00部屋参

□〜2011静臨過去ログ2
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「ただいま」
 もう何年も住んでいるアパートの自室のドアを、ガチャリと開ける。
「お帰り」
 床に倒れていた臨也が、ぼんやりとした目で俺を見上げた。
「遅かったね。仕事が長引きでもしたの?」
「買い物してた。食材切れてただろ」
「ああ……うん。何食べたい?」
「肉じゃが」
「分かった。時間かかるよ」
 気だるげな動作で、ゆっくりと臨也が起き上がる。それがどこか危うげに見えて、俺は急いで手を伸ばした。
「臨也」
「大丈夫だって、これくらい。シズちゃんってば、俺をなんだと思ってるの?」
 形の良い唇が、笑みのようなものを作る。かつての彼の、貼り付けたような笑みとは違う。微笑む力すらないことを感じさせる表情だ。
 ふらふらとしながらも、臨也は俺が床に置いたスーパーのレジ袋を開けた。取り出したキャベツを冷蔵庫の中に入れ、使えそうなにんじんは出しておく。慣れてはいるが、何の感情も感じさせない動作だ。
「今日」
 その折れてしまいそうな背中を見ながら、俺は煙の代わりに言葉を吐き出す。
「今日、道で門田に会った」
「ドタチンに?」
「手前を最近見ねえって、心配してたぞ」
「そうだね……新羅には言ったけど、ドタチンには連絡してなかったや」
「アイツには、全部言っといた方が良いんじゃないか?」
「ドタチンは口堅いし、そこは心配してないよ。でもさ……ドタチンは優しいから、絶対俺のこと心配すると思うんだよね」
「心配されるのが嫌か?」
「嫌って言うかさ」
 振り向いた目を細めて、臨也は言った。
「そういうの、重い」
 その後は、何も言わない。ただ黙々と野菜を冷蔵庫に入れ、ずっと身に付けていたナイフの代わりに包丁を手に持つ。
 ここにいるのは、情報屋の折原臨也じゃない。
 くたびれた男が、ただ、一人。
 殺意も何も感じることがなくなってしまった、枯れてしまった、凡人になってしまった臨也の背中に、俺はそっと手を伸ばした。
「……臨也」
「なに、シズちゃん。動きにくいんだけど」
 振り向くその目は、もう紅くない。普通の、何処にでもいる人間の、黒だ。
 もう臨也はあの頃の臨也じゃない。
「飯は後にする」
「……後?」
 怪訝そうに寄った眉にぶつかるように口付け、ちゅっと吸う。呆気にとられたような顔をする相手をよそに、ギュッと抱き寄せた。
「……何、重いんだけど」
 言いながらも回される腕。至近距離にある、紅くない目。瞼にキスすると反射的に目が閉じ、白い皮膚の向こうに眼球が隠れた。
 臨也は臨也でなくなってしまった。――いや、俺がそうした。
 今の臨也はもう、人間を愛せない。人類を、愛せない。
 緩やかに、緩やかに。俺が力のコントロールを覚えたように、臨也は只の人へと変貌していった。瞳の紅は薄れ、あのいやらしい笑みは形を潜め、いつしか臨也は情報屋をやめていた。人を愛せなくなっては、危険な橋を渡ってまでして続ける意味がない。それが理由だった。
「ちょっと、」
 キツく、壊さないギリギリの力で抱き締め、薄い唇に食らいつく。どんなに優しくしようとしても、キスだけは優しく出来ない。それがどうしてか、俺は知っている。
 人間になった臨也は、空っぽだった。
 人間への愛こそが臨也のアイデンティティだった。だから、愛せなくなった臨也には、もう何もなかった。
『俺はもう、人間を愛せないんだ。誰にも興味を抱けない。もう、全て、どうでもよくなっちゃったんだよ』
 人間を愛することに、疲れたのかもしれない。
『でも、シズちゃんのことは、やっぱり大嫌いなままみたい』
 そして、疲れさせたのは――いや、心を、存在意義を壊したのは、たとえ直接的でないにしても、俺だ。
『皮肉なもんだよね。ずっと嫌いだったシズちゃんのことだけは、無関心にもならないなんて』
 責任を感じているわけじゃない。ただ、あまりに哀れだっただけだ。この臨也は最早、俺の仇敵ですらない。
「シズ、っちゃ、」
 うっすらと、黒い目が俺を見る。
「……臨也」
 ここにいるのは、折原臨也じゃない。
 ただの、哀れな青年だ。
 もう――もう、あの毒々しい赤色は、一生俺の目の前に顔を見せないのだ。
 俺がそうした。それなのに、あんなにかつての奴が嫌いだったはずなのに、今のこいつを受け止めたくなくて――固く、固く、俺は目を閉じた。
 これは愛情じゃない。ましてや責任感でもない。
 ただの、憐み、だ。






臨也の目が赤いことについて罪歌との繋がりで考えていたらこうなった。つまり臨也は人間を愛してるから目が紅いって話です。愛せなくなったらアニメみたいに黒くなるんじゃないか的な。とんだ妄想ごめんなさい。
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