ドラクエ3
□明けぬ空を背負って(本編3)
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33.終わりを口にしないで
ぽたりぽたりと渇いた地面に汗が滴る。
無茶をするなと何度叱られたか数え切れない。言われるたびに愛想笑いを浮かべて寝床に戻ったりしたものだが、言いなりに大人しく寝ていられるわけがない。
寝たきりでいた半月分、筋肉の衰えを取り戻さねばならない。失った右腕の代わりに、左腕で武器を振るえるようにならなければならない。
無理を通さなければ、この先、生きて行きようがないのだ。
「く…っ」
振るった左手から斧がすっぽ抜けた。耳障りな音を立てて地面に落ちる。
痺れた手を見詰めて、セイは悔しそうに唇を噛んだ。
アリアハンを旅立った時から、否それ以前から使っている戦斧は、自分の手の様に自在に操れたものだ。それが、使う腕が変わっただけで、こうもままならぬものかと悔しさが込み上げてくる。
苛立ちのままに戦斧を投げ捨てることも、自棄になって酒に逃げたり自分を傷付けることもセイはしなかった。
そんなことをしても意味がないことを知っていたし、そんな時間がないことも理解していた。
ディクトールが戻れば、また旅は再開される。そして努力家の親友は、そう時を置かずに戻ってくるはずだ。新しい力を身につけて。
ぎりりと奥歯を噛み締めて、落ちた戦斧を拾い上げる。以前は頼もしかった金属の重さが、ずしりと左腕にのしかかる。疲れた体は、それだけでバランスを崩して倒れてしまいそうだ。
声にならない自嘲の笑みを吐き出して、セイは長く息を吐いた。どっと吹き出した汗を、懐から取り出した手ぬぐいで拭う。
ふと何かに気付いた様に動きを止め、気配がしたほうを振り返る。その時にはいつもの飄々とした気楽な顔が、仮面の様にセイの表面を覆っていた。
「よう、どうした?」
振り返るまでもなく、それがリリアであることはわかっている。彼女が浮かべている表情も、それから言うであろう台詞も。
「どうした、じゃないでしょ」
腰に手を宛て、やれやれとため息をつくリリアに、セイはなんのことだとばかりに筋肉を誇示して見せる。
それを苦笑でやり過ごし、リリアは数歩の距離を詰めた。
セイが焦る気持ちは解る。無理なんてするに決まっている。なんでもないわけがない。それでもなんでもない振りをして彼が笑うなら、リリアは気付かない振りをするしかないではないか。そしてそれも相手にはばれているのだ。
互いに無理をしている。相手を欺いている。それが例え、相手を気遣うが故の嘘であれ、こんなことが長く続くわけがない。
(もう…)
ちらりと頭を掠めた思いを拭き散らすように頭を振る。単語すら思い浮かべたくなかった。そうして自覚してしまったら、現実になってしまいそうで。魔術を操るリリアだからこそ、“思う”ことの意味を、よく理解していた。
あと半歩の所で足を止めた恋人に、セイは腕を延ばし、結局その手が彼女の髪に触れる前に腕を引っ込めた。汚れているから、と自分の中で理由を付ける。ごし、と掌を拭った服も汗だくであまり意味がない。
そうこうしている間にリリアは顔を上げた。呆れたような表情に、勝ち気な瞳が輝いている。
「マルロイが戻ったわ」
セイは首を傾げる。船が戻ったなら、アレクシア達が戻ったというのが普通だろう。アレクシア達がジパングを経って10日余り。いくらなんでも戻っていなければおかしい。
険しい表情になったセイに、リリアは慌てて手を広げた。違う違うと大きく手を振って、海岸に駆け出しそうな男の意識を引き戻す。
「何かあったとかじゃなく…て、まぁ、何もないわけじゃないんだけど」
「?」
要領を得ないリリアの説明に、セイの眉間のシワは濃くなるばかりだ。
「とにかく戻るわよ」
左手を繋ぎかけ、思い出したようにぶらぶらと風に揺れる右の袖を掴む。
街中でさえ、武器を振るう腕を空けておくのが戦士の常だ。セイの左側が、これまでのリリアの位置だった。習慣と化していたすべてが、数日前から変わってしまった。
「ほら早くっ」
痛みを堪えるような瞳をしているに違いない男の顔を見るのが辛くて、泣き出しそうな自分を悟られたくなくて、わざと乱暴に袖を引いて、リリアは歩き出した。
ムオルでアレクシアとレイモンドを下ろし、二人から伝言を受けたマルロイは、アレクシアから渡された聖水のお陰もあり無事ジパングへたどり着いた。
いかにポルトガの最新鋭船とはいえ、一人で動かせるものではないので、ムオルで船乗りを雇い入れている。
キメラの翼でマルロイ一人が帰ってくることも出来たのだが、危険な航行よりも、船を他人に委ねる不安の方が勝ったのだろう。
ムオルの船乗りにはジパングへの行商のつもりで乗れとでも言ったらしく、着くなり彼等は思い思いの荷物を抱えて船を降りていった。数日もすれば、ジパングの細工物を手に戻っていくはずだ。
アレクシア達はルーラで勝手に戻るはずだから、マルロイは船乗り達にキメラの翼を渡してある。一般では需要の低い、割合高価なキメラの翼だが、旅を続けているアレクシア達には珍しいものではなく、それこそ売るほどの数を船室にしまい込んである。
