◆ときめきトゥナイト

□ときめき お題外
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Happy Birthday !!

 痛いほど強い、真夏の太陽。蝉はうるさく羽根を揺らして、命を賭けた恋を謡っている。

 夏休みが始まって数日。子供達はすっかりだらけた生活に慣れてしまい、遅くに起きて、当たり前のように遅い朝食を済ませ、後片付けを手伝うでもなく、エアコンの効いたリビングでごろごろ過ごす日が続いていた。

 ソファにだらし無く腕と足を投げだし、テレビを見ている長男の、今では自分より高い位置にある金髪が目に入り、蘭世は家事の手を止めて嘆息した。

(育て方を間違えたかしら…)

 リビングに敷いた茣蓙の上には、抱き枕を抱え胡座をかいて、やはりテレビを見ている娘がいる。
 蘭世はもう一度息を吐いた。
 思いの外大きなため息になってしまい、子供達の視線が一瞬母を見る。

「お母さん、これ片付けたら少し休むわね。あんたたちはどうするの?」

 兄妹はちらりと顔を見合わせ、兄は無愛想に、妹はいたずらをごまかすように、それぞれ外出の予定を告げた。

「? そう。暑いから帽子を被って、水分補給をこまめにね」

 愛良の態度を訝しく思いながらも、深く追究することはしなかった。中学生にもなれば、親へ秘密にしたいことのひとつも出て来るだろうし、こと恋愛に関しては、蘭世は娘の意志を尊重している。中学生としての分を超えない限り、口を挟むつもりはなかった。その「分」については娘と、特に相手を信用している。勿論、そこに無言の圧力がかかっていることは言うまでもない。

「子供じゃないんだから、心配し過ぎだろ」

 やれやれと言いたげに卓がソファから立ち上がり、母の手から拭布を取り上げた。それから早く行けとばかりに手を振って母をリビングから追いやろうとする。
 これにはさすがにむっとした表情を見せた蘭世も、卓の続く言葉に柳眉を下げた。

「疲れたカオしてる。昼は適当に食べるから、母さんは寝てなよ」
「そ、そう?」

 両手で頬を挟む母に、卓は微かに口元を緩めた。

「うん。父さんが帰ってきたらがっかりするくらい、疲れた顔してる」
「ええっ?」

 からかわれて怒るところだろうが、蘭世は素直に息子の好意を受けることにした。エプロンを外して、髪を解く。

「愛良、出掛けるならあまり遅くならないのよ。出掛ける前に洗濯物を取り込んでね。それから…」
「あーもう! わかったから、行った行った!」

 指折り数える母の背を押してリビングから追い出す。扉を閉めて、母の気配が二階に消えるまで、愛良は扉を押さえていた。ぱたんと二階で寝室の扉が閉まる音を聞いて、はぅ、と息を吐く。

「…行った?」
「みたいだな」

 兄と妹は顔を見合わせて、に、と意味深に笑った。

*―*―*―*


 子供なんて、少し前まではうるさいほどに纏わり付いていたのに、小学校、中学と歳を重ねるごとに、ひとりで大きくなったような顔をして、今度は親を顧みもしない。
 手を離れて、その成長を喜ぶ半面、寂しくもある。
 卓が小学生のうちは、夏休みになるとよく庭にプールを出して水遊びをしたものだ。夜には花火をして、江藤家や神谷家で過ごすことも多かった。忙しい日々だったが、それも今は懐かしい。
 しん、と静まり返った庭を見下ろし、蘭世はそっと微笑をもらした。
 西に傾き、焼き焦がすような勢いをなくしつつも、まだ明るさを失わない真夏の太陽。一雨降るのだろうか。風はどこかひんやりと、開け放ったドアを吹き抜けていく。風に乗って、祭囃子が聞こえた。
 もう少ししたら、浴衣を出して、みんなでお祭りに行くのも楽しいかもしれない。
 とてもよい思いつきに思えて、うきうきと足を室内に向けたところで、蘭世は人気のない階下の様子に気がついた。

