00その弐

□少し前の話
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「聴きました? 二人とも」

 梁山泊に近い、一軒の食堂。
 そこに客を迎えていた朱貴は、上機嫌に微笑みながら言った。

「なんでも、噂の豹子頭が、ここへ向かって来ているそうよ」
「豹子頭が!?」

 彼の言葉に目を輝かせたのは、行儀よく席に座って饅頭を待っていた杜遷である。外見の大きさの割に子供っぽいところがある彼は、「一度会ってみたかったんだよなぁ」とはしゃぎながらも、首を傾げて訊いた。

「でも、豹子頭は禁軍の武術師範補佐じゃなかったっけ?」
「その話は聞いたことがある」

 彼の問いに答えたのは、茶をすすっていた宋万である。

「何でも、あの王進が謀反の疑いをかけられ、禁軍を追われたそうだ」
「ま、十中八九、でっちあげられた罪よねぇ」

 蒸し上がった饅頭を取り出しつつ、こちらに背を向けて会話を続ける朱貴。

「で、豹子頭サンは王進のところに一緒に住んでたから、一緒に謀反の疑いもかけられちゃったんですって」
「酷い話だなぁ、それは!」
「ま、奸臣の常套手段よね」

 憤慨する杜遷を宥めつつ、朱貴は「できたわよー」と饅頭を宋万へ差し出す。

「朱貴っちゃん、ぼくのは?」
「何のこと?」
「……ぼくも頼んだよね?」
「冗談よ。ほら、どうぞ」

 笑いながら差し出された饅頭を受け取った杜遷は、嬉しそうにそれにかぶりつく。
 しばらく饅頭を咀嚼する音と茶をすする音だけが響いていたが、一つ食べ終えたところで、宋万が再び口を開いた。

「それで、王倫様はどうするおつもりなのだ?」
「それは二人の方がよく知ってるでしょ?」
「うーん、ぼくもまだ聴かされてないなぁ」
「しかし、王倫様のことだ、無下にはするまい」
「この情報を聴いても、かしら」
「? 何かあるのか?」

 料理屋を営む朱貴の元には、様々な旅人から新鮮な情報がもたらされる。そうして彼が仕入れた情報は、梁山泊の貴重な情報源だ。
 手にしていた包丁を弄びながら、朱貴は「ふふっ」と楽しそうに笑った。

「王進が謀反を起こしたときに、あの替天行道の人間が一緒にいたって情報があるの。未確認だけど、複数の人間の証言と一致してるから、間違いはないでしょうね」
「どおりで、王進がまだ見つかっていないわけか」
「そ。もし替天行道のメンバーが来たら、どうする?」

 他人事のように問いかけられた杜遷と宋万は、とっさに答えることができず、思わず押し黙った。それを見ながら、なおも朱貴は言葉を続ける。

「最近力を持って来ている義賊――それが替天行道。メンバーについてはハッキリと確認されてないけど、相当な遣い手の集まりって噂よね」
「そいつらが、何故オレたちのところへ……」
「さあ。でも、まずいわよね、結構」

 手遊びのように投げつけられた包丁が、まっすぐに壁に付き立てられる。

「いくらポッと出とは言え、替天行道の求心力は物凄いものがあるわ。入りたがってる人間も、結構いるみたいね」
「……そしてオレたちは、まだ何もできていない」
「そうなのよね」
「朱貴っちゃん、宋万、王倫様は時期を見ているだけで……!」
「ああ、分かっている」
「でも、傍から見たら何もしていないように見えるのも、事実なのよ」

 杜遷と比べれば、朱貴や宋万の方がずっと大人である。二人が言うことは、杜遷だってよく分かる。しかし、自分が決めた頭領について良くない風に言われるのは、まっすぐな彼にとって、苦痛に近い。

「……ぼくたちだって、国を思って集まったんだ」

 ポツリ、と彼は口にする。

「ぼくたちだって、そのために強くなってきた」
「まあ、替天行道と手を組んじゃうっていうのも、一つの手よね」
「朱貴っちゃん!」
「冗談よ」

 肩を竦めて笑って見せると、彼は壁に刺さっていた包丁を抜き取った。そして、数本のそれでジャグリングを始める。
 彼の態度に真剣さが感じられないのは、いつものことである。そして、その気負わなさが、気真面目な宋万や周りが見えない杜遷と巧くバランスを取って、絶妙の状態を保っている。
 もし――もし、豹子頭や替天行道の人間がここに入ったら、どうなるんだろう。ふとそう考えた杜遷は、寒気のようなものを感じた。
 バランスは、保てないだろう。

「それで梁山泊が巧く行くんなら、良いけど」
「ん?」
「……なんか、巧くいかない気がするなぁ」

 豹子頭林冲については、風の噂で聴いたことがある。
 その容姿、天女のごとき麗しさ。優雅な物腰ながらも、こと槍術になれば右に出る者なし。残酷容赦のない戦い方で、立ちはだかるものは屍と化すという。
 彼の存在は、カリスマそのものだ。もし一度梁山泊入りすれば、杜遷や宋万などとは比べ物にならないほどの信者が付くかもしれない。
 そして、替天行道にだって、指導者はいるはずだ。少人数ながらも強い力を誇る彼らのリーダーが、並の人物であるはずがなかった。

「怖いなぁ」
「何がだ?」
「ここが、変わるのが」

 変化は、ときに災いをもたらすものとなる。杜遷は、それが怖いのだ。
 そんな彼の心の内側を汲み取ったのか、「大丈夫だ」と宋万は珍しく微笑みを浮かべた。

「オレたちには王倫様がいる。心配はいらない」

 相棒の力強い言葉に、「……うん」と杜遷は首を縦に振る。
 朱貴も笑って、「ほら」と叱るような口調で言った。

「早く食べなきゃ、饅頭が冷めちゃうわよ」
「え、あ、本当だ!」

 母親のように言われ、杜遷は慌てて饅頭へ手を伸ばす。

 近いうちに本当に、豹子頭や替天行道がこの梁山泊へ姿を現すかもしれない。
 だけど、自分たちと、そして王倫様がいれば大丈夫だ。
 そう思って、杜遷は微かに微笑みを浮かべた。









―後書き
 杜遷、ごめんね! その期待は儚く裏切られるよ!
 「梁山泊の朱・杜・宋」というリクエストで書かせていただきました。大好きな組み合わせだったので、とてもうれしいです。
 しかし宋万が難しい! 彼、あまり原作で喋っていませんからね!
 杜遷中心になっちゃったのはあれです、書きやすかったからです。朱貴っちゃんなんて、何考えてるか分からないですし。
 杜遷がここまで色々考えているのかは疑問ですが。

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