◆ときめきトゥナイト

□ときめき お題外
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 蘭世が出掛けるようとリビングを横切った時、また、電話が鳴った。

「はい、まか…」
『蘭世、あんたまだいたのね!』
「う、ごめんなさい…」

 叱られる!
 反射的に語尾が小さくなる。中学の頃から、この辺りの力関係は変わっていない。

「だって、あのね」
『ちょうどよかったわ!』
「実はわたし、さっきまで……え?」
『あんた最近弛んでるからね。おめかししてらっしゃい。たまにはしゃんとしないと、俊に見離されるわよ〜ほほほ』
「そ、そんなことないもん!」
『そろそろこの神谷曜子様の魅力に気付いて、あんたと結婚したことを後悔してるんじゃないかしらぁ? ほっほっほ』
「言わせておけばっ、かみっ……また……」

 ツーツー、無情に鳴る受話器を恨めしげに睨み、ぷ、と唇を尖らせる。
 今も昔も、曜子相手に口で勝てた試しはないのだ。

「そんなこと、ないもん…」

 鏡の前でシャツの裾をにぎりしめ、蘭世は小さく言いそこねた反論をつぶやいた。
 それでも、言われてみれば確かに、飾り気のないシャツワンピースにレギンスという今の恰好は、女盛りを過ぎた今ではおばさん臭い、疲れた印象を受けた。
 実際、けだるいのだ。
 髪型も化粧も服装も、どうでもいいと感じるくらいには。

「やだ。ほんと…」

 昼間の卓の言葉が頭を過(よ)ぎる。
 これでは二千年越しの恋も冷めよう。

「だめね。女はいつまでもときめいてなくちゃ」

 ときめかせてくれる相手なら、いる。
 問題は、その相手を自分がいつまでもときめかせていられるのか、ということだ。

 今下りて来た階段を駆け上がり、クローゼットの扉を開ける。

 曜子の言葉通り、彼が蘭世に飽きるとか、裏切るなんて事、あるはずがない。
 それでも、それとこれとは別の話だ。
 惰性で側に居たいのではない。学生時代のような新鮮な驚きやときめきとまではいかなくとも、何時までも互いに恋していたいではないか。

 ずらりと並んだワードローブを見る蘭世の瞳は、挑むようにキラキラと輝いていた。

*―*―*―*


「お父さん、何時頃来るかな?」
「さぁな。あと一時間てとこじゃね?」

 昼前から買い出し、飾り付けと忙しく働いてきた甲斐あって、16時には全ての準備が終わっていた。
 食事の用意は曜子おばさんが引き受けてくれたので、卓も愛良ももうすることがない。
 親子二代、付き合いのある神谷家は、それこそ生まれる前から遊びに来ていた場所だ。大きくなって多少の遠慮はするようになったとはいえ、しゃちほこばるほど緊張もしない。だらりとソファに長い手足を投げ出した兄の隣に、妹も兄ほどではないがてろんと腰を下ろす。

「お兄サマ! 夢々のお部屋でお話しましょ!」
「愛良ちゃん、二階に行かない? ゲームしようよ。新しいの買ったんだ」

「行かね」
「するする〜」

 にべもなく夢々の申し出を断ったした卓は、中学生になっても女としての自覚がない妹を、じと目で睨んだ。

「おまえなぁ…」
「な、なによ」

 相手が風だからかもしれない。たぶんそうだ。
 もし卓が女でも、幼なじみで、しかも風なんかに警戒しないだろう。
 それでも、まぁ、一応、念のため…

「風、オレもやる。何買ったんだよ?」

 好きな女の子との二人だけの時間に割り込んだというのに、風は嫌そうなそぶり一つ見せない。初めから、愛良と二人きりになろうなんて考えていなかったのかもしれない。
 にこりと笑顔を煌めかせて、多人数同時プレイのゲームな事を風は話す。へぇ、と頷きながら腰を上げた卓に、当然の様に妹達も付き従った。

「あ、卓」
「はい?」

 出て行き様呼び止められて、振り返れば、どこか浮かない表情の曜子が、らしくもなく言葉を選んでいる。

「お母さんさ…」

 言い淀む曜子の思考を読まずともわかる。言動は乱暴だが、この母の親友が、実は常に母を気にかけてくれていることを、卓は経験的に知っていた。

「ちょっと、夏ばて気味みたいなんですけど、あの人のことだから、大丈夫ですよ」

 ヴァンパイアの癖に直射日光を浴びても祖父同様ぴんぴんしているし、人間並の病気に罹る程やわな生き物ではない。

「そうね! 蘭世だもん。殺したって死ぬようなタマじゃないか!」

 あははと笑う曜子に会釈してリビングを後にする。階段では、風が待っていた。

「おばさん、具合悪いの?」
「いや、大丈夫だろ」
「うちのママもさ、更年期とか心配してるんだ」
「ぶっ」
「笑うとこー?」
「だっておまえ…」

 あの神谷曜子が、人並みにそんな症状に陥るところが想像できない。
 勿論、魔界人である母蘭世が、更年期になんかなるわけがない。

「馬鹿に出来ないよー? 早い人は40代で始まるんだって」
「はぁ」

 なんと返していいか迷う。母親を案じる良い息子かもしれないが、男の風がこんな事に詳しいのも奇妙だ。

「おまえ詳しいな…」
「保健で習った」

 大きな声では言えないが卓は保健の授業を真面目に受けたことがない。さも当然のように言う風に、今度こそ返す言葉がなかった。

*―*―*―*


 常に着飾っていたわけではないが、プロボクサー真壁俊の妻として、それなりに恰好には気を配って来たつもりだ。
 それでもやはり、子供が生まれてからは出掛けるのに、昔のように気合いを入れて支度をする事はなかった。どうしても見た目より機能性を重視してしまうし、そもそも最近ではお出かけ自体をしなくなっていた。
 曜子の言うように「弛んで」いたと取られても仕方がない。
 服を選び、アクセサリや靴、もちろんヘアスタイルも化粧も念入りにコーディネイトして、気付けば電話を切ってから一時間以上が経っている。