(そうよね。行くにしたって家族でなんか行くわけないわ)

 この家も、あの太陽のようなものかもしれない。勢いを無くして、段々と沈んでいく、落日の太陽。替わりに、じき新しい太陽が昇るだろう。そうしたら、自分達は置き火のように、穏やかに日々を過ごせばいい。

 心持ち、蘭世の肩が落ちていた。昼寝の倦怠感が、まだ体に残っている気がする。
 怠い…
 夏ばてかもしれない。

(お昼、食べてないんだった。なにかお腹に入れないとね)

 でも、何も食べたくない。一人分の食事を自分の為に作って、誰もいないダイニングで食べる気にはなれなかった。

(一食くらい、抜いたっていいわよね)

 洗面所で顔を洗って、寝乱れた髪を整える。鏡の中で血の気の引いた顔を無理に笑わせて、唇に紅を引いた。
 それから、何をするでもないのだが、蘭世はキッチンにむかう。キッチンは蘭世の場所で、そこからは家族団欒のリビングが見える。誰もいないとわかっていても、定位置から家を見ていたかった。

 リビングの扉をあけると、大きな窓から庭が見える。約束通り、洗濯物は取り込まれていた。それぞれの衣類毎に畳んで山になっている。ここまでやるなら、せめて自分の洗濯物はしまえばいいのにと、小言が喉まで出かかったが、期待以上のお手伝いをしてくれた事だけで善しとしようと思い直した。

(…ん?)

 テーブルの上に、小さなメモを認めた。愛良の字で箇条書に物の名前が書いてある。買い物のメモらしい。

「カラーテープ、クラッカー? なにをするつもりなのかしら…?」

 友達とパーティでもするのだろうか。

(羽目を外し過ぎないといいけど)

 小さな頃から、これと決めたら一直線なところがある娘だ。誰かの為になることが大好きで、他人の苦労に首を突っ込まずにはいられない。自分に、よく似ていると思う。

(あの子、メモを持たずにいったんだわ)

 おっちょこちょいなのも、遺伝だろうか。
 買うものがわからず困っているかもしれない。

「仕方ないんだから」

 呆れつつ、まだまだ隙を見せてくれる幼さに、どこか安堵にも似た喜びを覚えた。
 愛良の携帯に連絡しようと電話器に手を掛けた途端、狙いすましたように鳴り出すコール。あまりのタイミングに受話器に伸ばした手を引っ込めてしまった。
 もしかしたら愛良からかもしれない。驚きはしたものの、そう思い直して受話器を取った。

「はい、真壁でござ…」
「蘭世? あんたなにやってんのよっ?」

 思わず受話器を耳から離したが、キーンと耳鳴りがする。

「か、神谷さん?」

 言わずもがなの事を口走れば、第一声を上回る勢いで怒られた。

「もう! 相変わらずとろくさいわね! いいから早くいらっしゃい! 俊ももう来てるわよ!」
「えっ? どういうっ、……切れちゃった…」

 ツーツーと無機質な音を伝えるだけの受話器を恨めしげに見つめ、やがて電話機に戻した。
 神谷曜子はああ言っていたが、考えても曜子に怒られるような事をした覚えがない。蘭世のことだから、単に忘れているだけだということも考えられなくもないし、曜子が伝えたつもりで実は蘭世に伝わっていないのかもしれない。
 なんにせよ、俊までも家に寄らず直接神谷家に行ったとなれば、前々からの約束だったのかもしれないし、ここでこうしていても仕方ない。遅れれば遅れるだけ、曜子の機嫌を損ねるだけだ。
 何があるのかは知らないが、蘭世は身支度を整え始めた。

*―*―*―*


 携帯電話のランプが点滅しているのに気付いたのは、その日の仕事を終え帰り支度を始めた時だった。

「真壁さん、どうっすか? 帰り」

 くい、と飲む仕種をするスタッフに、俊は開きかけていた携帯を掌の中に戻す。

「いや、今日は…」

 訳知りのスタッフが、飲みの誘いを入れた後輩を小突く。後輩スタッフは、先輩に耳打ちされてさっと顔色を変えた。妙に真面目な表情で、俊にぺこりと頭を下げる。

「すんません! おつかれっした!」
「おう。ごくろうさん」

 そこまで気を使わなくとも、と苦笑しつつ、スタッフ達が出ていくのを見送った。気配が廊下に消えるのを待って、俊はようやく携帯電話のディスプレイを開く。

(卓、と、……神谷?)

