マスカレードB

□if 〜イタズラなKiss〜
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 仕事の合間にようやく遅い昼食を取っていた時のこと。
 マクスウェルは注がれ続ける視線にひたすら堪えていた。



 いつものようにデスクに積まれた書類の山を無心でさばく昼下がり。
 ふと聞こえた軽いノックの音に顔も上げずにぞんざいな返事で入室を促すと、ドアから覗いたのは、最近ようやく見慣れた白銀。
 少し休憩して、何か召し上がりませんか、との言葉に時計に目をやると、とうに昼過ぎだ。
 伸びをして固まった身体をほぐしていると、こちらに歩み寄って来た白は、勝手に書類を簡単に片付けてスペースをつくると、トレーから二人分のリゾットの皿をデスクに置く。どうやら作ってきたようだ。
 たまにはご一緒に、と笑って促す白に、しぶしぶ食事を始め――そして、今にいたる。

 「……」

 「……」

 にこにこと笑いながら、先程からずっとこちらを見ている白い男。
 名を…天海と言ったか。最近どこか――アンデルセンの孤児院の関係者としか聞かされていない――から、アンデルセンが連れて来た得体の知れない男だ。
 アンデルセンの眼鏡にかなう、ましてや孤児院の関係者とはいえ、外部の人間が13課に所属するということは異例中の異例である。
 それだけでも、少なからず只者(ただもの)ではないということなのだろうが、とにかく、得体の知れない男なのである。
 そんな男は先に食べ終えたらしく、デスクの向かいで静かにマクスウェルの一挙一動を眺めている。

 「…何なんだ、さっきから。そんなに見られてたら食べにくいだろう」

 「あぁ、失礼。食事をなさる様も美しく、つい見惚れてしまいましたよ」

 「っ…馬鹿か」

 咄嗟に悪態を吐くマクスウェルにふわりと笑みで返す天海。
 そういえば、普段は食事を終えるとすぐにつけている、口元どころか顔半分を覆う黒いマスクが、今は外されたままだ。
 こうして見ると、案外綺麗な顔をしている。
 マスクなどない方がいい、などと余計な考えまでが頭を過ぎり、舌打ちをする。まったく、調子が狂う。

 「……」

 「……」

 …リゾットの味は悪くない。しかし、

 「……っ」

 そのまましばらくの間、平常心を保つため、食事に集中しようと努めるも、ついに視線に耐えられなくなったマクスウェルが少し乱暴にスプーンを置くと、天海が再び口を開いた。

 「おや、もう召し上がらないのですか?」

 まだ残っていますよ、と小首を傾げてみせる天海。
 さらりと白銀の髪が肩から零れ、光を反射する。
 由美子と同じ日本人だそうだが、髪同様に白い肌と整った顔立ちが相俟(あいま)って、まるで人外を思わせる。そして、細身だが程よく鍛えられた日本人離れした長身の身体。
 背格好はほぼ同じなのに、やはりデスクワークばかりの者と現場に出る者との違いなのだろうか。体格の違いに少しの劣等感を感じつつも、神秘的な雰囲気を纏ったその姿に思わず見入ってしまいそうになり、あわてて目を反らす。

 「マクスウェル殿?」

 「も、もういい!食欲が失せた」

 「あぁ、それは残念です」

 誰のせいだと思っているんだ!、と胸の内で怒鳴り付けつつ、イライラとナプキンで口元を拭っていると、頬杖をついた姿勢のまま、天海がくすりと笑った。

 「まだ、ついてますよ」

 「…どこに」

 「ここです」

 ほんの一瞬。目を離した隙にデスクの向こうから聞こえていたはずのその声が、耳元で微かな吐息とともに甘く囁いたと思った、次の瞬間。
 片方の肩にそっと手が置かれ、拭っていたのとは逆の頬、いや、唇のすぐそばを掠めるように食(は)んだ柔らかな感触。

 「…!?」

 「ふふ、ごちそうさまです」

 「…っな…なに、を…」

 思わず椅子から立ち上がり、頬を押さえながら、なんとか喉の奥から声を押し出すマクスウェル。それを見て、天海は楽しげに笑う。

 「何って、取ってさしあげただけ、ですよ?」

 美味しかったですよ、とても、とすぐ鼻先で弧を描く形良い唇。おまけに手袋越しの細い指先にちょん、と唇をつつかれて。

 「こ、この馬鹿…!」

 じわじわと染まってゆく頬を怒りでごまかすように声を荒げるマクスウェルをよそに、天海はわざとらしく懐中時計を取り出し、あぁ、もうこんな時間だ、などと呟きながら食器を片付ける。

 「始末書は本日中に提出しますので、出来上がり次第うかがいます」

 何事もなかったかのように振り向いたその顔は、いつの間にかいつものマスクに覆われていた。

 「おい、待て。まだ話は…」

 「では、また後ほど。ごきげんよう、エンリコ殿」

 「…っ!!」

 ドアを閉める間際、マスク越しに贈られた投げキッスに思わず絶句。
 怒りの矛先を失い、力無く椅子に崩れるように座り込み、誰にとなく呟く。

 「…いきなり、名前で呼ぶなよ…馬鹿…」

 まったく、何を考えているのかわからない相手だ。
 普段の穏やかな物腰に反し、いざ戦闘となると天海の狂気はアンデルセン並、いや、アンデルセンの“それ”とは異質のものであり、時に“それ”はアンデルセンをはるかに上回る。
 それにともない、破壊される物も少なくない。恐らく、今回の始末書もアンデルセン以上に膨大な量なのだろう。おまけに内容は簡潔に纏まっているものの、表現がかなり抽象的な上、まだ不慣れなだけなのか、はたまたわざとなのか些細なスペルミスも少なくない。

 「…今夜も眠れんな…」

 予告通り、今日中――日付が変わるまで――に提出されるであろう始末書に軽く頭痛を覚える。同時に、唇が触れた場所が熱く感じて、そっと指先で触れてみた。

 エンリコ殿…

 「…っ」

 途端に耳をくすぐる甘い声までが鮮明に蘇り、再び熱を帯びる頬。

 「…っくそ」

 赤く染まった顔を隠すように、マクスウェルはデスクに突っ伏すのだった。

END
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