小市民狼と情報屋狐

□狼さんの池袋到着
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とにかく、もうすっかり遅くなってしまったし、早く帰らねば。
乃良はそう気を取り直し、街灯が点いた自宅への道のりを歩いていく。
前方にアパートの姿が見えてきた時、乃良はふと2階に繋がる階段前に何かが転がっているのが見えた。
 
「……?」
 
乃良は少し不審そうな顔をしながらも、アパートに近寄っていく。
近付くにつれて、階段前に転がっている物が何なのかハッキリしてきた。
短い黒髪。今は苦しそうに歪められている、端正な顔。ファーが付いた黒いコート。無造作に投げ出された四肢。
転がっていた――というより、倒れていたのは、青年だった。
表情からして、真っ昼間から酒を浴びように呑んだ酔っ払いが寝転がっているようには決して見えない。
 
「っ! だ、大丈夫ですか?!」
 
これには、普段から『厄介事には首を云々』というモットーを掲げている乃良も顔を青ざめて、青年に駆け寄る。
乃良が声をかけると、青年は堅く閉じていた瞼をうっすらと開いて乃良を見た。
 
「……、ッ」
 
「辛いなら声を出さないで下さい、今救急車を呼びますから!」
 
「……ぶ、な」
 
「え?」
 
青年の唇が微かに震えたかと思うと、乃良は青年に服の襟を乱暴に掴まれて引き寄せられる。
 
「?!」
 
「……救急車、呼ぶ、な」
 
「でも」
 
「ッ、ゲホッゴホッ!」
 
乃良は言葉を続けようとしたが、青年が突然咳き込んだので口を閉じた。
青年の口から吐き出されたのは、真っ赤な血。内蔵が損傷している証である。
自分がこんな状態でも、救急車を呼ぶな、とは、彼は一体何を考えて……
あ〜〜もうッ! 考えてても埒があかない!
 
「取り合えず、私の部屋に運びますから! 辛抱してて下さいね」
 
「ッ……」
 
青年はまた何か言おうとしていたが、そのまま瞳を閉じてしまった。
それを確認した乃良は、なるべく振動を与えないように青年を背負う。
背負われた瞬間に青年の表情が歪んだが、小さく息を吐いた後は浅い息を繰り返していた。
乃良は迅速かつ慎重に階段を上り、自宅の鍵を開けて中に入る。
青年の分を脱がせてから自分も靴を脱いで部屋に上がり、寝室に向かった。
既に敷いてあった布団へ青年を優しく横にさせると、乃良は青年のコートを脱がす。
その時、一瞬だけ青年の表情が苦痛で歪められたのを見て、乃良は手を引っ込めた。
ふと見ると、青年は背中側の右脇腹を庇うように手を添えている。
起こさないように青年の手をそこから退けて「勝手にめくってごめんなさい」と
内心謝りながら、乃良は青年のシャツをそっとめくる。
そこは酷く紫色に変色しており、痛々しさは打撲とか骨折の領域を軽く凌駕していた。
何をどうしたらこんな痣が、とは思いつつ、乃良はその場所に触れないように青年のコートを脱がせる。
コートをハンガーにかけて青年に毛布をかけて、乃良は現在の状況を把握し始めた。
 
 
 
……未成年女子が、見知らぬ男を家に連れ込んで布団に寝かせている。
 
 
 
「いやいやいやいや、相手は怪我人だから! 別にそんなやましい事とか一切ないから!」
 
一体誰に弁解しているかは知らないが、乃良は顔の前で手を振った。
その声が聞こえたのか、青年の体が一瞬ピクリと動いたが、また規則正しい寝息が聞こえてくる。
起こしてしまったかと一瞬驚いた乃良だったが、青年が未だ夢の中である事を確認して胸を撫でおろす。
 
「っと、もうこんな時間か」
 
怪我人の隣でネットをするのもどうかと思ったが、乃良は青年を起こさないようにそっとパソコンを起動した。
 
 
 
 
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