 珍しい相手からのメールに、ふと首を傾げ、内容を確認してから、俊はなんとも言えない表情で携帯を閉じた。

 妻蘭世の誕生日を、神谷邸で祝おうと言う企画は聞いていた。
 しかもそれを当の蘭世には内緒で行おうと言うのだから、蘭世に嘘の付けない俊にも、ぎりぎりまで伏せられていた計画だ。
 結婚前には誕生日に気付かない振りをしてきたり、照れて面と向かって祝うようなことの出来なかった俊である。結婚して、卓が生まれてからは、卓や俊の誕生日は祝うのに蘭世の誕生日だけ祝わないのもおかしいだろうということで、家でささやかなパーティをしてきた。子供達が小さなうちは、それなりにはしゃいで用意をしたものだったが、最近では部活だなんだとあって、家でパーティなんてやることもなかった。だから今年も、簡単に済ませるのだとおもっていたのだが、どうも違ったらしい。

(本気でサプライズなんだな)

 卓からのメールは、蘭世を家に迎えにいけと書いてあり、曜子からはリボンを巻いてやるから早く来るようにと書いてある。

(バカか…)

 幼なじみの意図するところは当然却下だ。何を今更、という思いもあるが、なにより恥ずかしくてそんな真似出来るわけがない。

 再び携帯を開く、メールの打ち方を知らないわけではないが、やはり電話で直接用件を済ませた方が早いというか性に合っている。

「…あ、卓か? いや、まだスタジオだ。もう帰る。…まだ来てないんだな? そうか、わかった」

 後ろで、曜子が早く来いと叫んでいるのが聞こえた。卓も曜子には頭が上がらない。苦笑しつつ、曜子の意向を伝えて来た。

『おばさんが早く来いって』
「ああ、聞こえた。でも、あいつは家にいるんだろ?」
『うん』
「……」
『……』

 電話越しに息子が笑ったのがわかった。

「卓…」
『わかってるよ。うまく言っとく』
「ふ…、そうか」
『その代わり、早く来てよ。昼テキトーだったから、腹ぺこぺこなんだからさ』
『(嘘! お兄ちゃんダブルチーズ2個も食べたじゃん!)(うるさいな、パンは飯に入らないんだよ!)』

 愛良との昼からのやり取りが目に浮かぶようで、俊は再び笑みを漏らした。

「努力する」
『よろしく』
「ああ、じゃあな」
『うん。後でね』

 またぎゃんぎゃんと愛良や神谷家の双子が騒ぎ立てているのが聞こえて、それを卓が叱り飛ばす声を最後に通話が切れた。
 しばらくディスプレイを見詰める俊は、優しい眼差をしている。大きくなっても、何も変わってなどいないのだ。卓と愛良は自分達の子供で、今日この時まで慈しみ育てて来た。子供達がどんな社会に属すことになっても、自分達が彼等を見守り続けることに何らかわりはない。いつまでも、いくつになっても、自分達は彼等にとっての巣箱であり続けるだろう。
 そして、自分にとっての帰るべき場所は、彼女しかいない。

(花でも、買って行くか…)

 食えない、数日すれば枯れてしまう花束などに、俊は何の価値も見出だしていない。
 それでも、値打ちものの宝石よりも、彼女がそんな花を喜ぶことを知っている。
 オフィスビルを出て、地下駐車場の愛車に乗り込みながら、今年はどんな花束にしようかと、それを渡した時、彼女はどんな表情をするだろうかと、そんな事を考えながら、俊は車を自宅へと向けた。


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