◆PSYCHO-PASS

□Catch the cat!
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Catch the cat !






 街頭スキャナが異常色相を検出したのは午後四時を少し過ぎた頃だった。
 現在一係の監視官は宜野座伸元ただ一人。自宅に寝に帰るだけの余裕もない状態での勤務状況に、否が応でもため息が出る。

「…行くぞ」

 執行官に掛ける声もどこか覇気がなかった。
 普段なら大きな事件を扱うことの多い一係だったが、二人いたはずの監視官の内一人はとある事件がきっかけでサイコパスを悪化させ更生施設に投げ込まれたが、つい先日執行官として戻ってきた。万年人手不足の刑事課で人手が戻るのは嬉しいことだったのかもしれないが、監視官が補填されない限りはあまり意味がない。執行官の動向を逐一監視し、そしてそれをうまく使うのが監視官の仕事だからだ。監視官が足りなければいくら執行官が多かろうと人手不足の解消にはならない。
 どうにも回らない状態で、一係は他の係が手の回らない比較的小規模な事件を取り扱うか、他の係のアシストをする位の仕事しかなかった。その筈であるのに、頻繁に起こる小さな小競り合いからの事故処理や事務的作業に忙殺される事も多かった。それは主に、報告書作成において最終確認をするのが結局は監視官だから。執行官はともかく、宜野座はこれ以上ないくらいに溜まった疲労にため息をつくのも億劫だった。
 宜野座は一足早く現場に到着し、即座に事態の把握に務める。
 足元に蹲る様にして座っていた三人の少年の顔は痛々しく腫れ上がっていた。

「道を歩いていたら急に殴られたんだ」

 口内を切っているのか、少年は血の滲んだ唇を歪めながら聞き取りづらい声でそう言う。
 聞けば後ろからやってきた二人組の男に突然殴られ、持っていたバッグを奪われたらしい。二人組の男の行方は、この先の廃棄区画だった。

「…以上が今回の事件の詳細だ」

 宜野座は事務的な口調で事件の概要を説明する。

「…要するに、ひったくりってやつかい?」

 征岡がやれやれといった口調で聞くのに対して、宜野座は僅かに顎を引くだけで答えた。

「外見は?」

 上の空で話を聞いていたかのように見えた縢が運搬用ドローンに寄りかかりながら問う。

「一人はジーパンに赤い革のジャケット、もう一人は黒い革ジャンに白いパンツだそうだ」

 容疑者の容姿について説明を忘れていた宜野座は自分に対して胸中で舌打ちをした。いくら疲労が蓄積しているといっても、それは言い訳にしかならない。今現在、ここに監視官は自分しかいない。頼りになる相棒というものは、存在しないのだ。
 宜野座は目の前に立っている執行官の顔を見渡した。
 コートのポケットに両腕を突っ込んで立っている征岡。
 運搬用ドローンに寄りかかって髪の毛を弄っている縢。
 手に持った端末で情報をデータ化している六合塚。
 少し離れた場所で護送車に寄りかかって煙草をふかしている狡噛。
 この四人の執行官を、任務の間中見張らなければならないのが、宜野座だった。

「取り敢えず人相に関しての情報はそれだけだ。少年のバッグに入っていた携帯端末にはGPS機能がついている。ドローンによって位置情報は掴めているが、知ってのとおり廃棄区画には正確な地図がない。各々注意して捜索に当たってくれ」

 そう言って宜野座はドローンが解析したGPSの情報を自分のデバイスから各執行官のデバイスへと送信すると、運搬用ドローンの蓋を上げるように指示を出した。寄りかかっていた縢が動き出したドローンに驚いて宜野座を睨む。

「開けるなら一言言ってよギノさん!」
「寄りかかっているお前が悪い」

 それくらい察してくれないか、と思いながらも、返す言葉には相変わらずいつもの強さは感じられなかった。


 与えられた情報を元に、其々の執行官が廃棄区画に向かっていく中で狡噛だけが最後までそこに残っている。
 宜野座は何か言おうとしたが、叱咤する言葉も出てこなかっため自らも示された場所へ向かうべく足を動かそうとしたが、

