00部屋その六
□Sweet Cold
1ページ/1ページ
グラハムが風邪をひいたという話を、グラハムの同僚である研究者の男から聞いた。
なんでも、風邪を引いたから休ませてほしいという電話があったそうだ。……だが生憎、俺は全くそれを知らなかった。どうやら、俺には隠しているらしい。
上等だ。
流石に頭に来た俺は、本人に連絡もせず、恋人の家へと向かった。
訪れ慣れた恋人の家。いっそ同棲しようかという話も出てはいるのだが、互いに職場や学校との関係があるせいで、それは未だ実行されていない。
だが、本気でそれを実現する必要が出てきているようだ。
「どうせ、怒られんだろうな……」
せっかく見舞いに来ているというのに。
インターホンは鳴らさず、合鍵を使って家のドアを開ける。普段からよくやることなので、抵抗感は皆無に等しい。それに、あちらだって今回のことを俺には知らせていなかったんだ、文句なんて言えないだろう。
勝手知った家の中、途中で買い物をしてきたコンビニの袋を片手に、寝室へと急ぐ。グラハムの声はしない。
「グラハム」
開けっ放しだった寝室のドアから室内へと入ると、普段の彼らしくもない、弱弱しい声が聞こえてきた。
「ニール……」
「風邪引いたんだって?」
部屋の奥、よく二人で寝ているベッドの上に、ぐったりと横たわる見慣れた顔が見える。覇気のない声、少し離れていても分かる赤い顔。典型的な風邪引きの恋人に、はあ、とため息をつきそうになる。
こうなるまで、よくも言わなかったものだ。プライドか、それとも迷惑をかけたくはないという気遣いか。後者なら、余計なことだ。
「まさかアンタが風邪を引くなんてな」
皮肉を込めてそう言いながら、ベッドの脇に膝をつく。湿った金髪を撫でてやると、グラハムの体が熱いことがよく分かった。本当に、彼らしくもない。普段はあれだけ健康で、風邪なんて引きそうもないのに。
まあ、原因の一つに寝不足が含まれているのなら、俺も原因の一つになるのか。
まずは氷枕でも用意してやろう。目の前の病人は、濡れた布すら額に置いていない。
「……カタギリにでも、聞いたのか」
「あっちから電話があったんだよ。アンタのことだから、俺には何も言ってないだろうってな。……本当に、なんで俺には言わなかったんだよ」
ねめつけてやるが、返事はない。いつもなら大袈裟な誤魔化しが入るところだろうが、その元気もないらしい。
「氷枕でも用意してくるから、じっとしとけよ」
もう一度そう言ってから、俺は一旦部屋を出た。
「食欲はあるか?」
「……ない」
「だろうな。ヨーグルトぐらいなら食べれそうか? 途中に買ってきた」
「……すまない」
「別に。恋人として当たり前のことだろ」
コンビニの袋の中をあさって、買ってきたところのヨーグルトを取り出す。
本当は、先に体を拭いて着替えさせてやるべきなのだろう。ひどい汗だ。だが、それはグラハム自身が断固として抵抗したため、出来ずにいる。曰く、「いくら風邪を引いていても、他人にしてほしくないこともある」らしい。普段、俺が脱がせても然程抵抗しないくせに。変なところで意地になる。
上半身を起こすこともできなさそうなので、ヨーグルトの蓋を開け、スプーンですくう。そして、寝たままのグラハムの口へと、そのままスプーンを運んでやった。
「ほら」
「……」
「仕方ねぇだろ。アンタは動けねぇんだからさ」
熱で力のない眼差しで、それでも睨みつけてくる年上の恋人。こうくることぐらい、勿論分かっていた。
だけど、俺も今回は譲歩せず、ほら、とスプーンを無理に口の中へと持って行く。一口食べてしまえば、もう抵抗はないはずだ。
「恋人同士だろ。何今更恥ずかしがってんだよ」
ごくり、と動く喉仏を見ながら呆れる俺。もう一口分すくって、口元へと持っていってやる。
「ほら、あーん」
流石に屈辱だろう。普段はなかなか優位に立てないので、思わず微笑んでしまいそうになる。我ながら性格が悪い。
だけど、こうして恋人の看病だなんて。
なんてありふれた、恋人同士らしい幸せだろう。
「……楽しんでいるだろう、君は」
「そりゃ、めいっぱいアンタを甘やかせるんだからな」
「性格が悪いな」
「勿論、アンタのことは心配だぜ」
ヨーグルトを全部食べさせたところで、とりあえず顔の汗は拭いてやった。気持ち良さそうに目を細める顔に、愛しさが込み上げてくる。
堪らずに言葉が漏れた。
「……グラハム、キスしても良いか?」
「……湿っているだろう。駄目だ」
「なんで額が前提なんだよ。いつもどおり唇に決まってんだろ」
「無理だ」
「なんで」
キスを嫌がるなんて、らしくもない。
湿った髪をかきあげて額を晒してやると、熱っぽくため息をついてから、当たり前のようにグラハムは言った。
「伝染る」
なるほど、常識的な返答だ。
だけど、同じ部屋にいる時点で今更な話だ。風邪は空気感染する。
「じゃ、俺が貰うから」
糖分過多に微笑んだ俺は、カサカサに乾いた唇に、優しくキスを贈ってやった。
「アンタからなら、風邪だって何だって欲しい」
「……馬鹿だな、君も」
「まったくそのとおりだ」
後書き。
ということで、風邪を引いたグラハムを甘やかすニールでした。
……もっともっと、馬鹿みたいに甘やかすつもりだったのですが……。如何せん、私の発想は貧困なので……。
この二人が一緒にいると、何故かキスさせたくなります。確実に伝染って、数日後にはニールが寝込むことになるでしょう。
いつもはできないから、とそれを甘やかすグラハムというのも、それはそれで良いですよね。
それでは、あや様、リクエストを有難う御座いました!
あや様のみ、この小説はお持ち帰り可能です。