00その弐

□意味
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 室内に一人佇む蘭兵衛は、するりと腰の鞘から刀を抜いた。月光を浴びて鈍く光る刃を、彼は左腕にそっと当てる。そして、刃を肉に食い込ませると、勢いよく、刀を引いた。
 腕に一本、真新しい血の線が引かれる。
 流れ出した血は蘭兵衛の白い肌の上で何本にも別れ、ぽたり、ぽたりと、彼が足元に敷いた布の上に染みを作った。
 血脂を払った蘭兵衛は、元のように、刀を鞘に戻す。
 そして、ふう、と息を吐いたところだった。
「蘭兵衛、いいか」
 懐かしい声を部屋の外に感じとって、蘭兵衛は「入れ」と促した。
「じゃ、どうも」
 戸を開いた捨之助が、鉄煙管片手に室内に足を踏み入れる。そして、「何だ」と拍子抜けした声を出した。
「妓楼の旦那の部屋ともなればどんなに派手かと思いきや、やっぱりお前だな。必要最低限のものしかない」
「どうやってこの部屋が分かった、捨之助」
「俺がお前の昔馴染みだって言って訊けば教えてくれたよ」
「……そうか」
 戸を後ろ手に閉めた捨之助だったが、鼻先に漂ってくる臭いに、眉を顰めた。
「蘭兵衛」
 蘭兵衛に歩み寄った彼は、その左腕を捕らえると、袖を勢いよく捲り上げる。
「お前、何てこと……」
 そこから流れ落ちる血に気付いた捨之助に、蘭兵衛は涼しい顔で言った。
「そう珍しいことでもあるまい。あの方の元にいた頃は、何度も目にしただろう」
「自分でやったのは別だ。まったく、何してんだよ」
 捨之助の問いに、蘭兵衛は答えない。そこから全てを察した捨之助は、「あのな」と蘭兵衛の両肩を掴んだ。
「お前は生き延びてしまったわけじゃない。あの方がお前に生き延びろと言ったんだ。俺もお前もあの方のためなら冥土の果てまで付いて行くつもりだった。だけどそれを拒絶したのはほかならぬあの方だ。だからお前は悪くない。な? 分かってんだろ、蘭兵衛」
 耳元で諭すよう言われて、蘭兵衛の左腕が、だらり、と垂れる。
 捨之助は頭を掻くと、「とにかく」と蘭兵衛の肩から手を離した。
「包帯持って来るから、待ってろ。だいぶ深く斬ったんだろ?」
「……ああ」
「大丈夫、誰にも言いやしねぇよ」
 言って、捨之助は部屋を出て行く。その背中をぼんやりと見送って、蘭兵衛は嘆息した。
 自傷行為は、とっくの昔にやめた、はずだった。
 それが今日、復活してしまったのは。
「――天魔王」
 あの顔を、見てしまったからだ。
 あの顔を見た瞬間、幸せだった日々を、そして殿のことを、思い出してしまった。
 今の自分には無界屋がある。必要としてくれている人間たちもいる。だけど。
 だけど、あの頃の思い出には、輝きが、あったのだ。
 傷口を抑えて、蘭兵衛はしゃがみ込む。
 まるで、傷口から、天魔王の何かが侵入してくるかのように。















蘭兵衛自傷ネター。自傷ネタ大好きでございます。

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