00その弐

□生まれ変わったらまた笑い方の下手なあなたでありますように
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「良いところ、か」
 後ろを歩いていた蘭兵衛さんが呟いた言葉に、あたしは振り返った。
「どうしたんですか、蘭兵衛さん」
「……いや」
 何でも、と言って、彼は口を噤む。だが、それから、そろそろと問うてきた。
「太夫」
「はい?」
「無界は、良いところか?」
 言われて、あたしは歩みを止める。それから、意識して、にっこりと笑った。
「勿論。男の目から見てじゃなく、女の目から見ても、保証しますよ」
 先程捨之介さんに言われたことが、ずっと胸の奥に引っ掛かっていたのだろう。真面目な蘭兵衛さんらしい、と思わず素の笑みがこぼれる。
 捨之介さん。妙な男。蘭兵衛さんとは既知の仲のようだ。それに、相当腕も立つ。この二つから導き出されることに気付きかけて、でも、私は気付かないふりをする。
「蘭兵衛さんの目から見たら、どうなんですか?」
 尋ねると、彼は不意を突かれたような表情をした。
「……俺から?」
「はい」
 頷いて、蘭兵衛さんの言葉を待つ。すると、彼は、どこか遠くを見るような顔をして、「そうだな」と口を開いた。
「俺が作ったにしては、上出来のところだ」
「でしょう?」
「ああ」
 目を細めた彼の口元に、若干、笑みの様なものが生じる。だけど、すぐに、彼は表情を引き締めた。
「……そんな良い街を、なくすわけにはいかねぇな」
「……え?」
 その顔に不穏な色が見えたような気がして、あたしは思わず訊き返す。だが、彼は「何でもない」とだけ言って、すたすたと歩き出した。
「太夫、早く戻ろう」
「……はい」
 立ち去ろうとする蘭兵衛さんの後姿に、何か嫌な予感がして、あたしは彼を呼び止めたくなる。言いたくなる。
「何処にも行かないで」
 だけどあたしはそれを言えない。あたしは蘭兵衛さんにとって、ただの仲間でしかないから。縋っても良い関係じゃないから。だからあたしは、「待って下さいよ」と彼を追いかける。
「蘭兵衛さん」
 呼ぶと同時、その名が、何故かひどく懐かしいような気がした。






 目が覚めた。
 どうやら、縁側でうたたねしてしまっていたらしい。身を起して目をこすっていると、後ろから足音がした。
「起きたか、りんどう」
 振り向けば、照れくさそうな顔をした兵庫が、こちらを見ている。だが、あたしの表情に気付いた彼は、すぐに表情を曇らせた。
「どうかしたか?」
「え?」
「泣きそうな顔してるぞ」
 伸びてきた手が、すうっとあたしの目元を撫でる。
 逃げるように身を引いたあたしは、急いで「何でもないよ」と明るい声を作った。
「ちょっと、夢を見ただけ」
「夢?」
「何ともないってば」
 無界の夢を、蘭兵衛の夢を見た。そう言えば、兵庫はきっととても心配することだろう。それが嫌で、あたしは、着物の裾を払って立ちあがる。
「さあ、そろそろご飯にしなきゃね」
「あ、ああ……」
「兵庫、手伝って」
 兵庫の脇をすり抜けて、あたしは勝手所へと向かう。胸の中にはずっと、少し笑った彼の顔が、あった。




 蘭兵衛さん。あなたは今どこにいるんでしょうか。きっと冥途、地獄にいるんでしょうね。地獄であなたはあなたの愛する人に会えたかしら。
 ねえ、今は地獄にいても、いつか生まれ変わって、また生れてきてね。あたしはそれをずっと待ってる。ずっと、ずっと待ってる。兵庫と一緒に。
 蘭兵衛さん。
 生まれ変わっても、また、笑い方の下手なあなたでいてね。
 そしたらすぐに、見つけられるから。










初の太夫とちょびっと兵庫でした。
お題はjoy様より。

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