00その弐

□愛だけください
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 その街を選んだことに、特に理由はなかった。
 ただ、どうしようもなく疲れていた。無意味に生きていくことに。そう、俺は無意味に生きていたのだ。そして無意味な存在だった。誰も俺を愛していなかった。俺がいなくなったところで、嘆く人間は一人もいなかった。
 だから、出て行くことにした。
 愛されることが不可能ではないということくらい、とっくの昔に気付いていた。ただ、それをしたいとは思わなかっただけで。何故ならそれは俺と言う人格の否定だったからだ。愛されるためには、俺は俺を殺さなくてはならなかったのだ。
 若い頃は、そんな道を選ぶくらいなら独りで生きてやろうと考えていた。
 でも、弱くなった俺には、もうそうは思えなかった。
 だから、俺は俺を殺した。あの街を出て、新しい人間として生きていくことにした。街にいた頃の人脈を使えば、新しい俺の経歴はすぐに作ることができた。
 折原臨也は死んだ。
 誰もが憎んだ新宿の情報屋は、死んだのだ。



 俺が彼に出逢ったのは、その街に来て一年半が経った頃のことだった。
 俺は、新しい街を愛していた。けばけばしいネオンで精一杯着飾った中に漂う田舎臭さ、それが何とも言えないほどに魅力的だったからだ。いや、実際のところ、俺はどんな場所でも愛せただろう。そこに人間がいさえすれば。
「じゃあ、次の取引先に行くよ」
 系列会社から移動になったという形で入社した俺は、見る見る間に昇進を遂げていた。俺という人間をもってすれば、造作もないことだ。俺は完璧に振る舞った。上司にも部下にも愛される、理想の男。愛されることは心地良かった。それは俺が求めてやまないものだった。
「折原さん、あれだけの休憩で大丈夫ですか?」
「何とかなるよ。君は?」
「自分も大丈夫です」
 ただ、誰かを選ぶことだけはしなかった。選べるわけがない。いくら自分を殺しても、俺が愛しているのは「全人類」なのだから。大勢の中にいたとしても、俺はただ一人に愛されることはない。だって俺も誰か一人を愛したりしないから。分かっていた。分かっていて、これを選んだ。
 しきりに俺を気遣う部下に笑顔を見せて、俺は外回りを再開する。あと三件。いつもと変わらない俺が求めていた日常だ、と俺は笑みをこぼす。
 そして、目を疑った。
「え……?」
 人混みの中に、見覚えのある人物がいた。
 金色の髪、スラッと伸びた体、長い手足。見間違えるはずもない人物に、俺は自分の目をこする。
 そこにいたのは、シズちゃんだった。
 反射的に、足が逃亡の方向へ動きかけた。それを押し殺して、平然を装う。シズちゃんがここいるわけがないのだ。他人のそら似か何かだろう。それに、もし仮にあれがシズちゃんだったとしても、気付かれない自信がある。今の俺はシズちゃんが憎んだ俺じゃない。あの超人的な感覚も、今の俺には発揮されないはずだ。
 俺は心を決め、彼の横を通り過ぎた。ちらりと見えた横顔はやはりシズちゃんそのものだ。一瞬目が合った。気付かれないように、目を逸らす。
 どうにかやり過ごせたと内心ホッとしていると、後ろを歩いていた部下が突然声を上げた。
「静雄じゃん!」
 予想もしなかった展開に、え、と体が固まる。振り向くと、部下が――部下が、あの男と言葉を交わしているところだった。
「久し振り! 元気にしてた?」
「お前の方こそ、真面目に会社員してんの? マジで?」
「静雄は……なんだ、ホストか?」
「そう、ホスト」
 親しげに会話する二人に、呆然と俺は目を見張る。けれど、すぐに確信を得た。男は、やはりシズちゃんではなかった。
「あ、すいません折原さん。こいつ、俺の高校時代の同級生なんです」
「どーも」
 シズちゃんがこんなヘラッと笑うはずがない。ぺらぺらのスーツを身につけたそいつは、俺を見てにこにこと笑っていた。
「ああ、どうも。彼の上司の折原です」
 とんだ他人のそら似もあるもんだ。心の中でそうこぼしながら、同じように俺も微笑む。
「先方を待たせるわけにもいかないし、悪いけど、そろそろ行こうか」
「あ、はい。じゃあな、静雄!」
「おー、またな」
 ひらひらと手を振った男の特徴を、俺はしっかりと目に焼き付けた。どういう人物なのか。知りたくはあるけど、調べることはできない。俺はもう情報屋じゃない。ふつうの、男なのだから。



