その七
□君は想い人。
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俺のベッドに成田が座っている。
とか何とか表現すると結構アレっぽいんだけど、実際はそういうわけではなく、散らかって足の踏み場のない床の上から避難した成田が、俺のベッドの上に腰掛けて今週号のジャンプを読んでいるという状況だ。
いや、まあ、俺の家にコイツがいるという状況が、まず珍しいわけだけどな。
「成田〜」
「ん?」
「ここ分かんねぇ。てか全体的に意味が」
「……あのな、英語っていうのは、基礎を知ってればある程度解けるものなんだよ。あとは辞書を使え、辞書を」
「文法が無理」
「じゃあ死ね」
特に悪意が含まれているのではないと最近知った暴言を、とりあえずスルー。じっと見つめていれば、ため息をついて身を乗り出してきた。
「どれ?」
「これ」
俺の正面で、ぐっと身を乗り出してくる成田。暑いからTシャツ一枚なんだが、がばりと胸元が開いて鎖骨が覗いている。コイツは男にしては物凄い撫で肩だ。
机の上に置いてあったシャーペンを、少し小さい手が拾い上げた。
「これは……ああ、まず主語は?」
「Everyone」
「そう。で、述語は?」
「……continue」
「違う。Everyoneは単数だ」
「……え、そうなのか?」
「そうだ」
中学校でも高1でも習っただろ、と呆れ気味に呟かれる。今更だから慣れたけどな。
それよりも、上下する長い睫毛が気になってしようがなかった。
「えーっと、じゃあ次は……」
なんでコイツ、こんなに睫毛が長いんだよ。しかもカールしてるし。女子も真っ青だ。
「戸田、聴いてるか?」
「え、ああ、もちろん」
「聴いてないんだったら教えないからな」
言いながら、もう片方の手でコップに手を伸ばす。サイダーを嚥下する白い喉。演劇部であるコイツは、滅多に日に焼けない。
ああ、
綺麗だ。
ゴクリと喉が鳴った。
「……真面目に聴けこの陸上馬鹿」
今は昼間の二時。土曜日で明日は休み。俺も成田も部活があって、二人とも午前だけだったから、そのまま俺の家へと直行した。勉強が分からないから教えてくれ、と頼み込んで。
いや、事実分からない。どちらかと言えば俺は理系だから、文系はさっぱりだ。
でも、実のところは裏の理由があるわけで。
まず、俺と成田が二人で喋る時間なんてそうあることじゃない。いつもの成田は他の奴ら(音無とか、そこら)と一緒だし、唯一二人になるのは下校時だけだけど、それだって約束しているわけじゃない。一人で帰ってる成田を発見した俺が、奢るという条件と引き換えに一緒に帰る。それだけなのだ。
俺はもっと、成田と二人で喋っていたかった。
「オイ戸田、」
そして、今日は両親は夜まで帰って来ない。つまり家は夜まで無人。騒ぎ放題で何しても問題なし。
そう、問題なし。
「……もう教えてやらないからな」
怒ったような声にハッと気が付いて、俺は顔を上げた。見ると、不機嫌そうに眉を寄せた成田が、今度はベッドの上に転がってジャンプを読んでいる。
……いや、さ。そりゃ、まさか男が男を襲うなんてことがあるとは、成田も思っていないんだろうけどな。
無防備過ぎないか?
「……成田」
声を掛けて、俺は立ち上がった。そのまま、ベッドへと足早に近づいて行く。
「何だ?」
ちらり、とこちらを見て成田が答える。相変わらずの面倒くさそうな表情。だけど、俺がベッドに腰掛けた瞬間、流石に相手も起き上がった。
そう言えば、成田は人と近付くのが好きじゃなかったんだよな。
「別に」
言いながら、身を乗り出して成田に近付く。この距離に来てしまえばこっちのものだ、陸上部で常に筋トレ、更に平均以上は身長のある俺と、運動が苦手で小柄な成田。抵抗なんてできるはずもない。
折れそうな手首を掴んで、一気にベッドの上に押し倒した。
「うわっ!?」
元々大きかった目が更に見開かれる。何するんだ、という疑問を口にするのは許さず、その声ごと、俺は唇を重ねた。
「っ」
ん、というくぐもった声。数秒呆けていたが、すぐに抵抗を始める。普通なら酸欠になるような気もするが、やっぱり演劇部だから別らしい。
まあ、意味はないんだけど。
力をかけてしまえばこっちのもので、更に数秒後には、抵抗をやめた成田がぐったりと目を閉じていた。
あー、やっぱりキスは初めてか。てことは全て初めてか。うん。
じゃあまあ、そういうことで。
気分が乗ってきた俺は、その後のことなんて欠片も考えちゃいなかった。
その後のことと言うのは、その。
成田の気持ちとか、その後の接し方とか、関係とか、嫌われるんじゃないかとか、そういうことで。
「その、なんつーか……ゴメン」
