00部屋その六

□聖女の掌
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「彼はあの人と全然違うね」
 僕がそう口にすると、何を言っているのだ、と言いたげにティエリアは瞬きした。
「当然だろう、アレルヤ。あの人は彼のように軽佻浮薄ではなかった」
「……そういう意味で言ってるんじゃないよ」
 『彼』と『あの人』で通じてしまう、彼ら。まったく同じ顔をしているのに、二人はまったくと言っていいほど違う。
「掌がね、全然違うんだ」
 今も目を閉じただけで、あの人の掌を思い出せる。白くて大きくて、少しごつごつしている指は長い。引き金を引き続けているからだろう、その指にはタコがある。けれども、人を殺める掌は、その一方、ピアノでも弾き出しそうなくらいに繊細だった。
「全然違う」
 どんなときでも、あの人の掌は温かかった。そうして、その掌の温もりを、僕やティエリア、そして刹那にいつでも分けてくれた。肩を叩いたり、頭を撫でたり、そうした彼の仕草はいつも、僕たちに温もりを与えるためにあったのだ。僕はそれを、きっと誰よりも知っている。
「それはそうだろう、アレルヤ。たとえ双子でも、指紋すら違うものだそうだ」
「うん、そうだね。それは僕も知ってる。でも、それとは違うんだ」
 彼の掌に、あの温もりはない。あの優しかった温もりは、僕たちを温めてくれた太陽のような優しさは、悲しいことに存在しないのだ。それが、彼はあの人ではないという何よりの証拠。
「あの人の掌は、優しかった」
 あの人の掌に、僕はきっと、未だ見ぬ母の姿を重ねていた。偉大なる慈愛の聖母マリア。全てを包み込む、優しくて温かな光。
「僕はあの人の掌が好きだったんだよ」
 僕たちを育て上げた、あの人はまさしく聖母だった。そして、僕たちを育て上げると、そっと消えてしまった。そして残されたのは、救世主にすら未だなれぬ哀れな子羊たちだった。
「あの人の温もりが、優しさが、この上ないほどに好きだった」
 死んでしまったあの人は、もう人間になりはしない。最後の一瞬だけ人間に戻った聖母は、けれど結局僕らの元を離れてしまって、また遥か高みへと昇ってしまった。僕らはあの人から与えられた、けれど、彼に対しては、何も与えることができなかった。
 悔やむ僕の胸の内を見透かしたのか、少し悲しげな表情で、ティエリアは宇宙を見た。
「大丈夫だ、アレルヤ」
「……ティエリア」
「彼は確かに僕たちに温もりを与えてくれた。それは今も消えてはいない、そして、永遠に消えないだろう」
 あの人が与えてくれた温もり。それは愛であり、心であり、そして、僕たちの命だ。
「だから、僕たちは必死に生きるしかない。あの人の願いを叶えることでしか、僕たちは、貰った物を返せないのだから」
「……うん、そうだね」



 ああ、僕らの聖母マリア。あの宇宙の何処かで、あなたはあなたの哀れな子羊たちを見ていますか。
 僕たちはきっと、救世主になって見せましょう。
 それこそが、僕らに二度目の生と心を与えてくれたあなたへの、一番の贈り物なのだから。

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