00その弐

□彼女の優しさ
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 虚の出現を知らせる音が、僕の住む狭い家の中に鳴り響く。
 僕は立ち上がり、家を出た。
 ――虚を狩るために。






 その日出てきた虚は、普段出現するものと何ら変わりのない、十刃を戦ったことのある僕にとってはいささか手応えがなさすぎるほどのものだった。
「ふう……」
 虚を滅却し終えた僕は、弓を片付けて息を吐く。そのまま体の向きを変え、誰かに見つかる前に帰ろう、としたときだった。
「石田くーん!」
 聴き慣れた声が聞こえて、僕は思わず振り返った。
「……井上さん?」
 そこにいたのは、スクールバッグを肩からかけた井上さんだった。手には何故かたくさんのパンが入った箱を持っている。
「どうしたの? バイト帰り?」
 尋ねると、彼女は息を弾ませながら頷いた。
「うん! 帰り道に虚と石田君の霊圧がしたから、石田君が怪我してたら大変だな、って思って来たの」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。怪我はないから」
「そうみたいだね。よかった〜」
 そう言って、井上さんはにっこり笑う。
 井上さんは、優しい。でも、その優しさは、本当は黒崎に向けられるはずのものだ。黒崎に向けることができないから、僕に向いているだけ。僕はそのことを知っている。
「じゃあ、気を付けて帰りなよ」
 手を振って、別れようとしたところだった。
「待って、石田君!」
 井上さんの手が、僕の手首を掴んだ。
「……何か用?」
 振り返って尋ねると、井上さんは片手で持っている箱を指して言った。
「これ、一緒に食べない?」
「え?」
「アルバイト先のパン屋さんで、毎日余ったパンをもらって帰ってるの。良かったら、石田君もどう?」
「えっと……僕は……」
「虚退治もしたところだし、おなか減ってるよね?」
 断ろう、と思ったのに上手な断り方が見つからなくて、僕は言いよどむ。それを勘違いしたのか、「行こう!」と井上さんは僕の手を引いて歩き出した。
「ここじゃなんだから、うちで食べよう」
「え……あの、井上さん……?」
 引きずられるように歩きながら、僕は、彼女の顔を見た。
 井上さんの笑顔は、今日も、優しくて眩しい。
 そうか。井上さんが僕に優しいのは、黒崎の代わりでも何でもないんだ。
 ただ、井上さんの優しさが、誰にでも向けられるものだというだけなんだ。
 それに気付いて、僕も、思わず微笑む。
 それから、そっと呟いた。
「ありがとう、井上さん」







新刊で仲良く喋る織姫と雨竜が可愛かったので。

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