00部屋その五

□そんなことしなくても
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「ティムさん」
 いきなり俺をソファに押し倒して覆い被さったアデルは、強気の行動とは対照的に、どこか怯えているようだった。
「……アデル?」
 薄暗い中でも、薄い唇が真一文字に結ばれているということが分かる。俺も男だ、女にこんな姿勢を取られて劣情が生まれないわけではない。だがしかし、そこで冷静に状況を見ることができるということが、俺の神童たる所以だろう。だが、そんなことはどうでもいい。問題は、どうしてアデルがこんな行動を取ったのかだ。
「いきなりどうした?」
 傷付けるようなことでも言っただろうか。いや、何も言っていないはずだ。アデルの喜怒哀楽は普通の人間と少し違っているが、ある程度分かるくらいは一緒にいる。だが、どういうことだろう。これは攻撃の姿勢だ。もしこのままアデルに首を絞められても、俺はそれに抵抗することができないだろう。いくら男と女とはいえ、俺に武術の心得はない。このままアデルにされるがままだ。
「俺が何かしたか?」
 もし何かあるなら言ってほしい。そう思いを込めて問うと、「いえ」とアデルは首を横に振り、俺の手を取った。
「ティムさんに、お願いがあるんです」
「……こんな風に脅迫してまで頼むようなことなんだろうな?」
「……」
「アデル」
 そろりと俺の手を持ち上げたアデルは、それを口元まで持って行くと、そっと手の甲に口付けた。
「オイ」
 言いかけた俺の言葉を遮るようにもう片方の手で俺の口を塞ぎ、アデルは俺の手で自分の首筋をなぞる。
「ティムさん、私のことを、抱いてください」
 それは、思いもよらなかった言葉だった。
 アデルが俺の予想通りのことを言ったことなどほとんどないが、それでもこれは、ありえない言葉だった。
「……アデル」
 くぐもった声で、俺は問う。
「正気か?」
「はい」
 どんどん降りていった掌が、アデルの胸に触れる。女性らしく丸みを帯びたそれに俺の掌を押し付け、アデルは掠れた声で言った。
「お願いします。抱いてほしいんです」
「やめろ。俺とお前はそんな関係じゃないだろ」
 そういうのは好きな人間に言え、と語気を荒げて言う。こうでもしないかぎり、流されてしまいそうだった。
「だから、好きな人に言ってるんです」
 俺の内面などお見通しなのか、アデルは自嘲気味に笑う。
「ティムさんのことが好きなんです」
「アデル……」
「でも、ティムさんは私のことなんか好きじゃないですよね。分かってるんです。私は失敗作だし、〈吸血鬼〉だし、ティムさんとは全然違う。でも、私はティムさんのことが好きなんです。だから、抱いてほしいんです」
「俺がお前を嫌いなわけないだろ」
「ティムさんに嫌われたくないんです。ティムさんと離れたくないんです。何をしても良いから、ティムさんを繋ぎ止めたいんです。……私には、何もありません。人格も権力も富も何もない。だから、これしかないんです。ティムさんに差し出せるものは、体しかないんです」
「アデル、俺の話を聴け」

「体なら幾らだって差し上げます。好きになってほしいなんて言うんじゃないです。私がティムさんを好きなだけだから」
「だから抱いてください、ティムさん」

 ぼろぼろと涙を溢しながら言葉を継ぐアデルは、俺の話なんて聞いちゃいない。
 我慢ができなかった。
「馬鹿言うな!」
 気付けば、アデルの手を振り払い、もう片方の手でその頬を叩いていた。
 呆然としたような顔で、アデルが俺を見る。その隙に彼女の体の下を脱出した俺は、手に残るアデルの体の柔らかさを振り払うように息をついた。
「俺がいつアデルのことを嫌いだと言った? 言ってないだろ」
「でも、ティムさんが私なんかのことを好きなわけ、」
「好きに決まってんだろ」
 無理矢理言葉を遮り、俺は両手でアデルの頬を包んだ。涙が手にかかり、指を伝って流れ落ちる。
「お前は俺の命を救ってくれたし、少し短絡的だがしっかりしてて優しい。俺がお前を嫌いになる理由なんてない」
「違う、違うんです」
「……何だ?」
「私の好きは、ティムさんの好きとは違うんです」
 アデルの手が俺の手に触れた。手首を軽く握り、黒い目が俺を見上げる。
「私は、ティムさんのことが、一人の人間として好きなんです。男の人として、好きなんです」
 そして、体当たりをするように抱きつかれた。再度押し倒されるようになった俺は、それに逆らわず身を任せる。頭をベッドの柵に打ったが、それは気にしない話だ。
「ティムさんは、いつも優しくて、しっかりしていて、でも時々格好悪くて、戦えなくて、でも頭が良くて、私のことを、ちゃんと一人の人間として見てくれて……。好きなんです。そんなティムさんのことが。ずっと傍にいて、ティムさんのことを守りたいんです」
 俺の胸に顔を押し付けたアデルは、吐露するように心情を口にする。その頭をゆっくりと撫で、俺は目を閉じた。
「じゃあ傍にいてくれよ、アデル」
「……え」
 アデルが顔を上げたのが分かる。俺は、あんな長物を振り回しているとは思えないような細い体を、ゆっくりと抱き締めた。
「守ってくれよ、戦えない俺のことを」
「……ティムさん」
「俺は愛したこともないけど、愛されたこともないんだ。アデルと同じようにな」
 だから愛させてほしいし、愛してほしい。
 ともすれば真っ赤に染まってしまいそうなのを懸命にポーカーフェイスを装って言うと、アデルはぽかんとして泣くのをやめ、それから、今度は一層激しく泣きだした。
「ティムさん、私、ティムさんの傍にいても良いんですよね……っ」
「当たり前だろ」
 それでアデルが安心するなら、どんなたくさんの言葉だって与えてやろう。
 それは全部、俺の心からの言葉なのだから。







ぐるぐるして切羽詰まってティムを押し倒すアデルが書きたかっただけです←
二人とも偽物感が否めない……。

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