◆PSYCHO-PASS

□LAST LETTER
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LAST LETTER







 人の動く気配を感じ取って、眠気の残る頭で目を開ける。
 見上げた天井はシミ一つない白で、埋め込まれたLEDライトが同じように白い壁に反射して明るさが眼に滲みた。
「目が覚めましたか?」
 そういう声が聞こえて、宜野座伸元はぼんやりとした視界に声の主を映す。
「…、迷惑をかけたな、常守監視官…」
 乾いた喉でそういった声は僅かに掠れていた。
 どれくらい眠っていたのだろうか。事件が収束してから、宜野座は負傷した腕を治療するために病院へと緊急搬送されてそのまま手術を受けることになった。コンテナの下敷きになった腕を無理やり引き抜いたせいで、もう使い物にはならないということはわかっていた。
「縫合は済んだそうです。ただ…」
 常守は眉根を寄せて苦い表情をしながら、言いにくそうに語尾を濁す。宜野座はそんな常守の顔をじっと見つめた。
「わかっているさ」
 自嘲気味に笑って、宜野座は半身を起こす。そして、自らの左腕を摩った。
「神経が切れてるんだろ。動く様子もないしな…」
 妙に冷静な目つきで、動かない指先を見つめる。持ち上げることはできるが、指が動くことはもうないだろう。
「すみません…。私がもう少し…」
 もう少し冷静に考えていれば、槙島の行動を冷静に予測していれば、宜野座が、そして同行していた征陸が死ぬこともなかったかもしれない。そういう自責の念がにじみ出るような表情で、常守は膝の上に置いた拳を握りしめている。
「君の所為じゃない」
 宜野座は苦笑しながら常守の頭に動かない左腕でそっと触れる。
「君は、よくやってくれたよ…」
 宜野座がそう言った瞬間、常守の眼から大粒の涙が溢れ、握り締めたままの拳の上に落ちた。
「私は…何も出来なかった…っ」
 嗚咽をこらえた震える声がそう言う。
「もっと…何か出来たんじゃないかって、…ずっと、考えて…っ」
「……」
 常守の気持ちは痛いほどよく分かる。宜野座は俯いて嗚咽を漏らす彼女の事を直視できずに視線を逸らした。やり場のない視界でシワの寄ったシーツを見つめる。
 後悔していないかと聞かれれば、はいとは決して言えない結末だった。
 ただ我武者羅に、獲物だけを追い続ける狂犬となってしまった狡噛を止めることができなかった。それは宜野座にとっても、常守にとっても痛恨の極みだったのだ。
 狡噛を、ただの殺人者にはしたくない。
 それだけが、二人の願いだったのに。
「常守…」
 宜野座は嗚咽をこらえて涙を拭う常守から視線を外したまま、彼女の名前を呼ぶ。
「俺は、おそらくもうお前の隣には立てないだろう」
 こんな時に言う科白ではないだろうとわかっていながら、宜野座はそう言った。常守は俯いたままで宜野座の言葉を聞いている。おそらく彼女ももう気づいているのだろう。その気配でなんとなく悟った。
「すまない。上司として、最後まで俺は君に何もしてやれなかったな」
 そう言って、思わず苦笑する。
「狡噛の方が、よっぽどお前の上司みたいだった…」
「いいえ…」
 涙を拭った常守が顔を上げて、赤くなった目で宜野座を見た。真っ直ぐな視線。着任当時の少しばかり戸惑いを残した目とはかけ離れた、信念のある目だ。
「宜野座さんは、私に教えてくれましたよ。執行官を同じ人間だと思うなって…」
「……いつからそんな冗談を言えるようになったんだ」
 こんな結末になるなら、初めから手綱を引きちぎられる前に縛り付けるなりなんなりしておけばよかった。
 常守は苦笑する。
「私が忠告を聞かなかったからいけないんですかね」
「どんなに厳重な檻に閉じ込めておこうが、アイツはきっと俺たちの隙をついて逃げ出すさ」
 それだけ、狡噛の執念は強かったのだ。
 そう言ってそれぞれ納得したように笑うと、どちらともなく小さなため息をついて黙り込む。
「あんまり私が居ると療養できなそうですね」
 暫く続いた沈黙を破ったのは、常守だった。
「宜野座さん…」
 荷物を手に立ち上がった常守が、不意に宜野座の名前を呼ぶ。
「どうした?」
 そのまま言葉を発しない常守を促すように問うと、
「いえ…。その…」
 言葉を濁し、しどろもどろで視線を泳がせる常守。なんとなく言いたいことは分かる。
「…人の心配より自分の心配をしろ。少しは休んだらどうだ? 酷いクマだぞ」
「っ! もう、そういうのデリカシーがないって言うんですよ!」
 自分の目の下あたりを指してそう言った宜野座に対して、常守は心配して損をした、というような心境でそう返す。
 彼が自分を心配して言ってくれているのだろうということくらいはわかるが、言い方というものがあるだろう。
「全く、そんなことばっかり言ってるからモテないんですよ宜野座さんは…っ」
「生憎モテたいとは思ってないんでね」
 この人には嫌味というものが通じないのだろうか。常守は大仰なため息をつくと、ショルダーバッグを肩にかけて戸口へと向かった。
「刑事課のオフィスで、待ってますからね」
 そして、半身だけ振り返ってそう言う。
「…わかった」
 答えた宜野座に満足気な笑みを返して、常守は病室を後にした。
「……叶えられればいいんだけどな…」
残された宜野座は、小さくひとりごちる。
約束は、果たされるだろうか。





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