ドラクエ1
□竜の勇者と呼ばれた男
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2.勇者の末裔〜アレフ〜
城の兵士には何人か知り合いが居た。
養い親の仕事柄、その手の事情には事欠かない。
だから自分にその話がきた時も驚きはしたものの、話自体は予想されたものだった。
国王ラルス16世陛下の探している「勇者」の条件が、行方不明になったロトの末裔であるというのは本当だ。
ただ、その末裔を本物だと断定する証拠がどこにもないのである。
十八年前、城詰の祈祷師が見た、勇者が生まれたという神託だけが頼りだった。
つまり「身元のはっきりしない」「17、18歳の少年」を、本物の勇者が出てくるまでロトの末裔として送り出す、というのが国王陛下の政策なのだ。
いつか来るであろうこの日に備えて、生き抜くための努力はしてきたつもりだ。
知り合いの兵士に剣の稽古をつけてもらい、養い親から魔法の手ほどきも受けていたので、他の少年たちより生き残れる可能性は高い。
僕が生きている間は、次の犠牲者が選ばれる事もないだろう。それだけがせめてもの救いだった。
城からの帰り道、宿屋の裏手で洗濯をしている少女に、僕は一瞬目を奪われた。
ワンピースにエプロン姿。豪奢な金の巻き毛は邪魔にならないようにひとつに括られている。
一度は行方不明のローラ姫じゃないかって言われたくらいだから、彼女は美人なんだろう。
女の子の容姿にはこだわらない僕だけど、彼女の事は綺麗だと思う。
一緒に居てどきどきするのは、彼女だけだ。
「サマンサ」
「アレフ?」
サマンサは手にした洗濯物を落として、目を見開いた。
「ただいま」
軽く広げた両手に、飛び込んできたサマンサを、僕は力一杯抱きしめる。
「心配したのよ! でもよかった。無事に戻ってきてくれて! でも、その格好は?」
蒼く染め抜かれた皮鎧と緋色のマントは、城からの支給品だ。
僕は曖昧に微笑みながら、サマンサにロトの末裔として、竜王討伐の命を与えられた事を話した。
「ロトの?」
「どうやらそうらしい」
神様でも見るような顔で僕を見るサマンサに、僕は曖昧な答えを返すしかない。
僕が知る限りでも僕は5人目で、多分僕も違うけど、なんてこと言える筈がない。
「何よ、それ!? ロトの末裔だから、一人でお姫様を救い出して、竜王も倒して来いって言うの?」
てっきり勇者様万歳とでも言われるのかと思っていたので、この反応には驚いた。
「無茶苦茶だわ! アレフはお城の兵士でも、剣士でもない。ただの男の子じゃない!!」
「でも、これ、もらっちゃったし」
腰に下げた袋の中には、金貨が詰まっている。
「そんなの! ほうっておけばいいのよ! お城の人が勝手に押し付けたんでしょう? 竜王なんて倒せるわけがない! 今までみたいにここにいられないなら、出て行けばいいのよ。旅に出たと思わせといて。ね? アレフ、一緒に逃げよう」
僕は半狂乱でまくしたてるサマンサを抱きしめた。
一緒に逃げようと言ってくれるだなんて、思わなかった。
「う…っく…ぅぇぇ」
いつの間にか泣き始めたサマンサの背を、僕はしばらく黙って撫でていた。
どれくらいそうしていたのだろう。
「僕がやらなきゃいけないことなのだとしたら…」
言いかけて、やめる。
違う。言いたい事は別にある。
まだ潤んだ目で僕を見上げてくるサマンサに、僕はできる限り優しく微笑んだ。
「やれるだけ、やってみる。大丈夫。死なないようにうまくやるから。それで…サマンサのところに帰ってくるから。ね?」
目を見張り、真っ赤になってサマンサは頷いた。
「うん…。待ってる」
猛烈な勢いで照れが襲ってきて、僕は顔を俯けてしまった。
