00部屋その五
□嘘と愛
6ページ/8ページ
グラハムが僕を訪ねて来たのは、つい二時間ほど前のことだった。
「カタギリ、少し良いか」
恋人が死んでしまってから、彼はめっきり外出をしなくなった。表面上は明るく振る舞っていても、その心の中には傷が残っている。いくら誘っても家から出なかった彼のことを、当時はとても心配していたものだ。
だけど、彼は少しずつ、外出をするようになった。傷は癒えるものなのだ。
とはいえ、彼が僕の家に来るのはとても久しぶりなことだったので、僕は少々驚いた。元々尋ねる人間が少ないこともあり、この家はいつも汚れたままなのだ。
「すまないな、突然で」
「いや、良いよ。君が僕の家に来るなんて、随分と久し振りだね。一体どうしたんだい?」
掃除をしていない部屋の床だが、元々物が少ないからあまり散らかっていない。相変わらずだな、と笑った彼は、奥の椅子へと腰かけた。
僕が持ってきたコーヒーを、コーカソイド独特の白い指が受け取る。マグカップと同じ色だ。
「実は、頼みがある」
「僕に出来ることなら、なんでも」
「そう言ってもらえるとありがたい」
コーヒーに一口口を付けると、彼はマグカップを机の上に置いた。そして、持って来ていたバッグの中から、ガサゴソと何かを取り出してくる。
出てきたのは、オレンジ色で球形をした物体だった。
「これを、動くようにしてほしい」
シンプルなデザインだが、何処か愛嬌のようなものがある。人工知能のようなものだろう、と検討を付けた僕は、彼の腕からそれを受け取った。思っていたとおり、重い。
くるりと回すと、目のようなものが書いてあった。まるで小動物だ。
「これは?」
膝の上に置いて、グラハムの顔を見る。返事は大体予想が付いていた。
「……ニールの形見だ」
そう言ったグラハムの表情は、俯いていたせいでよく分からない。だけど、明るいものではないだろうと想像できる。
「……そっか」
フォローもできないままにそうとだけ言って、僕は再びそれを眺めた。あらゆる角度から見てみるが、こんなの初めて見る。
グラハムの恋人であったニールの仕事を、僕はよく知らなかった。あまり表に出来ない仕事なのだろうということは気が付いていたが、本人にもグラハムにも確かめたことはない。もしかしたら、グラハムも知らないのかもしれないと思っていた。
だけど、僕ですら知らない機械を持っていたということは、推測を裏付けるものとなる。
どちらにせよ、今更でしかないのだけれど。
「どうして今になって?」
「どうしてだろうな。……本当にどうしてなのか、よく分からない。だけど、ニールと一緒にいた頃は、ハロもいつも一緒だったんだ。ニールの言うことを繰り返してみたり、あるいは自分の意見を口にしたり……。ハロはとても賢かった」
「懐かしいかい?」
「ああ、とても。だからなのかもしれないな」
澄んだ瞳が、思い出すように細められた。どこか哀しいような、それでいて、幸せそうな。
薄い唇が語る。
「やっと、ニールの死を受け入れられるようになった」
そのときの表情が、とても儚く見えてしまって。
僕は、急いで修理のための工具を取りに向かった。
「グラハム、すぐに直すよ。だから……」
「どうした?」
「ううん、何でもないよ」
だから、そんな顔しないでほしい。そうは言えなかった。だけど、「ただ、」と僕は続けた。
「まるで君が、ニールを追って行ってしまいそうに見えたから」
グラハムは、口元だけで微笑んだ。
乗った列車には、私のほかに誰も乗客がいなかった。好都合だ。
駅員は私の顔を覚えているだろうか。覚えているだろう。何しろ、私は目立つから。
列車の丁度真ん中付近の席に座り、バッグの中にいたハロを取り出す。数カ月ぶりに言葉を交わした彼は、故障していたというのに、何一つ変わらなかった。
『グラハム! グラハム! リョコウ? ドコヘ?』
まるで子供のような言葉に、思わず唇から笑みが漏れる。キュ、と頭を撫でてやった。
「私の行きたい所へだ」
嘘ではない。私が行きたい所へ行くために、この列車に乗った。
風が髪を弄ぶ。潮の匂いがする。この列車はもうすぐ、海の隣を通過するのだ。
着ていた上着を脱いで、座っていた席に置く。ハロを上に置いて、それから、バッグも端に寄せた。その際、忘れずに一通の手紙を取り出す。昨日の晩、ライルに気が付かれないように書いたものだ。しっかりと、ポケットの中に入れた。
もう一度、ハロの頭を撫でる。
オレンジ色の体が、一回転した。
『グラハム』
「何だい?」
『ナキソウ! ナキソウ!』
想像もしていなかったその言葉に、一瞬動きを止めてしまった。それから、ゆっくりと、ハロの目を覗き込む。
そうか、今の私は、そんな顔をしているのか。
ああ、でももうすぐ海だ。潮の匂いがする。母なる海の匂いだ。
「泣かないよ」
そう言って、私は窓に手をかけた。手を出せば、強い風が腕に当たる。
恐怖がないと言っては嘘になる。しかし、高揚していることも確かだ。パイロットという人種は、強い風に無条件で愛しさを覚えるものらしい。
この風の中を飛びたい! 血液がそう叫んでいる。
だから、その衝動には素直に従うことにした。
「ハロ、少し伝言を頼まれてくれないか」
『マカサレタ! マカサレタ!』
跳ねる体を抱き上げて、自分の口元へと近付ける。ニールがよく声をかけていた気がするところを見つけて、そこへ唇を寄せた。
「 」
そう囁けば、ハロの円らな目が私を向く。ニッコリとそれに微笑みかけて、私はハロを座席に置いた。
「ああ、海だ」
車窓の外に広がる光景に、思わずそう声が漏れる。太陽の光を受けて煌めく海面は、言いようもないほどに美しかった。
「ハロ」
上半身を窓から乗り出して、背を向けたままで口にする。
「さよなら」
ああ、体が重力に従って落ちていく。海面が近付くほどに、濃くなっていく潮の香り。鼻腔を擽るその香りは、どこか懐かしいようにすら思う。
何も怖くない。
今私は、飛んでいる。
そしてほら、閉じた目をもう一度開けたときには、きっと隣に彼がいるのだろう。
あと残り一話!
・