ジパングに戻ったマルロイは、その足でセイとリリアを訪ねた。セイの身に起きたことは聞いていたが、それ以上にリリアとの関係に微妙な差異を感じ、マルロイはほんのわずかに眉を持ち上げた。勿論口では何も言わない。男と女の事だ。「めでたしめでたし」で終わる事の方が少ないことを、老人はよく知っていた。
「で、アレクはレイについてったってわけか」
マルロイの話を聞いてセイは呆れたように言ったが、目は面白そうに笑っている。
「どのくらいで戻ると思う?」
「さぁて、どうでやしょうか。陸のことはわっしにはよく解りやせん。あの辺りの海は、魔女や幽霊船が出るってんで、あまり近付かないんでさぁ」
肩をすくめるマルロイに、セイはふぅんと腕を組んだ。正確には、そのように左手が動きかけ、小さく舌打ちして酒の入ったカップをつまむ。
ジパングの食器は一様に小さく、特に酒を飲む器は背が低いので、セイにはいささか使い勝手が悪い。
苦労して酒を飲むのもなんだかな、と苦笑したセイは、一息に飲み干したカップをそのままにして、酒瓶を手元に引き寄せた。マルロイもそれに倣って瓶から直に酒を飲み始める。
二人のそんな様子にリリアは当然眉をひそめたが、セイは首を竦めて舌を出した。そんな様は許しを請う悪戯っ子の仕種に似ている。
「そんなことより」
自分のマナー違反は棚に上げて、にんまりと笑った。
「戻って来た時のふたりが見物だと思わないか?」
「そりゃ、思うけど」
端から見ていると意識しているのが丸解りなのに、お互いに自分の中にあるその思いを認めようとしていないのだ。アレクシアはたんに気付いていないだけだろうが、レイモンドに至っては意図的に目を逸らしているように思える。
アレクシアの友人として、アレクシアの恋が成就するのは喜ばしい。結果として、今一人の友人は恋に敗れることになるのだが、こればっかりはどうにもならない。最終的にリリアは、同性としてアレクシアに肩入れするし、彼女が幸せになる方を望む。
同じ理由からいったら、セイはディクトールを応援するのだと思った。ところがそうではないらしい。
不思議そうな顔をして見ていたのだろう。視線に気付いたセイがリリアに視線を寄越して苦笑する。
「オレは馬に蹴られるのはゴメンだからな」
どちらにも肩入れしない。いうなれば、セイもリリア同様アレクシアの味方だということだろうか。日頃の彼を見ていれば納得がいく。
肩入れはしないが、からかって楽しむつもりではあるのだろう。それでパーティの均衡が取れるなら、リリアは文句をいうつもりもない。
アレクシアにはレイモンドが似合いだと思うし、肩肘張って生きて来たアレクシアが気負わず生きていけるようになればいいと願わずにいられない。
ディクトールとの関係が悪化すれば、アレクシアは哀しむだろうが、そうとわかっていることをあのディクトールがするとも思えなかった。
結局は当人同士の問題だし、なるようにしかならないのだが、それを第三者を決め込んで見物するのは、それはこちらの勝手というものだ。
リリアは思いを巡らせながら見上げていた天井から視線を戻すと、それもそうねと頷いた。
「だろ?」
にかっと笑うセイにマルロイは仕方ないなというふうに苦笑を漏らし、膝を叩いて立ち上がった。
「行くのか?」
「この辺りは波が荒い。船体に穴でも開いたら目も当てられねぇ」
ジパングには港らしい港もないから船は沖にアンカーを下ろして停泊しているが、高波で横転する危険がないわけではない。それに停泊させたままでは船腹に貝がびっしり張り付いて船足を遅くする。道具というものは、使ってやらねば驚くほど痛むものなのだ。
よっ、などと声を上げて立ち上がったマルロイは立ち去り際にセイを手まねいた。
「?」
「ちょいと手伝ってくれ」
「あ、なら、あたしが…」
セイを気遣ってだろう。立ち上がりかけたリリアに、マルロイは首を横に振った。
「なぁに、たいしたことじゃねぇ。お嬢さんの手を煩わせることもありやせん」
早く来いと手招かれるより早く、セイは腰を上げていた。気遣わしげに追いかけてくるリリアの視線を押し返すように、にっと笑ってマルロイの後に続く。
暫くは、二人とも無言だった。
マルロイの手伝えというのが、セイを連れ出す口実だというのは言わずとも理解できる。
小屋が遠ざかり、辺りの人影も疎らになってきた頃、ようやくマルロイは口を開いた。
船乗り仲間から聞いた話だと前置きして話始める。といっても、この潮に焼けた老人が長話をするなど聞いた事もないのだが。
「北の海で町興しをしてるじいさんが後継ぎを探してるらしい。例のオーブに似た球を持っていて、後継ぎにその球を譲るって話だ」
ちらりと視線を寄越したきり、話は済んだとばかりに肩越に手を振る。その手には二本指が欠けていた。
セイは右腕、マルロイは指。
風にそよぐ袖をぎゅっとにぎりしめ、セイは老人の小さな背中が小さくなって見えなくなっても、しばらくその場に佇んでいた。