「やだ、もうこんな時間!?」

 自分を飾り立てるのが楽しくて、つい時間が経つのも忘れていた。
 慌ててドレッサーの前から立ち上がり、カバンの中に必要な小物をほうり込む。

「っとと、電話、電話」

 また怒鳴られるかもしれないが、これから行くと言っておかねばならない。

「………」

 少し考えて、蘭世は神谷家の番号ではなくもう一つの暗記している番号をコールした。

(………あれ?)

 受話器からコールがすると、山彦のようにコール音が聞こえる。

『…もしもし?』
「あっ、えっ?」

 受話器からの声とは別に、声がすぐ傍から聞こえた。
 振り返ると、リビングのガラス戸越しに声の主が蘭世を見ていた。

「どうして!?」

 見えているのに、ご丁寧に受話器に疑問をぶつける。俊は少し困った顔で首を傾げた。
 何に対しての『どうして』か解らずに、取りあえずいうべき言葉を口にする。

『ただいま』
「お、おかえりなさい」

 ガチャリと、リビングに入って来た俊を見て、蘭世は目を見張る。

「ん」

 小さな子供が飴玉でも寄越すような仕種で差し出された(突き出された)ものに、言葉を失う。

 まじまじとそれを見詰めるだけで、一向にアクションを起こさない妻に、俊の眉が寄る。

「ほら」
「うえぇぇ?」
「なんつー声出してんだ。ほら」

 思わず吹き出して、今度は手に取りやすいようにそっと差し出してやる。妻の手を取って、それを抱えさせる。

「これ…」

 むっとむせ返るほど強烈な薔薇の香気。花の赤を映して、蘭世の頬もばら色に染まる。
 つられて、俊の頬にも赤味が帯びる。照れ隠しだろう。ついと横を向いた俊が、ポリポリと華の頭を掻いた。

「誕生日、だろ?」
「え…?」

 ぼぅ、と花束に見入っていた蘭世は、俊が何を言ったのか一瞬理解できずに俊の顔を見た。
 これには、俊の方が肩透かしを喰らった気分だ。

「だから、おまえの!」
「え? ああ!」
「…忘れてたのかよ」
「う…。うん」

 呆れた溜息を「てへへ」と照れ笑いの頭が受ける。

「の、割にめかし込んでるじゃねぇか」
「これはねぇ、神谷さ…」

 ピピピッ

「その、神谷からだ」

 携帯電話にメール到着を告げるアラーム。小窓を確認して、俊が肩を竦めた。

「子供達も待ちくたびれてるはずだぜ」
「え? どういうこと?」

 蘭世には訳がわからない。どうやら事情を知っているらしい夫に説明を求めようとしたところ、くい、と腕を差し出された。

「…え?」
「どうぞ、奥様」

 少しおどけた調子でウィンク。

「う、えーと…」

 逡巡していると、そのままの姿勢で俊はカウントを始めた。

「5、4、3…」
「わわわ」

 慌てて腕を取ると、にこりと優しく微笑まれた。こんな風に微笑まれると、未だにドキリと胸がなる。

「じゃあ行くか」
「行くってどこに?」
「いーいから、黙ってついてこいって」

 エスコートされて車に乗り込む。
 移動中もなんの説明もなし。運転手の機嫌は良いようだが、横顔からはそれ以上のなにもわからない。

「説明してよぅ」

 いい加減に蘭世の口が尖って来た頃、ようやく車は目的地に着いたようだ。
 夏夜の薄闇の中に、見知った日本家屋の石壁が見えてくる。

「やっぱり神谷さんち。卓と愛良も来てるの? なんなのよいったい。わたしだけ仲間はずれにしてぇ」

 相変わらずの拗ねた口元。小さく突き出たくちばしが愛らしくて、俊は声に出さず笑う。運転席から身を乗り出して、ルージュを曳いた唇にキスを……

「…やめた」
「な、なんで…」

 突然のキスに硬直したまま、未遂については不満をもらす。

「着きそうだし」

 一応学習はしているのだ。代わりに頬に軽く口づける。
 に、と人の悪い笑みを口元にたたえて、俊は先に車を降りた。不満げな蘭世がシートベルトを外している間に助手席の外に回り込んでドアを開ける。車から降りる妻の手を、貴婦人よろしく取ることも忘れない。

「なんだか気味が悪いわ」

 くすぐったそうに笑いながら、口ではそんな事を言う。

「酷い言われようだな」

 俊は蘭世を軽く睨んだけれど、それだけ常日頃なにもしていないということだ。

「今後はもう少し配慮しますよ。奥さん」
「よろしく。旦那サマ」

 腕を組み、仲良く身を寄せ合いながら大切な家族と友人が待つ場所へゆっくりと歩みを進めていく。
 神谷邸では、クラッカー片手に主役の到着をいまかいまかと待っている子供達と神谷曜子の姿があった。

「「HAPPY BIRTHDAY!!」」



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