◆PSYCHO-PASS

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この世界の神は、人間の本質を数値化する。

生まれながらに平等だと謳った時代はもう既に朽ち果てた。

平穏で平等な世界を構築するために、苦心した人間が作り出したシステム。

人の手によって作り上げられたこのシステムが、神の意思そのものだ。

不必要な命を排斥し、理想郷を作り上げるための必要不可欠なもの。

シビュラシステム。

正義の名の元に、システムによって下された決断を実行する神の代弁者。

だからこそ、自分はその意思に決して背いてはいけないのだ。

けれども人の本質は変化する。

不変なものなど、シビュラ以外には存在しない。

足元は常に泥濘で、いつそこに足を取られても不思議ではないのだ。

目に見えないその足元を、強固な地盤で固めるのは他ならなぬ自分の意識でしかない。

どんな現実に直面しようとも、揺るがない強い意志が必要だ。

例えそれが、他人の犠牲の上に成り立つものであっても―…。









鉄壁の守りとは、自分への戒めに他ならない。

宜野座は誰もいない刑事課オフィスの自席で小さなため息をついた。
背凭れに体重を預けて、天井を仰ぐ。
本日は当直だったが、これといって事件の起きる気配もなく時が過ぎていた。
現在執行官は時間を持て余し、各々好きな事をしている。
宜野座は一人オフィスに残って溜まっていた報告書を書いていたが、どれもこれも上への言い訳をしているような内容にいい加減嫌気がさしてきた。
長時間ホログラムを直視していたせいで目が疲れているのだろう。
徐に眼鏡を外し、目頭を抑える。
少し休憩しよう。
そう思いながら席を立つ。

濃い目に淹れた珈琲を手に、オフィス横にある休憩スペースへ移動すると、ローテーブルには誰かが置き忘れていったと思われる携帯色相計測装置が置かれていた。

「……」

こんなもの、ここになくても色相計測など直ぐにできる。
いったい誰が忘れていったものなのか。
多方縢辺りが面白がって使って、直ぐに飽きたに違いない。
そんなことを思いながら、装置に手を伸ばす。

拾い上げようとして、手が止まった。

自分では毎日のように色相チェックを行っている。
朝起きれば直ぐにでも計測できるように、どこの家にでも備わっている機能だ。
色相が濁れば、セラピーを受けてそれを元に戻せばいいだけのこと。
幾度となく経験したこどだ。
けれども、自分は刑事課配属から年々色相の変化が激しくなっている。
足元が、覚束無くなる感覚。
誰かに支えてもらわなければ立っていることもできないのではないか、と疑わしくなることさえあった。

人に触れれば、少なからずその人の思考を考えなければならなくなる。
人と交わるのならば、人の考えをある程度受け入れられるようにしておかなければならない。

それは、自分の色相を変化させることにも繋がるのではないだろうか。
それだけが恐ろしかった。
深く入り込めば、足元を掬われる。

宜野座が必要以上に他人を自分のテリトリーに入れようとしない理由が、そこにはあった。
親が潜在犯だというレッテルは、それだけ宜野座にプレッシャーを与える。
自分もいつか、“人格破綻者”の烙印を押されるのではないか。

鉄壁の守りは、自分への戒めだった。


人知れず詰めていた息を吐き出す。

宜野座はテーブルの上に置かれた簡易色相測定装置を拾い上げた。

ぼんやりと浮かび上がった画面が、そろそろ充電も限界だと告げている。
自己診断を開始するメッセージが表示され、色相カラーが反映された。

画面を注視していた宜野座は、映し出された色に苦笑する。
そろそろセラピーを受けに行くべきだろうかと考えたところだった。

「…綺麗な色だな」

突然背後から声をかけられて、無様なほど肩が跳ねる。
慌てて振り返ると、そこには珈琲を手にした執行官、狡噛の姿があった。
目を見開いて、何も言えずにいる宜野座を尻目に、狡噛は気怠そうな動きで宜野座の隣に腰掛ける。

