◆キリ番の作品

□ときめきのキリリク
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キリ番8万
受け継がれていくもの


 顎にくらった娘の蹴りに、常識とか意地とかいうものが、すべて砕けて剥がれ落ちたような気がした。

「もういやだ! 椎羅、借金でもなんでもして旅行にいくぞ! 世界一周旅行だ!」

 といっても人間のように旅費がかかるわけではない。移動はもっぱら魔界人の秘密のネットワークであるJALパックの扉を利用するし、滞在先はやはり魔界人縁の古城などを利用するからだ。
 半ベソで荷物を鞄こと棺桶に詰め込む夫望里に、自分もうきうきと旅行の準備を続けながら、椎羅はそっと耳打ちした。

「ふたりっきりにしてあげましょ」

 くふふ、と意味ありげに笑う椎羅に、望里はまたぁ?といやそうに顔をしかめたが椎羅はとりあわない。

「だって今度こそ確実ですもの! わたしは王妃さまのお・母・上♪」

 るんっ♪ と小躍りする椎羅に逆らって、わざわざ機嫌を損ねる必要もない。
 望里はやれやれと曖昧に笑って荷造りを再開した。

 今とまったく同じ目論見で、蘭世を魔界の王子と二人きりにしたのは記憶に新しい。
 あの時は王子アロン直々に蘭世を妻にと所望された上で、娘と王子を残して旅行に出掛けたものだが、蘭世が乗り気でないのもアロンの強引さもわかっていた望里だから、旅行に心踊るわけもなく、ただ娘の身が案じられてならなかった。今にして思えば、何故もっと真剣に妻の暴挙を諌めなかったのかと悔やまれてならない。もし、あの時蘭世を置いていかなければ、15歳の娘の心に傷など付けることもなかっただろうに。
 今更だと、望里は静かに息を吐いた。どれほど悔やんでも、過ぎてしまった時を巻き戻すことはできない。数百年を生きた、不死の王であろうとも。否、魔界の王であってもそんなことは赦されない。
 望里はそっと窓に寄り、庭で幼なじみを煙に巻こうとしている少年を見下ろした。
 あの時感じた負い目を、望里が彼に対して感じることはない。

(よろしく頼むよ)

 心の中で呟いて、望里はわずかに頭を下げた。

「さぁ、行こうか」

 気遣わしげにこちらを伺っていた椎羅を振り返る。いっそわざとらしいほどに明るい表情で、望里は椎羅に笑いかけた。

「はいっ。あなた」

 こちらもにこりと、晴れやかに笑って、椎羅は望里の腕を取った。少し見つめ合ってキスをする。甘えたように椎羅が望里の肩に寄り掛かり、ふたりはゆっくりと歩き始めた。

「行き先は?」
「そうね。まずは地中海のあたりから」

 ゆっくり行こう。長すぎる生を、急ぐ理由なんてない。
 子供達を置いていくことに多少の後ろめたさはあったものの、以前のような不安は全く感じなかった。



 JALパックの扉は、目的地にすぐついていまうから、旅の情緒も何もあったものではない。
 それでも、仲良く隣の席に並んで座り、何でもない、ほんの日常的な他愛のない会話でさえ、今は貴重に感じられた。

「大変だったものね」

 望里の内心を見透かしたように、隣で椎羅が笑う。ご苦労様、と手が重ねられた。

「ああ」

 短く答え、重ねられた手に指を絡める。
 ちら、と視線をやると、椎羅は一瞬驚いた様子で目を見張った。見詰めていると、少女のように恥じらい、窘める視線を寄越す。それでも、二人の手は離れることはなかった。力強く握るわけではない、それでもしっかりと、二人は互いの手を繋ぎあう。

「ねぇ」

 望里の肩に椎羅の金髪が被さる。

「うまく行くといいわね」

 誰が、とも、何が、とも言わないが、妻が何を差しているのか、聞くまでもなく分かっていた。
 椎羅のその声からは、家にいた時のような妙に浮ついた気配は感じられない。
 望里は妻から目を離し、虚空に向けて目を眇る。そこに、愛しいもの達の姿を見付けようとするかのように。

「そうだね」

 短く答えた口元が優しく微笑み、それからその笑みは寂しそうなものに変わった。

「やぁね」

 椎羅は、ぷっ、と小さく吹き出す。

「まだ先の話ですよ」

 それでも、そう遠くない未来に、彼は望里のもとから娘を連れていくだろう。
 望里が、椎羅を連れ出した時のように。

「椎羅」
「はい?」
「しあわせかい?」

 椎羅は僅かに目を見張り、ふ、と笑った。答える代わりに身を乗り出して望里の唇にキスをする。

「あなたは?」

 いたずらっぽい瞳に覗き込まれる。言わずもがなの事を聞かれて、望里は小さく苦笑した。自分も、詮ないことを口にしたものだ。

「しあわせだ。この上なく」

 抱きしめた妻の体は、始めて抱きしめた頃と代わりなく華奢で柔らかだ。

「椎羅、愛してる」

 腕の中で椎羅がくすぐったそうに身じろぎした。その髪に、頬にキスを落とす。そうこうしているうちに、JALパックの扉は目的地への到着を告げる。

「無粋だね」

 最後に唇に口付けて、望里は椎羅に手を差し延べる。

「次は普通に飛行機に乗ろうか?」

 望里の提案に、椎羅は苦笑しながら首を振った。望里の手を取りながら、反対した訳を口にする。

「飛行機だったらこうはいかないわ。他人の目があるもの」

 自分は別に構わないが、と言いかけたがやめた。作家・江藤望里としての外聞があることに気付いたからだ。

「いいじゃない。今更普通なんて、わたしたちらしくないもの」

 埃っぽい石造りの廊下を歩けば、程なく地上への出口が見えてくる。
 そうだな、と同意しながら、差し込む太陽に手でひさしを作った。大分慣れたとはいえ、やはり陽射しは得意ではない。

(普通じゃない、か…)

 自分が周りと違うことを、物心つくまえから言い聞かせ育って来た蘭世でさえ、中学に上がってからは周囲とのギャップに知らず躊躇いを感じたに違いない。初めての恋に、迷い悩んだのを知っている。
 突然この現実を突き付けられた彼は、今自分の中の常識と、どう折り合いをつけようとしているのだろう。
 ゆっくりでいい。
 だが、忘れないでほしい。
 側に蘭世や、望里達が居ることを。
 そしていつか、しあわせになってほしい。
 大切な娘の笑顔を、彼に守ってほしいと思う。
 普通、でなんかなくていい。ただ彼らだけのしあわせを、彼らが手にしてくれるならそれでいい。

「あなた」

 陽射しの下から、案じる様子の声がかかる。それに今行くと返しながら、望里は胸中につぶやく。

 おまえがわたしたちに幸福をくれたように、おまえも幸福を手にお入れ

――蘭世。



 強い陽射しに帽子を目深に被りながら、望里は椎羅の背中に呼び掛ける。

「ホテルについたら、ハガキを出さないか」

 振り返る妻は母親の顔で、そうねと笑った。

2010.9.15

世界一周旅行中の望里&椎羅夫妻のラブラブ、というリクエストでしたが…
旅行に出てない!
わたしが旅行しないので、わからなかったというのが裏事情です。スミマセンιι(+_+)
新婚気分でいちゃいちゃさせようとしてたんですけどね、やはり親の顔は外れなかった!
甘さ不足は自覚しております。もう下げた頭が上がらない。
ヒッターさん、お納めくださいー!
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