 次に彼と逢ったのは、喫茶店の店内だった。
 その日俺は、休日ということもあり、喫茶店で時間を潰しながら本を読んでいた。そのときに突然聴こえてきたのが、忘れもしない、あの男の声だった。
「あー、ごめんごめん。謝るよ」
「謝るよ、じゃないでしょ! 何回目だと思ってんのよ!」
 恋人らしい女の金切り声も聴こえる。興味本位で向けた視線の先に映ったのは、女に平手打ちを食らう男の姿だった。
「あんたなんて最低! もう二度と合わない!」
 そうとだけ言い捨てた女は、痛そうに頬をさする男を置き去りにしてさっさと歩き出している。どうやら振られたところのようだ。しかも、どう考えても、男の側に非がある理由で。
「うわー……」
 東京にいた頃にはよく目にしたけど、まさかこんなところで目にするとは思わなかった。久々なそれに、思わず声が漏れる。
 しばらく頬をさすっていた男は、振られたことは全然堪えていないのか、はーっとため息をついてコーヒーに手を伸ばした。だが、不意にその手を止めると、バッと顔を上げた。
「あ」
 ばっちり目が合ってしまった俺は、慌てて顔を横に向ける。しかし、向こうは見られたことなど気にしていない様子で、突如として席を立つと、まっすぐにこちらに歩いて来た。
「どーも」
「え、あ、うん。どうも」
 いきなり親しげに話しかけられて、不審に思いながらも言葉を返す。すると、男はあのヘラッとした笑みを浮かべて、空いていた俺の前の席に座った。
「折原さん、ッスよね」
「そうだけど……」
「今の、見てました?」
「見たよ」
 開き直って答える。それから、肩を竦めて付け足した。
「こういうところで浮気話なんて、感心しないね」
「そうッスか?」
「しかも君は慣れているみたいだし」
 どうやら、相手は相当な遊び人のようだ。職業はホストだとか言っていたような気もする。まったく、何から何までシズちゃんとは違う男だ。顔はこんなに似ているのに。
「……あの」
 何処か違うところはあるだろうかと目の前の顔を眺めていると、男はずいっと身を乗り出して言った。
「折原さんって、バイですか?」
「……はあ?」
 一瞬意味が分からなくて、盛大に顔を歪めてしまう。それを否定と受け取ったのか、男は「あー、違ったらすいません」と頭を掻いた。
「なんか、それっぽいなと思って。あ、俺バイなんスよ。だから、同類の感じがしたって言うか……」
「はあ」
 バイではないと思う。だからと言って、ヘテロでもない。俺は全人類が好きなのだから。ただし、性欲は含まない意味で。
 今の俺はどういう分類に入るのだろう、と考え込んでいたせいで、気付かなかった。無駄に整った顔が、すぐそこに近付いていることに。
「折原さん、綺麗な顔してますよね」
 気付いたら、長い指が、頬に触れていた。
「肌も綺麗だし、色っぽい。幾つッスか?」
「え、ああ……26だけど」
「全然そうは見えないッスよ」
「……あのさ、もしかして、口説かれてる?」
 認識すると同時、全身に鳥肌が立った。男に口説かれているからではない。そんな経験、あの街にいた頃は腐るほどあった。問題は相手だ。どうしてアイツとそっくりな男なんかに口説かれなきゃならないんだ。
「そうッスけど、それが何か?」
「あのさ、悪いけど、俺はそういう興味は……」
「恋人は? いないッスよね? いたらこんなところにいるわけないし」
 柔らかい色の目でじっと見られて、金縛りにあったかのように体が動かなくなる。メアドを訊かれても、俺はそれを断ることができなかった。
 多分、知りたくて仕方がなかったんだ。
 化け物にならなかった、この男の行方が。



 男――静雄は、ハッキリ言ってかなり最低な男だった。
 何かと理由をつけて俺の元へ押し掛けてくるようになってからも、静雄の遊び癖の悪さは変わらなかった。何人もの女と同時並行で付き合っては、悪びれた様子もなく相手に愛を囁く。振られてもやめたりはしない。また次の相手が補充されるだけだ。
「臨也さん、こっち向いてくださいよ」
 静雄と俺は、付き合ってるわけじゃない。俺は了承したつもりはない。だけど、静雄は恋人同士だと言う。そして愛を囁く。
「俺が一番愛してるのは、臨也さんだけッスよ」
 と。
「君さあ……そんなに同じ言葉を何度も口にしてたら、価値が下がるよ」
「そうッスか?」
「少なくとも俺は、そんな薄っぺらい愛の言葉ごめんだね。君は愛されたいだけだよ」
「……そうかもしれないッスね」
 静雄は知らない。俺が誰のことをも愛していることを。だけど、冷たくしてやると喜ぶ。「誰にでも優しい臨也さんが俺だけに冷たいなんて、何だか愛されている気がする」と。
「君は両親に愛されなかった。だから他人にその分の愛を求めてる。愛されるためなら愛することもできる。そうだろう?」
 この静雄は、化け物にならなかった静雄だ。怪力もなく、親からの愛情もなかった静雄。それがこの静雄だ。
「たとえそうだとしても、この愛は本物ッスよ」
「ふうん」
「確かめてみます?」
 ね、と甘く囁いた静雄の指が、俺の顎を掴む。愛撫するような手つきで引き寄せられて、俺は唇を笑みの形に象った。
「ね、臨也さん、愛してますよ」
 唇が重なると同時、俺は目を閉じた。彼の姿に重なる化け物の姿を、何処かへ追い払うように。







初の派生キャラの扱いがひどい^^
静臨前提のデリ臨に激しく悶えます。そしてデリ雄のキャラが行方不明。イメージは文学少女シリーズの流人くんです。

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