「ギノ、靴紐が切れちまった。代わりになるようなものはないか?」

 予想だにしない科白に、思わず宜野座は狡噛を振り返った。

「は?」

 我ながら間の抜けたような声が口から溢れる。
 何を言い出すのかと、怪訝な表情をしていると、

「これじゃ歩き回るには不便だろ?」

 と返された。
 確かに廃棄区画は改造に改造を重ねられた足場の不安定な場所が多い。歩きにくい靴では何かあった時の対処にも手間取ることだろう。

「…知るか、そんなもの…」

 靴紐が切れそうならば予め何とかしておけと言う気持ちを込めてそう言えば、狡噛が苦笑する。

「切れそうにもない靴紐が切れる時っていうのは、良くないことが起こるっていうだろ」

 何か起こるとでも言いたいのか。宜野座は眉間に寄った皺をさらに深くして狡噛を睨めつけた。

「今まさに起こっていることを言っているのか?」

 この状態が、如何に宜野座にとって“良からぬ事”か知っての所業かと問えば、狡噛は胸の内ポケットから取り出した煙草に火をつけながら笑う。

「俺が行かなくてもいいって言うなら、ここに残ってるぜ?」

 警護も必要だろ、と含ませたような口調だ。

「そんなものドローンにでも任せていればいい」

 さっさといけと言いたいところだが、それを言ったところでまた靴紐のことを言われるのがオチだ。

「大体貴様、本当に靴紐が切れたのか?」

 今更になって疑わしくなってくる。狡噛は執行官になってから変わった。
 他の執行官よろしく、平気で嘘を吐く。疑わずにいるほうがおかしいのかもしれないと宜野座は狡噛の足元に視線を落とした。
 
「歩きにくいようには見えないが」

 眼鏡をかけているとっても、視力が悪いわけではない。宜野座から見る限り狡噛の革靴は多少くたびれてはいるものの、その靴紐はきっちり絞められている。

「嘘だよ」

 顔を上げた宜野座のすぐそばまで近寄っていた狡噛が、耳元でそう囁いた。
 瞬時に宜野座の白い顔が赤くなる。

「ふざけている場合か!」

 怒鳴り返せば、廃棄区画へと向かう狡噛が背中を向けたまま手を上げるのが見えた。
 宜野座は何が目的だったのかまるで分からずに、運搬用ドローンからドミネーターを取り出すと2地点に分かれたポイントの一つへと足を向ける。
 もちろん宜野座が向かったのは、狡噛が向かった方とは逆方向だ。同じ場所へ向かうなど到底考えたくもない。
 そんな宜野座の様子を横目に、狡噛は短くなった煙草を地面に落とした。

「漸くいつものギノらしくなったな」

 そんなことを独り言ちって、煙草を踏み消す。
 宜野座がストレスを溜め込みすぎるタイプでは無いことはよく知っていたが、最近は疲れも相まって怒鳴ることは愚か言葉を口にすることも少なくなっていた。自分が監視官から降格したことが原因だとは分かっているものの、好きでこうなったわけでもない。謝ってしまったら、全てを宜野座に丸投げしていると公言しているようなものだ。任せたと言ってしまえば、きっと宜野座は言った以上に根を詰めるに決まっている。
 “お前の所為だ”と思わせている方が、宜野座にとってはまだ余地がある。
 謝りもしない狡噛の事を宜野座は責めるだろうが、責められるのは当たり前のことだ。
 狡噛は慣れた手つきでデバイスを弄ると、地図上に示されたポイントに足を向けた。
 
 嘗てここには何度か訪れたことがある。
 足立区の外れにある廃棄区画。公安局でも全容は把握していないが、一度来た場所であればそれなりに地図も出来上がっている。けれども、それが100%通用しないのが廃棄区画だ。
 以前来た時よりもさらに増改築が勧められた建物は、剥き出しの鉄骨が骨のように折り重なって複雑な形状をした砦のように見える。来るものを拒む様相はいつ来ても同じだった。

『こちらハウンド4。目標物が移動しているんだけど、なんか場所が特定できない。もっと下なのか…?』

 GPSからみれば街中の中心付近に点滅するポイントがあるものの、それは徐々に座標をずらしている。

『ハウンド4、高度は確認しているか?』

 狡噛がそう問えば、

『大分近づいてるはずなんだけど…アーーッ!!』

 答えた縢が突然大きな声を上げたせいで一瞬耳が痛くなった。
 狡噛は顔を顰める。

『ネコ! ネコだっ!』
『猫…?』

 猫なんてここにはたくさんいるだろと言いたくなったが、言う前にはもう縢の言いたいことには察しがついた。

『端末が、猫についてるってわけか?』
『ご明察! 今確保に…って、イッテー! コラ、逃げるなーッ!』

 大方引っ掻かれたのだろう。声だけでも何が起こってるのかわかる。縢の慌てた顔が目に浮かんで、狡噛は思わず笑ってしまった。

『そっちは任せたぜ、縢』
『ちょ、コウちゃん! 俺一人!? あーっ!そんな狭いところ入れねーって!』

 猫に言っているのか狡噛に言っているのかまぜこぜになった縢の科白を尻目に、狡噛はもう一つの地点へと向かうべく錆び付いた階段に足を向ける。

『こちらハウンド1。目標物を確認。バッグに入ったままだな』
『ハウンド1、迂闊に手を出すなよ。何かあるかも知れない』

 征岡の通信に、宜野座が答えた。

『あぁ、わかってるさ。鑑識ドローンは呼べるか?』
『ハウンド2、鑑識ドローンの手配を頼む』
『了解』

 あちらは三人で既に目標物の捕獲に成功したらしい。
 状況を確認した狡噛は手持ち無沙汰になり、懐に手を突っ込んだ。薄くなってしまったソフトケースの煙草を取り出して軽く手を揺すり、飛び出した一本を口にくわえる。
 この仕草にも慣れたものだと、我ながら苦笑した。
 火を付けて、煙を吸い込む。
 鉄骨の隙間から見上げると、曇天の空が狡噛を見下ろしていた。久しく青空を拝んでいない気がする。そんなこと考えながら、狡噛は紫煙を吐き出した。
 こうして煙草を吸っていた男のニヤついた顔が脳裏に浮かぶ。