平たく言えば考えなしだった俺は、全部が終わった後、ベッドの上の成田に床で土下座していた。
「本当ゴメン。無理矢理とかないよな。全然何も考えてなかった」
「…………」
「ちょ、頼む、いつもみたいな罵倒で良いからせめて返事してくれ!」
元々ほとんど脱いじゃないなかった俺は、元通りに服を身に付けて床に正座。一方の成田はと言うと、上にTシャツのみの状態で、ベッドの上にあったタオルケットの中に隠れている。
明確な拒否。ていうかシカト。
泣きたいのは向こうだろうに、何だか俺も泣きそうになる。
「……だって成田、俺、お前のこと好きなんだよ。ずっと好きだったんだよ。で、室内に好きな人間がいて二人きり、しかも俺の家だろ!? 我慢しろって方が無茶な話じゃねぇか!?」
格好悪いこと承知で訴える。
すると、成田が目だけを覗かせた。
「……好きなら何でもして良いとか思ってるのか」
「いや、思ってないけど、」
「いきなりこんな目に遭った身にもなれ。二重の意味で」
ああ、泣いてる。
今まで人前で泣いたことなんてなかった成田が、泣いてる。
「……考えてもみろ、よ。なんかいきなりこんな目に遭って、しかも相手は普通に今まで接してきた相手で、っ、今までそう言う目で見られたのかとか、意識することになるんだぞ……!?」
それだけ言って、成田はまた引っ込んでしまった。
……どうしようもないほどに罪悪感。
唇を噛みながら、ベッドに近付く。
「成田」
俺の気配に気が付いたのか、タオルケットの塊が震えた。
「悪い、本当に悪い。謝っても許されることじゃないってことは分かってる。でも、」
大きく息を吸う。タオルケットの塊の頭の辺りに、そっと手を乗せる。
「でも、成田のことが、好きなんだ」
虫が良いってことは分かってる。勝手だってことも分かってる。
でも、こんなことをしたというのに、俺はまだ、成田に俺のことを信じてほしいんだ。
「成田が嫌って言うんなら、今日のことは忘れてくれ。忘れられることじゃないと思うけど。……だけど、距離だけは、開けないでほしい。今までのままでいたいんだ。……無理、だよな」
「……お前、虫が良過ぎる」
タオルケットを掴んだ指が、ギュッと縁を握り締める。
「忘れようと思って忘れられるものじゃ、ないだろ」
「……だよな」
「……だけど、」
少しの間。その後、タオルケットが跳ね上がった。
勢いよく、成田が上半身を起こす。その際体のあちこちが痛かったのか顔を顰めはしたが、それでも、いつもみたいに揺らがない目をしていた。
「終わったことばっか言うのって、俺の趣味じゃないんだ」
綺麗な目。俺の好きな目。
さっきまでとは違う、力強い姿に、心臓が大きく音を立てる。
「あのな、戸田。俺には好きって気持ちがよく分からない」
「……そう、なのか?」
「ああ。恋愛も友情も信頼も何もかも、俺には分からない。他人なんて全部他人だ。俺は誰より自分が大事で、他人なんて心底どうでも良い」
「……」
「でも、だけど、誰に心を許しているのかってことは、分かるんだ」
言葉を選ぶように動く唇。それから、吐息とともに。
「……お前には多分、心を許してる」
「!」
「勿論さっきのは嫌だった。お前を許したわけじゃない。……でも、もう話したくないぐらいに嫌いかと言われたら、否だ。ついでに言えば、こういうことをしないんだったら、別に」
別に、の続きはなかった。
そこまでで限界だったのか、成田はまたタオルケットを頭に被る。
「……良いのか?」
「…………」
返事はない。ていうか、どこまでは構わないってレベルなんだ?
今まで通りの関係か、それとも、こうして好きだって言ってキスをする、そういうことか。
「成田、」
「…………」
「キスして、良いか?」
タオルケットの上からちゅ、と唇を重ねると、今度は抵抗なんて一つもなかった。
―後書き―
成田五葉の煮え切らな過ぎる態度で消化不良、悪いのは全て五葉もとい時亜だから許してくださいぃぃっぃぃいいいい!!!!!
中途半端に自分の場合と重ねてしまうので、五葉が空を好きになってくれない。
ていうかでも、あれでしょ? 五葉って、自分からキスとか好きとか、全然できないタイプでしょ?
そして空君がTHE☆ヘタレ男子に化しました。ヘタレなのは元からですけどね。
空五って考えて一番に出てきたのはこれでした。莉央と何度メールしても、やっぱりこれが根底にありました。
だって空の理性が焼き切れないと、この二人に進展なんてないでしょう?ということで。ていうか五葉からアクションとか、誰が相手でも無理です。
五葉御免ね、嫌だよね、分かってる、うん!
でも、最後に結局今まで通りの距離を許しているんだから、五葉も空のことが好きなんです、よ。