と、僕の頬に、柔らかいものが触れた。
えっ…? 今のって…
サマンサはぷい、と横を向いて、すねたように呟く。
「でも、絶対、帰ってくるって約束してくれなきゃ、いや…!」
そんな仕草がかわいくてたまらない。
胸をきゅっと締め付ける感覚。
悪くない。
「うん。絶対」
たぶん、しまりのない顔をしていただろうと思う。
僕はサマンサの細い肩を後ろから抱きしめて、蜂蜜色の髪が被う首筋に顔をうずめた。
甘い香り。
サマンサの香りだ。
ふとこちらを見上げたサマンサの唇に、僕は吸い寄せられるように口付けた。
城で国王陛下との謁見を済ませ、家に戻ってきた僕を、養父は納得顔で出迎えてくれ、旅支度を整えてくれた。
「くれぐれも無理はするな。時には退く事も勇気だぞ」
「わかった」
「それから、サマンサちゃんが心配しとったぞ」
うわ、やーらしい笑い方。
この半年で、この手のからかいには慣れっこだ。
「そうみたいだね」
荷物を背嚢にしまいながら、しれっと答える僕に、養父は面白くなさそうな顔をした。
そういつもいつもからかわれてたまるか。
しかし僕の内心のガッツポーズをよそに、養父はにたりと笑みを深くした。
「サマンサちゃんの口紅の色をしっとるか?」
「? 知らないよ」
なにをいきなり言いだしたのやら。
差し出された手鏡を訝しげに受け取る。そこに写った自分を見て、僕は火が付きそうな勢いで赤面した。
ラダトームを発ったばかりの頃は、街を遠く離れて旅をするなんてとても無理だった。
夜には家に戻って眠ったし、サマンサにも会いに行っていた。
しばらく経つと、旅にも慣れてラダトームを離れることが多くなってきた。
久々に戻ると、ロトの末裔がローラ姫を探しているという噂が流れていて、サマンサがふざける。
「やだ、私ローラ姫じゃないわよ。でも、おにいさん格好良いからついて行っちゃおうかなー」
「ばか?」
呆れて笑う俺に彼女も笑う。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
抱きしめると、ちゅ、と小鳥のようなキスをくれた。
「最近サマンサちゃんはかわいくなったのぅ。うかうかしていると盗られちまうぞ」
と言う養父に焚き付けられたわけではないが、帰れば一番にサマンサに会いに行った。
恋人と呼べる関係になってからは、家に帰らないでサマンサのところに泊まる事が多かった。
「サマンサが倒れていた一ヶ月前に、ローラ姫が攫われたんだ。年恰好も似ていたから、君を姫じゃないかって言う人もいたんだよ」
サマンサがラダトームに現れる一月前に、行方不明になったローラ姫の捜索は、竜王の関与を決定付けた後に打ち切られた。
掠われた姫君を救い出すのも、ロトの末裔に課された使命だ。
どこに捕らえられているかのめぼしはついている。
「アレフもそう思った?」
胸に頬を寄せて、甘えるようにサマンサが言う。
「ぜんぜん」
「それって、私に品がないってこと?」
拗ねたように睨む。
実はその顔が好きで、わざと意地悪を言いたくなるんだ。
「俺にもないから、大丈夫」
クックと笑うと、微かにサマンサが身じろぎするのがわかった。
怪訝そうに、不安そうに鳶色の瞳が揺れている。
「俺、って。いつから?」
「?」
「ほら、前は僕って」
少し寂しそうに言われて、ドキリとした。
泣き出すんじゃないかと思って。
「ああ。…いつからかな。分からない。…嫌?」
「ううん」
サマンサが首を振るたび、柔らかな巻き毛が素肌をくすぐる。
「大人になったんだな、なんて思ったら、少し寂しくなっちゃった…。変ね」
えへへと笑う。胸が締め付けられるような息苦しさを覚えて、彼女を抱く腕に力を込める。
