◆PSYCHO-PASS

□心の在処
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心の在処






 狡噛が初めて宜野座を抱いたのは、初めてドミネーターで人を殺した日と同じ日だった。



 視界を遮るような土砂降りの雨が降る深夜のことだった。
 逃げる犯人を追い詰めたのは、新米監視官の狡噛慎也。同行していた執行官は先程油断して犯人に手傷を負わされたため単独で犯人を追う事になったのだが、追い詰めた犯人にドミネーターを向けた狡噛は、聞こえてきたシビュラの声に一瞬戸惑った。
『犯罪係数オーバー300。執行対象です―…』
 瞬時に手にしたドミネーターがエリミネーターに変化する。
 引き金にかけた指が震えた。
 ―このまま引き金を引けば、この人間は確実に死ぬ。
「や、やめろぉ…やめてくれぇッ! 俺は悪くないッ! 死にたくないッ!!」
 犯人は逃げようと壁に爪を立てるが、なんの凹凸もない金属の壁をよじ登ることはできない。顔を涙でグシャグシャに濡らした男は、悲鳴のような叫び声を上げて狡噛に懇願してくる。
 この男は、友人に騙された結果犯罪の片棒を担ぐ羽目になった、云わば犯罪に巻き込まれた被害者でもある。逃げ回る間にサイコパスが悪化し、最終的に執行対象になってしまったのだ。
「死にたくないッ! 死にたくないィイッ!!」
 男はそう叫び、手に持っていた刃物を振り回しながら狡噛に襲い掛かってくる。
「やめろっ! それ以上やると俺はお前を…ッ!」
「うわぁあああああああああっ!!」
 説得しようにも、男に狡噛の声は届かない。ナイフを避け続けるのも限界だった。
 やむを得ず、狡噛は男にエリミネーターの標準を合わせ、引き金を引く。
「ギャッ…!!」
 エリミネーターから発せられた集中電磁波を浴びた男の体は内側から沸騰し、破裂した。至近距離で撃った為に、狡噛の体にまで男の体液や肉片が飛び散ってくる。
「はっ…はっ…ッ」
 狡噛は思わず、その場に膝をついてしまった。今更ながらに手が震え、ドミネーターを持っていることさえできない。
 まるで自分が、犯罪者にでもなったかのような心境だった。


「誰かがやんなきゃなんねー仕事なんだよなぁ…」
 事後処理を終え、刑事課のオフィスに帰ってきたところでシャワーを浴びて着替えた狡噛の前に征陸が珈琲を置きながらそう声を掛けてくる。
「……」
 濡れた髪にタオルをかけたまま、狡噛は視線だけで目の前に置かれた珈琲を見た。
 使い捨てのカップから、湯気が立ち上っている。
「…とっつぁんがいてくれたら良かったのにな」
 狡噛は低い声でそう呟いた。我ながら、情けない。
 研修でも、エリミネーターで潜在犯を執行した時色相に影響が出ないようにする訓練を受けた筈だ。相手がどうなるかなどわかっていた。
 それでも自分が実際撃ったのと、あらかじめ用意されていたものでは比べ用にもならない。
「俺が居たっておんなじさ」
 狡噛の呟きに征陸が答える。
「この国が、ひとつの国でいるためにゃぁ、法律を守らなきゃならねえんだ。それが俺たちの仕事だろうよ」
 法が殺せと判断したのだ。
「あの男も、この国に必要なくなっちまったのさ」
「……」
 暗に自分もそうだと言っているのか、征陸は何処か寂しげな口調で言う。
「…。でもアイツは、もしかしたら更生施設に入って…」
「社会復帰できる可能性があったかもしれないって?」
 未練がましく言う狡噛に、征陸は苦笑した。
「あいつを撃った事、後悔してんのか?」
「……」
「まぁ、後になって悔やむから後悔っていうんだもんなぁ。昔はそうやって悩んで成長しろっていうのが常套句だったんだがなぁ…」
 シビュラが存在する今、人間の成長というものは不必要なのかもしれない。征陸は何とも言えない溜息をつく。
「お前はよくやったよ、コウ。俺たちゃ言われたようにやんなきゃなんねぇんだ。法を守る大事な仕事をな」
「……あぁ、ありがとな、とっつぁん…」
 狡噛はそう言って顔を上げると、泣き笑いのような表情で珈琲を啜った。

 自分の大切なものは、何処にあるのだろう。






 報告書の提出は後日でいいと言われたので、狡噛は帰宅することになった。
 外に出ると、強かな雨が降っている。煌びやかな街中のホログラム装飾は成を潜め、普段は隠匿されているビルのシミやひび割れなどが、まるで自分の心の中を移しているような気がして寒気がする。
 傘を忘れたがそんなことはどうでもよかった。
 引き金を引いた感触がまだ手に残っている。粉々に吹き飛ぶ直前の男の顔が頭の隅にチラついて、どうしようもない虚しさに駆られた。
 色相が濁る。
 それでも、自分が気にするところはそこなのか。
 引きずり込まれてはならない。
 気がつくと、狡噛は宜野座の部屋の前に立っていた。
 どれくらいの間、ドアの前につっ立っていたのか。足元には水溜りができている。腕に巻かれたデバイスで時刻を確認すると、デジタルの表示は23時を少し回ったところだった。
 部屋の電気がついているところを見ると、まだ眠ってはいない筈だ。
 狡噛は冷え切った指先でインターフォンを押す。
『…狡噛?』
 カメラを確認したらしい宜野座が、訝しげな声でそう言った。
『今開ける』
 数秒もしないうちに開錠する音が聞こえて、ドアが開く。タオルを手にした宜野座が狡噛の顔を覗き込んだ。
「コウ、どうしたんだ」
 濡れそぼった狡噛に、宜野座は怪訝な表情でそう訊いてくる。
「……」
 狡噛は無言で顔を上げると、寝巻きを着た宜野座の体を抱き寄せた。
「うわっ! な、なんだっ!?」
 突然抱き寄せられた事に驚いた宜野座は声を上げる。
「離せっ! 冷たいッ! 濡れる!」
 宜野座はがっちりと腰に腕を回した狡噛から抜け出そうと必死で肩を押すが、信じられない力で抱きしめられている所為でなかなか思うように体が動かないようだ。
 冷え切って感覚が無くなっていた手に、宜野座の温もりを感じられるようになった頃、狡噛は漸く腕を解いた。
「絞め殺す気かっ!」
 頬を赤く染めた宜野座が、小さな声で喚く。深夜でなければ大声を出していただろう。
「悪い」
 狡噛は今にも泣き出しそうな顔で笑った。
 その表情を見て、宜野座は眉を潜める。
「…兎に角上がれ。着替えろ」
 狡噛に抱きしめられた所為で宜野座の服も濡れてしまったようだ。上着を脱ぎながら部屋の中へ入っていく宜野座に釣られて、狡噛も靴を脱いだが―…。
「ちょっとそこで待ってろ! 部屋が濡れる!」
 言われて、自分の前髪から雫が滴っていることに気づいた。
「…というか、風呂に入れ。か、体が冷たすぎる…」
 振り返った宜野座が、何故か赤面しながらそう言ってくる。狡噛はそんな宜野座に苦笑した。





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