00部屋参
□初恋ストローベリータルト
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近頃アデルは、ティムのことばかり口にする。
「この前、ティムさんが」
「そういえば、ティムさんと」
それが何だか、面白くない。
私たち《吸血鬼》は、仲間で、家族で、同類だった。人間の枠に収まらないと自分で分かっていたから、こうして集まっているのだ。
それなのに。
「……あの、シックルさん、気分が悪いんですか?」
それなのに、アデルはこうしてティムの話ばかりする。まるで、ティムの仲間か何かのように。
彼女の仲間は、私たちなのに。
「《妖怪》は、楽しいか?」
「た、楽しいかは、分からないですけど……」
「ティムのことは、嫌いじゃないのか」
「はい」
買ってきたタルトを食べながら。アデルは、ふわりと微笑んだ。
「ティムさんは、とっても良い人なんです」
それはまるで、あどけない少女のように見えた。
私たちに少女時代なんて存在しない。あったのは、人権も何もない実験体としての時代だった。
だけど、今のアデルは、少女そのものだ。こういったものを誰よりも愛好するクリストファーの何倍も、目の前のタルトが似合って見えた。
人間のように、見えた。
「……そうか」
「頭は良い人、だと思うんですけど、時々ちょっと抜けていて……。それに、とってもとっても弱いから、守らなきゃって気になるんです」
「守る、か」
「はい」
普段は恐怖を湛えている瞳が、今は穏やかな眼差しで紅茶を見つめている。
「ティムさんは……私に、居場所をくれたから」
それは、もしかしたら幸せなことなのかもしれない。
失敗作であることを気に病み続け、誰よりもあの頃から抜け出せなかったアデル。彼女が一歩進めたという事実は、素晴らしいことなのかもしれない。
けれど、手放しで称賛するには、あまりにも。
「……アデル」
あまりにも、恐ろしいことだった。
「《吸血鬼》の一員であることを、忘れるなよ」
「……勿論です」
このままだと、いつかアデルがいなくなってしまうような気がする。
クリストファーが、そしてレイルが、私たちのもとを去っていたように。
《吸血鬼》ではない、また別の居場所を見つけたように。
そんなことは耐えられない。独りで取り残されるなんて、そんなこと、
「……大丈夫ですよ、シックル」
俯いた私の前髪を、伸びてきたアデルの小さな手がかき上げる。
「私の一番は、私の家族は、私の本当の居場所は、《吸血鬼》だけです」
「……分かってる」
いや、違う。そうであってほしいと、思っている。
恐ろしい。情というものは、本当に恐ろしいのだ。私には分からない想い。感情。それらはいとも簡単に、私たちの繋がりを奪い去って行く。
たとえば、恋心。
私には分からない。だから、知ったものは、知らない私から離れていく。
「シックル?」
額に触れた手をギュっと握りしめ、願った。
誰も、ティムも、彼女をここから奪い去らないでほしい。
けれど、その願いが非常に利己的で、そして叶うはずのないことだということは、心の底では分かっていた。
だから、願ったのかもしれない。
シックルのアデルに対する想いは家族愛とかじゃ言い表せないような、環境によって半ば強引に作り出されたもの。アデルも同じものをシックルに抱いている。
けれど、初めて自発的に抱いた想いは、それとは全然違う形になっていって、彼女としてはどちらを選んでいるつもりもないんだけど、結果としては片方を選ぶことになっている……みたいな話。
百合でも百合じゃなくても良いです。