『ハウンド3、手が空いているならハウンド4に貸せ!』
『…了解』

 デバイスから聞こえてきた宜野座の声からしてまだ自分の事を許していないのだろうと思いながら、狡噛は肺に溜まっていた煙を全部吐いてからそう答えた。



 縢と合流してからは最悪だった。

「いたずらのつもりなんだろうけどっ! 酷すぎない!?」

 縢は悲鳴にも似た声を上げる。
 縦横無尽に伸びた鉄骨や建物の隙間を自由自在に駆け回る猫を追いかけるのは非常に骨が折れた。

「餌かなんかでおびき寄せるしかないか…」
「コウちゃん何か持ってる?」
「いや、生憎食べ物はないな」
「俺はガムしかない」

 手持ちでどうにかなるものはなにもない。
 猫は遊んでいる気でいるのか、時折こちらを振り返っては駆け出して離れていくのを繰り返していた。

「食べ物ならその辺の炊き出しからもらってくればいいんじゃないか…?」

 ちょうど階下から流れてきた炊き出しの匂いに気づいた狡噛が、額から流れ落ちる汗を拭いながら言う。

「ナイス、コウちゃん! 俺ちょっと貰ってくる!」

 そう答えた縢が階段を駆け下りて炊き出しをしている廃棄区画の住人に近寄ったのだが…。

「あ、あんた公安局の人間か!?」

 白髪混じりの頭をした男が叫ぶような声でそういうのが聞こえて、狡噛は大きなため息をついた。ここら辺りの住人は、シビュラの存在に否定的な者ばかりだ。シビュラの眼である公安局刑事をよく思っている人間など存在しない。容易くものが手に入る訳もなかったが、階下を見下ろせば縢が必死に身振り手振りを交えて説得している様が見て取れた。あまりにも必死な様子に思わず吹き出しそうになる。最終的に何を言っても聞かないとわかったのか、縢はホルスターに差してあったドミネーターを構えて脅しに出たようだ。悲鳴と怒号が飛び交い、最終的に説得―ほぼ恐喝に等しいが―に成功したらしい縢が満面の笑みで棒に刺さった団子状の物を手に階段を駆け上ってきた。

「なんだそれ」

 怪訝に思いながらも、見たことのない食べ物らしきものに興味を引かれて狡噛が尋ねる。

「焼き鳥…じゃないよな? なんだろ? でもすげーいい匂いだねー。俺も食べたいくらい」
「肉っぽいけどな…なんの肉かわからん以上食わない方がいいぞ」
「…あのね、こんな場所にあるものやたらに食べる程俺は馬鹿じゃないよコウちゃん…」

 正体不明だが、香ばしい匂いを発する肉の塊を前に議論を繰り広げながら、狡噛と縢は若干の空腹を感じながらため息をついた。

「まぁ、取り敢えず、猫は寄って来るかもしれないから…」

 そう言って、狡噛は猫の方を見やる。
 先ほど、猫を突き出した鉄骨の先に追い詰めたのだ。ここから移動するには狡噛の足元を通過するしかない。鉄骨の下はかなりの高さがある。猫は鉄骨の先端の方に座って毛づくろいを始めていた。

「ほらほら、猫ちゃ〜ん…お肉ですよ〜」

 縢が手にした串をゆらゆらと翳しながら猫に向かってそう言う。まさに猫なで声というのがぴったりのそれに、思わず狡噛は吹き出した。

「ちょっと! 真面目にやってるんだから!」
「わ、わるい…」

 真剣な声で怒った縢にますます笑いがこみ上げてきそうだったが、狡噛は慌ててそれを飲み込む。誰でも動物を相手にするとこんな風になるのか、と、愛犬を撫でる宜野座を思い出してしまったのだ。それを笑ったら、同じように宜野座も怒っていたな、と妙な感慨を感じる。

「あー…もう、お前肉嫌いなのか? 猫だから魚のほうがいいのかな?」
「…そういう問題じゃねぇだろ」

 警戒心が強いのかなんなのか。思い通りにいかないまま徒に時が過ぎていく。
 もうダメかと力を抜いたその瞬間だった。猫が急に串を目掛けて飛び跳ねてきたのは。

「うわぁっ!!」
「おい、馬鹿っ!」

 驚いた縢は手に持っていた串を投げ捨て、ひっくり返る。その拍子に落まいとして狡噛のジャケットを鷲掴み、急に引っ張られて体勢を崩した狡噛はそれでも咄嗟に柵を掴んで踏ん張ると、半ば落ちかけている縢の腰のベルトを引っ掴んだ。
 冷や汗が二人の背中を流れ落ちる。

「…猫、は…?」
「…逃げた」

 その体勢のまま、二人は憔悴しきった表情で嘆息した。





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