「覗き見するとは、躾が足りないようだな…」

ここは刑事課のオフィスであり、同じ課のものならいつ誰が入ってきてもおかしなことではない。
酷く狼狽した自分を窘めるように咳払いをした宜野座がそう言うと、

「…あぁ、悪かった」

狡噛は淡々とした口調で答える。

「暗い色が悪いっていうのはただのイメージに過ぎないな」

珈琲を一口飲んでから、狡噛がそう呟いた。

「……」

あまり見られたいものではなかった。
特に、“狡噛には”。
宜野座はただ押し黙って、少しばかりぬるくなったコーヒーに口を付ける。

「…俺は、嫌いじゃない」

誰に言うわけでもなく、そう言う。
フォローするつもりで口にしているのか。
執行官に落ちた人間に、そんなことを言ってもらいたくはない。
狡噛の好き嫌いなど、問題ではないのだ。

「貴様がどう思おうと勝手だ」

苛立たし気に、吐き捨てる。

「ギノ」

狡噛の視線が、宜野座に向いた。
この男の目は、澄んだ水のようだ。濁りなど一切見えない。
見えないのに、底が見渡せない程深い。
溺れてしまいそうなくらい、深くて、引きずり込まれそうだ。
見透かされたくない本心まで暴かれそうで、宜野座はその目を真正面から見ることができなかった。

「……」

呼びかけに応じる素振りを見せない宜野座に、狡噛は小さなため息をついてカップをテーブルの上に置いた。

「お前は、何が怖い?」

膝の上に肘を乗せ、組んだ指先を見つめながら狡噛が問う。

「怖い…?」

宜野座は思わずその問を反芻した。
狡噛は頭のキレる男だ。
その反面、誰しもがそうだと思っているようで、少しばかり言葉が難解なことがあった。
そんな時はいつでも、自分が一歩後ろに置いていかれているようで少しだけ劣等感を感じることさえある。

「人が、怖いのか…それとも…」

そこで言葉を切って、狡噛はもう一度宜野座を見た。

「……」

答えられない。
ここで何もかも吐露したところで、どうにもならない。
むしろ、言いたくはなかった。

「…俺は、好きだよ。その色」

不意に目頭が熱くなり、宜野座は慌てて手にしていた珈琲を飲み干すと、

「…お前の戯言に付き合ってるのは時間の無駄だ」

そう言い捨てて休憩スペースから逃げるように次席へと向かった。

空中入力デバイスに触れると、スリープ状態だったホログラムが起動する。
浮かび上がった製作途中の報告書に向かって震えたようなため息を吐いた。
心臓が煩い。
報告書の続きを書こうとデバイスに手を伸ばしているものの、カーソルは一点で点滅したままだ。

「あれ? ギノさん、それフリーズ中っすか?」

そうしてどれくらい時間が経ったのだろうか。
いつの間にか戻ってきた縢が、微動だにしない宜野座とホログラムを見比べながら言う。

「うるさい! 仕事がないならおとなしくしていろ! 誰の尻拭いをしていると思っているんだ!」
「…うわ、超機嫌悪い…」

はっとしたように我に返った宜野座は思わず縢を怒鳴りつけた。
不運にも八つ当たりの対象にされた縢は肩を竦めて自席につくと、引き出しにしまってあった携帯ゲームを取り出してあそび始める。
夜食を調達しに行った六谷塚も帰ってきたようで、刑事課オフィスは人の気配が戻ってきた。

『――にて、規定値超過のサイコ=パス色相を計測――…』

それを見計らったかのように、緊急通報のアナウンスが響き渡る。

「やれやれ、やっと事件が起こったか!」
「不謹慎なことを言うな!」

待ってましたと言わんばかりに声を上げる縢の頭を小突きながら、宜野座は執行官三名を連れて現場へと向かう。

「ギノ」

呼ばれて、一瞬振り返るべきか躊躇った。

「なんだ?」

背中を向けたまま、答える。

「…いや、なんでもない」

狡噛が、小さく笑ったのが気配でわかった。





2013.02.26

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