◆ときめきトゥナイト

□お題外2
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好きだ


 風に甘い香りが運ばれてくる。
 一言に甘い香りといっても様々だが、人工的な香水の香りは、どうも好きではない。
 初夏の爽やかな風に目を細めて、俊は風の中に漂う香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そして、香りのもとを探す。
 なんの花だろう。
 どこか懐かしい、優しい香り。どこかで嗅いだ記憶がある。好きな匂いだ。
 それとなく辺りを見回す。ともすれば風に流されて消えてしまいそうな儚い甘い香りは、生花だろう。どこかに花が咲いているのだ。
 ゆっくり歩きながら探していると、道端に白い小さな花をたくさん付けた、背の低い植物を見つけた。多分、これだ。
 なんという花だろう。俊は知らないが、あのお節介な転校生ならば花の名前を知っているだろう。
 摘んで帰ろうか?
 たとえ雑草でも、彼女は花を贈られたと舞い上がって喜ぶに違いない。
 その場に屈んで、花に手をかけて、止めた。
 摘まないで、という声が聞こえたような気がした。
 気のせいだろう。
 けれど同時に思い出す。小さい頃に母が、どんなものにも命があるのだから、大切にしなくてはいけない。雑草だろうと、無下に摘んではいけないのだと教えてくれたことを。
「おふくろ、だったよな…」
 今一人、よく面倒を見てくれた姉のような人物がいて、同じように諭されたような記憶もある。
 いずれにしても、俊はその花を手折るのを止めた。
 別にこの花の名前を、どうしても知りたい訳ではない。
 中学生にもなって、花に興味があるなんて男らしくない。自分の柄じゃない。
 そう心の中で繰り返して、ふんっと肩で風を切って歩き出す。
 家に鞄を置いたらジャージに着替えて、グラブを持ってジムにいくのだ。チャンピオンの夢を実現させるために。花じゃ腹は膨れない。



 翌日、面白い程に腫れ上がった顔で、俊は登校した。クラスメイトは「また喧嘩」と怖がって近付いてこない。

(…けっ)

 弁明するつもりはないが、面白くもない。
 これは昨日、スパーリングで先輩におもちゃにされた結果である。
 将来プロになろうという自分が、おいそれと暴力沙汰など起こすわけがない。そのくらいの分別はある。

「おはよう。真壁くん!」

 不貞腐れて、机に突っ伏していた俊は、声をかけてきた相手を見もせず手だけ少しあげて挨拶を返した。

(ん?)

 声の主が誰かなんて、顔を見るまでもない。クラス中に明るく声をかけて、隣の席に座るのは、中途半端な時期に転校してきた江藤蘭世。

「きゃっ! 真壁くん、アザだらけじゃない? 大丈夫?」

 待ってて、と蘭世は教室を出ていった。目の前を通り抜け様、やはりそうだと俊は確信する。
 あの香り、昨日嗅いだ花の香りは、蘭世の香りだ。

(好きな香り…)

 安心する。もっと嗅いでいたい。そんな香り。
 残り香の中でぼんやりとしていると、やおら顔に冷たいものが押し付けられた。

「冷たっ」
「昨日の練習ハードだったもんね。お疲れ様」

(…え?)

 喧嘩じゃないと、なぜ練習だとわかるのだろう。なぜ彼女がわかってくれたことが、こんなにも嬉しいのだろう。

「まるで見てきたみたいにいうんだな」
「えっ? ええっと、そうじゃないかなって思っただけ! ほら、ちゃんと冷やして」
「てか、お前、これ、びちょびちょじゃねーかよ」
「よ、よく冷えるんじゃないかと思って。ナハハ…」
「ったく…」

 ハンカチも満足に絞れないのか、とか、前日の打撲を今更冷やしてどうするんだ、とか、突っ込みどころはたくさんあった。けれどそれ以上に嬉しい。
 つい緩みそうになる顔を、俊はあの花の香りがする蘭世のハンカチで、すっぽりと隠した。


20130529
香りネタ第二段!
これは銀英伝で書いた「香り」のときめきバージョンです。
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