00部屋その五

□ビタースウィートラブ
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「ミハエル、コーヒーは飲むか?」
 粉末コーヒーとマグカップを手に持った兄貴にそう訊かれ、俺は反射的に答えていた。
「飲む」
「そうか、分かった」
 実のところ、俺は苦い物が嫌いだ。だから、コーヒーもあまり好きじゃない。ミルクや砂糖を入れた物ならともかく、ブラックは絶対に無理。普段なら、コーヒーを進んで飲むことなど決してしない。そんな俺がどうしてコーヒーを飲むと言ったかと言うと、それは兄貴が俺に淹れてくれると言ったからだ。厳しい兄貴が俺やネーナを甘やかすことは滅多にない。だから、この機会を逃すわけにはいかないのだ。
「ほら」
 カップの中をマドラーでかき混ぜた兄貴が、白い没個性なマグカップをこちらへと差し出す。その中身を見て、俺は首を横に振った。
「クリープいらねぇ」
「ブラックで良いのか?」
「子供扱いすんなよ、兄貴」
「……そうか。悪かった」
 俺の強がりは、きっと兄貴にはお見通し。やれやれと肩を竦めた兄貴は、「ほら」ともう片方のマグカップを俺に差し出した。
「そっちは俺が飲むから、これを飲め」
「サンキュ」
 舌を出して受け取り、湯気の立つそれを口に運ぶ。一口口に含んで、内心うげっと呻きを上げた。
 まずい。
 コーヒー独特の苦味というあれだろうか。あれを中和するものが何もない。最も嫌いなものが最も前面に押し出された味に、ごくりと唾を飲んで水面を見つめる。これをマグカップ一杯飲まなければならないのか。拷問に等しい。
「ミハエル?」
 やはりそうかと言いたげに、兄貴が苦笑気味な声を寄越す。けれど、ここで諦めるのは俺のプライドが許さない。
「何だよ」
 決して表に出さぬよう努めながら顔を上げると、椅子に腰かけた兄貴が手招きをした。
「それ、俺にくれないか?」
「何だよ、別にブラックくらい……」
「そうじゃなくて、俺が無理なんだ。甘いのを受け付けないらしい。そっちを貰っても良いか?」
 俺のプライドを傷つけないようにと気を使われているのが簡単に分かる、見え透いた嘘。けれど、つまらないプライドのためにふいにするにはもったいな過ぎるその優しさに、俺は思わず頷いていた。
「悪いな、ミハエル」
 俺なんか敵いっこない大人の顔で少し笑う兄貴の顔は、何年も前から見ているものと何も変わらない。それが何だか悔しい。
 兄貴の方へと歩み寄った俺は、マグカップの代わりに顔をずいっと前に寄せた。
「兄貴」
 わざと甘えたような声を出して、薄い唇に喰らいつく。
「こんなに苦いけど、大丈夫か?」
 散々口の中を荒した後で言ってやれば、「なに」と兄貴は呆れたように言った。
「冷めてしまえば、もう一度淹れなおすしかないだろう」








子供と大人な2人。

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