。

「やる気?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 慌てたのはダグラスだ。まさか城のお偉方がアレクシアを認識していなかったことにも驚いたし、バラモス討伐を疑われるなんて思ってもみなかった。この後アレクシアの身の潔白が証明されて、バラモスが倒されたことも証明できたとしても、レイモンドとリリアを城へ連れてきたのは彼だ。ここでレイモンド達に問題を起こされてはたまったものではない。何といっても魔王が倒された平和な世で、これから生まれてくる子供と愛する妻を養って行かねばならないのだ。失業なんてことになっては目も当てられない。

「二人とも落ち着いて。皆様も、話を聞いてください。アレクシア・ランネスは俺の子供のころからの友人です。オルテガ様の後を継いでバラモス討伐に行くからと、ずっと男で通していました。12歳のころから、確かアレクシスと名乗っていましたよ」
「あー、うん。確かに初対面の時そう紹介された」
「だろ? あいつももういい年です。男で通すのに無理があるって、女名前に戻したんじゃないでしょうか?」

 リリアの呟くような同意に勢いを得て、ダグラスは一気にまくし立てた。全くその通りなのでレイモンドなどは噴き出してしまう。
 国王を謀るなんて大それたことをするような奴ではないと、必死に弁護するダグラスの姿に、興ざめしたのか司祭はそれきり口をつぐんだ。そのタイミングで国王が片手を上げたためでもある。

「司祭殿は禍々しき気配と申すが、さりとて神の御声を全ての民草が聞けるわけもなし。まずはランネスの到着を待とうではないか」
「は、流石は陛下」

一度はこの場で一同が姿を見ているのだ。多少成りが変わっているとはいっても面影くらいはあるだろうし、母親や城下の人々に面通しをすればアレクシアがオルテガの遺児だということは確認が取れる。バラモス討伐の真偽についても、お祭りムードで盛り上がっている国民を鑑みれば、今は勇者の凱旋を祝って低迷していた経済を盛り立て、それから各国に呼び掛けてネクロゴンドに調査隊を派遣すればいい。もちろん調査隊にはアレクシア達を起用して、いざというときの責任も取らせればいいのだ。そのくらいのことは国王自身も思いついたし、レイモンドにだって想像がつく。
家臣に懐の大きなところも見せられたところで、国王は満足そうに玉座に深く座りなおした。

「そなたらも楽にせよ。部屋を用意させよう」

 監視下に置くということか、とレイモンドは鼻を鳴らしたが、ダグラスの方は首の皮がつながったかと冷や汗を拭う。

「国王陛下のご厚情に感謝いたします」

深々と腰を折るダグラスにはもう興味もないとばかりに退室を促され、三人は衛兵に追い立てられるようにその場を後にしようとした、のだが

「あ、ぐっ!」

 どよめき、悲鳴、重たいものが倒れる音。振り返ったレイモンドとリリアの目に飛び込んできたのは二人を詐欺師呼ばわりした司祭の変わり果てた姿だった。ふくよかな体は内側から膨張し、白い法衣を引き裂いて赤く染めた。口から耳から、眼球を押し出して目からも、黒い小さな羽虫が溢れ出してくる。羽虫が司祭だったものを覆い、食らい尽くし、体積を増して混乱する室内を蹂躙する。黒い嵐だ。黒い風が通った後には人がいた痕跡だけ残して人がいなくなる。

「国王陛下!」

 主を守って近衛が消えた。息を飲むリリアの前で、衛兵と気のいいアリアハンの兵士も。
 次いで稲光。空間を引き裂いて、ここではないどこかに羽虫が吸い込まれていく。渦を巻く羽虫の中心に、この世ならざる瞳孔が開く。


  我が名はゾーマ
  闇の世界を支配するもの
  この我がいる限り、やがてこの世界も闇に閉ざされるであろう
  さあ、苦しみ悩むがよい
  そなたらの苦しみは我が喜び
  生あるすべてを我が贄とし、絶望で世界を覆い尽くしてやろう
  我が名はゾーマ
  全てを滅ぼすもの
そなたらが我が生贄となる日を楽しみにしておるぞ


 闇の底から哄笑が響く。その哄笑と黒い渦を飲み込んで、時空の裂け目が閉じていく。静まり返った謁見の間に残されたのは、ただ、恐怖だけ。
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