「俺は、俺だよ。サマンサ」
体を入れ替えて、サマンサの耳元に囁く。見詰めあう瞳が潤んで、そっと伏せられた。
「うん」
かすれた声で頷いた彼女の、伏せられた睫毛に唇を落とす。こぼれた涙を追って、頬、唇と順に口付けた。
竜王に滅ぼされたという砂漠の町を調査した際に、不思議な青い輝きを放つ鎧を手に入れた。
不思議と肌に馴染むこの鎧が、<ロトの鎧>だと知ったのはしばらくたってからだった。
それから噂をたどり、海底トンネルの中でローラ姫と思しき少女を助けた。
洞窟の中、不自然に設置された扉の中には、財宝を守る守護者よろしくドラゴンが待っていた。
ドラゴンの吐く硫黄の呼気、不自然に篭った熱が五感を刺激する。
竜王の眷属。最強の肉体を持つ古代の生物。
上位の竜は、人語を話し、魔法すら操るという。幸いな事に、この竜は下位に属するらしい。
魔法の光を掲げ近付く俺に、竜はゆっくりと首をもたげた。
知性ある瞳、輝く緑の鱗。おぞましさや恐怖よりも、より強靭な肉体を持つこの獣を、美しいと感じた。
「我は王より、かの姫の警護を命ぜられた。人の子よ、命惜しくば立ち去るがいい」
魂を揺さぶる咆哮と共に、頭の中に直接声が響く。
思わずのけぞった視線の先、積み上げられたものに気付く。
煤けて、ひしゃげてはいたが、部屋の隅に転がされたそれらは、ラダトーム兵の鎧だった。
ローラ姫救出部隊は、ここまでたどり着いたのだ。そしてこの竜に敗れた。
部隊に志願し、帰らなかった兵士の中には、親しくしていた者もいる。
彼は強い戦士だった。
今の自分が、あの人より強いかどうかは分からない。
でも―――。
「お前に恨みはない。が、お前に殺され、無念のままに死んでいった友のために、俺はお前を切る!!」
ぞろりと鋼の剣を鞘走らせ、床を蹴る。
今まで立っていた場所で、カチンと竜の顎が鳴った。
この狭い場所では、図体のでかい相手よりこちらが有利。
守るべきものがいるのなら、なおさらその動きは制限される筈。
研ぎ澄まされた鋼の切っ先が、火花を散らしながら竜の前肢をえぐった。咆哮を上げて振り回す首の付け根に、きらりと金属の輝き。
(あれは―――)
「ぐぶっ!」
わずかに注意の反れた俺の背を、強かに竜の尾が打ちつけた。石壁に叩き付けられて、骨がきしむ。
ぐわんぐわんとまわる頭で、かろうじてホイミを唱えた。続く炎の息吹は盾で防ぐ。
何度目かの攻撃を凌ぎながら、俺は機会を狙っていた。
竜は首の傷を庇いながら闘っているように見える。
竜には“逆鱗”と呼ばれる急所があると、いつか書物で読んだ記憶がある。
あの、剣の突き刺さった場所がそこだとすれば…
わざと隙を見せて、牙の攻撃を誘った。
止めを刺そうと襲いくる牙を、鋼の盾で殴ってそらす。
自分の勢いも手伝って、竜は壁に突っ込んだ。これには流石の竜も軽い脳震盪を起こしたらしく、だらりと筋肉が弛緩した。
「今!」
ダッと床を蹴り、竜の肩(?)を踏みつけて、首の根元に飛び上がる。落下の勢いそのままに、剣を突き立てた。
「ぐぉぉぉぉっっ!!!」
狂おしい声を上げ、尚も暴れる竜の上で、突き立てた剣にしがみつき、落下を免れる。
「こぉんのぉ!」
誰の物だかは知らない。
刃を半ばまで埋めた鋼の剣を、俺は渾身の力でドラゴンの体内に埋め込んだ。
「ぐるぉぉぉぉぉーーーーっっ!!!」
断末魔の咆哮を残して、ドラゴンはどうっと倒れた。
ドラゴンが守っていた扉の鍵を開けると、まず異臭が鼻を突いた。
薄暗い空間に、似つかわしくない天蓋つきのベッド。
意匠を凝らした椅子とテーブル。
そこには一人の少女が座っていた。
垢に汚れ、憔悴しきったその少女は、レミーラの光に一瞬顔をそむけた後、毅然とこちらを見た。