00部屋参

□振り返らない
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 少年は歩いていた。なぜ自分がこんなところに居るのか、何の為に歩いているのは彼自身も知らない。ただ、進まなくてはならない。そう知っている少年は、細い両足をひたすら交互に動かしながら、まっすぐに続くミルク色の道の上を歩き続けていた。
 少年の肌の色は白い。だけど少年は、自分の手がたくさんの人間の命を奪ったということを知っている。けれども、少年は迷わない。澄んだグリーンアイを上げて、何もない道の向こうを見る。
 俺は進まなきゃならない。
 少年は心の中でそう呟くと、その理由も何も分からないまま、癖のある髪を揺らした。




 どれだけ歩いただろう。
 少年は、自分の進むべき道の途中に、一人の少年が立っているのに気付いた。
 その少年は、彼よりも少し幼い。少女のような顔で、不安げに空を見ている。上げられた前髪の下には、金色の目と灰色の目が覗いていた。
 幼い少年は、歩いてくる人物に気がつくことなく歌い始める。



「                                                   」



 それは賛美歌だった。
 繰り返し聞こえる神の名。少年は苦しそうな顔をして、まるで何かを堪えるように歌い続ける。何度も何度も、繰り返し同じ旋律を。幾度も神の名を呼び続ける。ただ一心に、それだけが自分のすべてであるかのように。
 そのうち、その声は二重に重なっているかのように聞こえだした。唇から紡がれる二つの音。震えの止まらない声は、ぴったり重なって響いている。だけど少年には、確かにそれが別々の声に聞こえた。
 やがて立ち止まった茶色い髪の少年は、目の前で歌い続ける彼に声をかけた。



「なぁ」



 すると、彼は歌うのをやめ、怯えた目でこちらを見る。金色の目はまっすぐに。灰色の目は彷徨いながら。そして、少年の鮮やかな目を見るや、一言。



「僕を、許して」



 歌っている時よりも更に力のない、壊れそうな声だった。



「お願いだから、許してよ」



 オッドアイの少年が身につけている白い服には、大量の血が飛び散っていた。赤黒く染まった洋服の端を握り締めるその手が震えている。最早白いのか赤いのか分からない程だった。
 だが、それより何より、彼の両目を見た少年は、彼を放っておいてはならないと感じた。
 彼をこのままにしていてはいけない、もし何も言わなければ彼はずっと歌い続けるだろう。先程の神の名を何度も何度も繰り返し、永遠に此処に立っているのだろう。それは駄目だ。この少年は進まなければならない。
 そう思った少年は、目の前の彼の手を取って、ゆっくりと囁いた。



「俺は許す。だから、お前は進まなきゃ駄目だ」



 すると、彼の両目はゆっくり瞬きした。金色の目から涙が溢れ出す。ついで、灰色の目からも。
 あぁそうだ、この少年は誰かの前で泣いたことなんてなかったんだ。そして、きっとこれからも、ずっと泣かずにいるんだ。彼は泣けない。泣くことができない。
 くせ毛の少年がその手をぎゅっと握ると、おずおずながらも、オッドアイの少年もその手を握り返した。そして、涙をぼろぼろこぼしながら歌い出す。



「                                                   」



 先程のものと全く同じ歌、だけど今度は神の名が繰り返されることはなかった。二つだった声は一つに重なっていて、もう二つには聞こえない。服の赤い染みが消えることはないが、少年はしっかりとした声を響かせる。
 その頭をゆっくりと撫でてやり、少年は彼と繋いでいた手を離した。すると、少年はゆっくりながらも歩き始め、すれ違いざまにある一節を口にした。



「    」



 それは、彼がずっと繰り返していた名前だった。




 歌が聞こえなくなってからも、くせっ毛の少年はずっと歩き続けていた。道は曲がりも向きを変えもせず、ただまっすぐに続いている。
 そして彼が次に出逢ったのは、少女とも少年とも形容しがたい人物だった。
 その人物は、少年よりも少しばかり年上に見えた。焦点の定まらない目でぼんやりと宙を見て、放心状態で膝立ちになっている。その人物が眼鏡をかけていないことを、少年は少し不思議に思った。
 少年はその場に立ち止まる。すると、何もないところを見ていた赤い目が、酷くゆっくりと少年の顔を見た。赤と緑が交差して、それが互いに届いた瞬間、片方の色が突然揺れる。



「私は、」



 そう呟くと同時、赤い目からは涙が一粒頬を伝った。緑色の目をした少年はそれに驚くことなく、ただ、その光景を目に映す。



「私は、私は……!」



 感情を乗せる為だけの言葉が、何個も何個も滑り落ちた。次々と生み出されるそれらはすぐに白い道に溶けていくが、決してその跡を残さない。まっすぐな紫の髪が揺れた。
 少年は、自然に歩きだしていた。
 目の前で俯くその体に近付くと、自分よりも背の高い相手を、優しく抱き締める。



「     」



 知らぬ間に名前が唇を滑り出ていた。美しい人物は一瞬体を震わせると、離さないようにと少年の体に腕を回す。そして、縋りつくかのように小さな体を抱き締めた。嗚咽が喉から溢れ出し、空気を残さず震わせる。その振動は消えることなく、遥か遠くまで響き続けた。
 少年の緑の瞳が赤い目を覗き込むと、赤い目は涙を流すのをやめ、迷うことなく光を返す。もう大丈夫だ。そう判断した少年の目には、いつの間にか赤い目を守る眼鏡が映し出されていた。
 これでもう大丈夫。元の場所へと戻れるはずだ。
 そう少年が思うと同時、自分を抱き締めていた細い腕が、だんだんとぼやけ始めた。少年も本人も全くそれに慌てることなく、視線を合わせて頷き合う。



「さよなら」



 形の綺麗な唇は、最後にそう告げると同時、消えた。




 少年は歩き続けていた。
 すると、目の前に男の子が立っているのを見つけた。今度は今までとは違い、相手もすぐにこちらに気づいて視線が合わさる。
 白い肌をした少年よりも、目の前の彼は幼い。その手には、矮矩に似合わぬ大きな銃を抱えていた。それなのに、その目は澄み渡る湖面のように、曇りも波風も一つもない。
 しばらく無言で見つめあった後、少年は自分の両手を彼に向けた。そして、その胸に抱えてある黒い塊を見ながら言う。



「俺が受け取る」



 男の子は無言で頷くと、大きな銃を少年に手渡した。そして、空気をほとんど震わせない小さな声で、少年だけに聞こえるように呟く。



「ありがとう、     」



 彼が呼んだのは、少年の耳の中で木霊していた名前。それは温かく少年の体を満たしていき、少年は少し笑う。



「ありがとう、  」



 抱えていた真っ黒い銃は、いつの間にか何処かに消えていた。その代わりか、目の前にいたはずの男の子が、青年と呼ぶに相応しい年齢に達している。
 二人はもう一度だけ視線を交わして、それからゆっくりとすれ違った。
 少年は振り向かない。だけどその緑色の目には、まっすぐ歩いて行く後姿がしっかりと映っていた。




 少年は歩き続ける。もう誰ともすれ違うことはないと分かっていて、それでも、自分の為だけに歩き続ける。
 これは彼の為だけにある贖罪の旅。それを終わらせることができたとき、彼は歩くのを止めることができる。そして、そこには父と、母と、妹が立っていて、自分のことを迎えてくれるのだ。
 そう信じて、少年は歩き続ける。
 後ろは向かない。すれ違った三人のことは心配だけど、もう自分はこれ以上は関わることはしない。



 少年は、歩き続ける。自分が求めていたものがその先にあると、信じて。





 

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