00部屋参

□おんなのこ
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「ただいまー」
 インターホンが鳴ったので家のドアを開けると、そこには臨美の姿があった。今日の仕事が長かったからか、疲れたようにぐるぐると首を回している。
「おかえりなさい」
 俺がそう言葉を返すと、臨美は履いていた黒いパンプスを脱ぎ捨てて、ジャケットを着たままソファに倒れ込んだ。
「あー、疲れた」
 ソファに置かれたクッションにしばらく顔を埋めてから、臨美は眉を顰めて顔を上げる。だが、その言葉端には上機嫌さが見て取れた。臨美がジャケットを脱いで渡してくるので受け取ってハンガーに掛けていると、くすくす、と臨美は笑い出した。
「今日の仕事だけどさー、大体は私の予想通りだったよ」
「そう」
「最初はお役所仕事的に取り付く島もなかったのに、私がちらっと甘い顔を見せただけで、すぐにでれでれなっちゃってさ。欲しかった情報は全て簡単に手に入ったよ」
 臨美が情報を仕入れる手段の一つに、俗に言うハニートラップというものがある。だが、枕営業とは違って、彼女は決して相手に体を許したりはしない。餌をチラつかせるだけチラつかせておいて、情報が手に入ったら無情にもさっさと切り捨ててしまうのだ。時には逆上した相手が強引な手段に出ようとすることもあるが、そういうことをしそうな人間を相手にする場合には護衛役を付けてきているので、その護衛役がすぐに割り込むことになっている。そして臨美に手を出そうとしたことは、また相手の臨美に対する弱みに変わるのだ。
 まったく、どこまで考えて計算しているのやら。
 それだけのことをやってのけながらも、事務所での臨美はどこまでも無邪気だ。スカートがめくれることなど気にもせずにソファに倒れ込むし、疑いもせずに俺の手料理を食べる。それは俺が他に行くところがないことを分かっていると承知しているからなのか、それとも、俺ごときが手を噛んだところで臨美には痛くも痒くもないのか。それは俺のあずかり知らぬところだ。
「波斗―、今日の夕食は?」
「シチュー」
「クリーム? ビーフ?」
「ビーフ」
「波斗の料理は美味しいから、楽しみだなあ」
 言いながら上半身を持ち上げて、ソファの上に頬杖を突く臨美。口紅を引いた唇が蠱惑的に光る。
 気付いたときには、その体をソファの上に引き倒していた。
「!?」
 臨美が大きく目を見開いて、俺を見上げる。それを見下ろして、俺は臨美を押し倒した。
 さすがの臨美も、怯えるだろうか。
 そう思って相手の表情を窺えば、驚いていたのも最初のうちだけで、あとはいつもの余裕に満ちた苛立たしい笑みを浮かべている。
「どうしたのかな、波斗」
 まるで、立場が逆のような台詞。それを言いたいのはこちらの方だ。
「……怖くないのか?」
「何が?」
「今から俺にされることが」
「何をするって言うのさ。何をするつもりもないでしょ? 私の連絡一本で自分の身柄がどうなるか、分からないほど波斗は馬鹿じゃないよね」
 全てを見通しているとでも言いたげな、チェシャ猫の顔。
 掴んだ臨美の小さな手に、俺はそっと指を絡めた。
 確かに俺は冷静な方だとは思う。しかし、全てにおいて理性が感情を上回るわけではない。弟の誠二のことになれば、俺は犯罪だって何だって犯すだろう。計算することもなく。
「臨美が思っているほど、人間は計算尽くめで生きていないよ」
 俺の言葉に、臨美は唇を三日月形に歪めた。
「弟にしか興味のない波斗が欲情して私に手を出すのなら、私は大歓迎だね。私の知らない波斗の新しい面が見られるなんて、最高じゃない」
 臨美の手が俺の指を振りほどいて、ゆっくりと俺の首に回される。両腕を俺の首に絡めて、臨美はパリの下町の娼婦のように魅惑的に笑った。
「ほら、波斗、私を抱いてみなよ」
 そう言われて、今までの昂ぶっていた気持ちが、さあっと引いていくのが分かった。まるで、冷水を頭から掛けられたかのように。
 緩く絡んでいた臨美の手を解いて、俺はソファから降りる。そして、俺の行動に対してつまらなそうな顔をしている臨美に言った。
「臨美、貴女は可哀相だ」
 そう、とてもとても、可哀相だ。
 俺が臨美を抱くのをやめた理由は、そこにある。
 臨美はきっと、愛する人類のことを知るためなら、なんだってするだろう。犯罪だって起こす、人だって殺す。そして、自分の身を犠牲にすることだって、きっと彼女は厭わない。
 折原臨美の精神にとって、自らの体を犠牲にすることは、何の問題でもないのだ。
「私が可哀相?」
 何言ってるの、と臨美が首を傾げる。
「悪いけど、波斗が言っていることの意味がちっとも分かんない」
 本当に分からないだろうか。それとも分からないふりをしているのだろうか。それは俺には分からない。
 もし臨美が生まれきっての異常者なら本当に分からないだろうし、自分で異常者になったのなら、分からないと自分をだましているだけなのだろう。
 それは俺には分からない。
 分かるのは、あの闇医者くらいだ。
「シチューに火が通ったら、食べられるよ」
 キッチンに戻りながら、俺はちらりと臨美を見る。
 そこにいたのは、とても可哀相な、ひとりの女の子だった。







唐突に「自分に対して無邪気に接してくる臨也♀を波江♂が押し倒す」というネタが浮かんできたので書いてみた。
久々のデュラの更新が超色物ってアレですね……私らしいですね……。

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