00部屋参

□嘘つきジャンキー
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 体を重ねるのはこの男だけと、そう決めている。




 酷く気が落ち込んで何もする気が起きずにいたとき、偶然訪れたバーで出逢ったのが、今隣で目を閉じている男だった。誘ってきたのはあちら、どちらも同じような精神状態にあるのだとすぐに気付いた。泥酔した状態でホテルへ向かい、半分理性を失った状態で、抱いた。男を抱いたのはその時始めてだったが、その時の感想は寧ろ『相手が慣れている』ということだったと記憶している。つまり、それ程違和感も感じなかったのだ。
 それから数ヶ月して、また同じバーで逢った。あの時のことが忘れられず、遠まわしに誘って、同じホテルで抱いた。その時にはもう、何かしらの予感はしていたのかもしれない。正気の状態で重ねた唇は柔らかで、その瞬間、溺れてしまった。
 それ以来、この男とは何度か体を重ねている。互いの連絡先は知らない。ただ、俺の都合がついてあちらの気が向いたとき、バーで相手を待つのだ。無論、相手が来ないこともある。そんな時の俺はしょうがないと思い、適当に酒を飲んで時間を潰してから、また戻る。
 俺がこの男を抱く理由は、簡単に言えば性欲処理というやつである。まだCBの存在は公になってはいないが、俺が地上を好きに行動できるときは限られている。そしてそれが不定期である以上、恋人や愛人などを作ることは不可能なのだ。それに、下手に相手に感情移入してしまうのもいけない。勿論所謂そういう店に入ると言う手もあるのだが、商売女と言うのは、どうも苦手だ。金もかかる。その点この男の場合、同性である以上は面倒な問題もないし、金銭面も、交互に払っている部屋代とバーでの酒代だけで済む。両者の合意の上の行為である以上、とても合理的なのだ。




「なぁ、」



 先程までの余韻に浸っている耳元で囁き、金色の髪に指を通す。柔らかい髪は指の間を通り抜け、その感覚はとても心地良い。相手は答えない。物音に敏感だということには気付いている、おそらく寝たふりだろう。その行動は都合が良いので、しばらく狸寝入りに付き合ってやることにする。
 職業はおろか、相手の名前すら俺は知らない。それはあちらも同じことだ。前に一回、せめて国籍と年齢だけどもと訊いてみたことがあるが、その時はうまくはぐらかされてしまった。勿論、こちらも明かしたことはないので、そのことに関してはどっちもどっちだが。
 手を伸ばした際に腕に触れる肩には、程良く筋肉が付いている。堅気の人間ではないだろうということぐらいは察しがつく。ここがアメリカであるということを考えれば、ユニオン軍の人間か何かか。それとも、もっと表に出ないタイプの職業かもしれない。マフィアだって未だイタリアの政治に深く関わっているのだ、殺し屋などでもおかしくはない。



「起きろよ」



 どうして自分に抱かれるのかと尋ねてみたことがある。酷く精神が疲れているときは、抱くよりも抱かれる方が楽なのだよ。そう相手は答え、俺の鼻にキスを贈った。勿論誰でも良いわけじゃない、と続けはしたが、それが本音なのかどうかは、知らない。ただ、本音であってほしいとは思う。
 もうすぐ朝だ。朝の柔らかな光は俺たちの関係にはそぐわない。朝の光が顔を出すまでにこの男を起こし、身支度を整えるべきだ。いや、いっそのこと、このまま置き去りにして先にチェックアウトするべきなのかもしれない。
 だけど俺は、それを実行したことはなかった。あちらもだ。必ず相手が起きるまで待ち、それから揃って着替え、時間をずらして部屋を出る。相手の睡眠がたとえ嘘だと分かっていても、だ。着替え終われば荷物を持ち、部屋を出る前に一度だけ口付けを交わし、それから別れる。さよならも、また会おうも言わない。だって、次が来るのかなんて、どちらも知らないのだから。



「朝だぜ、お姫様」



 そっと腕を回してやれば、名残惜しそうに、金色の帳は深い色の瞳を覗かせた。俺は素早く腕を離し、彼が起き上がれるようにと解放してやる。
 形の良い踵が、安物の床にスローモーションのように触れた。目は合わない、合わせない。その仕草がとてももどかしいもののように思え、気が付くと言葉が唇を滑り出ていた。一瞬の後、自分で慄く。



「名前さ、教えろよ」



 こちらに向けられていた白い背が、びくりと震えた。痛い沈黙。弁解する言葉を俺が見つけられない間に、壁に当てるように言葉が告げられる。



「駄目だ」
「……分かってる、悪かった」
「それはルール違反だ。もし破ってしまえば、」



 その後の言葉は続かなかった。ただ、男は一度もこちらを向かないままに下着を身につけ、シャツを纏い、スラックスとジャケットを着た後、ドアを開けた。互いに何も言わないまま、スーツの背は遠ざかって行く。ドアは閉まって、後ろ姿さえ見えなくなる。今日はキスはなし、当たり前だった。
 着替え終わった姿でベッドの上に腰掛ける。一応最低限のモラルは守っている、事後処理の必要はほとんどなく、することと言えばシーツの皺を直すことぐらい。だけど男は、シャワーも浴びずに部屋を出て行った。俺に抱かれた体のままで。それは、彼のルールに反するのではないか。
 全部俺のせいだ。



「……はは、」



 まだ濡れた髪をかき上げると、知らないうちに声が漏れた。乾いた笑い声。なんて俺は馬鹿なんだろう、この声は自分に対する嘲笑だ。
 俺たちはただ、体を重ねるだけの関係。そう互いに思うことでこの距離を保ってきたし、また逢うことを考えることができた。互いが求めているのは形だけ。だからこそ、相手のことを知らずにいることを選択してきたのだ。
 だけどもう限界だった。本当はずっと気付いていた。求めているもの、求められているもの、それら全てを。だけど気付かないふりをして、相手を欺くふりをして、それで今までやってきたんだ。
 だって怖いじゃないか。相手の気持ちに気付くことも、自分の気持ちに気付くことも。そうしてしまえば、もう元通りの関係には戻れなくなる。心を求めてしまえば、離すことなどできなくなってしまう。分かっていた。分かっていた、のに、
 


 俺たちは狡賢くて、それでいて愚かだったんだ。もっと最初から馬鹿になれてさえいれば、あるいは知らないふりを出来るほどの脳があれば。だけど生憎どちらも持ち合わせていなかった。俺たちはただ、嘘をつき続けていただけなんだ。
 きっともう逢うことはできない。それが、日常として他人を欺いてきた哀れな中毒者たちに対する制裁だ。





 
   
     
       
         
           
             
                 

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